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カテゴリ:生き方
子供向けに書かれた、ガンジー伝 を借りた。映画を補足し、興味深かった。
1947年8月15日、インドとパキスタンは独立。ガンジーは分離独立ではなく、一つの国をのぞんでいたので、祝賀には参加しなかった。インドはヒンドゥー教でパキスタンはイスラム教。両国の対立はインドの核保有、パキスタンも対抗して核を持ち、いまだ世界の平和にとって不安定要素だ。ガンジーは非暴力で菜食、毒蛇も殺さなかった。 1948年1月30日 ヒンズー教とイスラム教徒の争いをしずめるための祈りの会の席で過激なヒンズー教徒によって、銃で殺される。 まわりの人は、護衛をつけることや、集会の参加者を調べるように言うが、 「もし死ななければならないのだとしたら、祈り会こそわたしにふさわしい死に場所です。あなたが私を危害から守られるとおもうのは、まちがいなのですよ。神がわたしを守って下さるのですから」 暗殺者によって立て続けに3発の銃弾が撃ち込まれ倒れたガンジーは 「おお、神よ」とつぶやいて息たえた。 ガンジーの遺体は清められ、精油をそそがれて、ジャナム河の堤へとはこばれ、火葬のあとマハトマ・ガンジーの灰は聖なるガンジス河に流された。 『ガンジー 魂はわれわれとともに」 キャスリン・スピンク作 長井祐美子訳、解説 手塚治虫 1988年 佑学社 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年12月02日 05時19分38秒
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