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-0-01【双子】上-


初稿:2009.05.01
編集:2022.08.28
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※双子SIDEです

0-01【双子】




 リザロス湾の西側に広がる歓楽街。
 表通りから隔たれた裏路地の先には堕街(ダストシティ)と呼ばれる貧民街がある。 そこは自由を求める逃亡奴隷達の逃げ込み場であり、公国の制度に反発する反乱分子の根城が多く構えられている。 人身売買や不法な取引の温床、そういった裏社会の闇商人や奴隷商人等の巣窟でもあった。 無論、住人に市民権は無く、公国の行政の対象から完全に切り離された無法地帯と化している。 アダマストルは比較的裕福な層が住む国家であるのだが、首都ナイトクランに集束される冨と名声は、同時にこういった深い闇をも生じさせていた。

 そして“その店”は貧民街でも最も治安の悪い三番区画にあった。
 小ぢんまりとした店構えでこれといった特徴はない。 店内の壁一面に並べられた陳列棚には、アルル麦や豆類、大玉蜀黍、埃を被った雑貨の類が所狭しと陳列されていた。 物々交換が取引の中心である貧民街で雑貨屋に訪れる客は稀だ。 それは陳列棚に降り積もった塵埃からも判断出来る。 しかし、不思議なことにこの店―――ダスト・ウィズは二十年もの長きに渡り営業を続けている。
 帳場台の奥には、東方伝来の珠盤を用いて本日の売り上げを数える男が一人。 店主のゴルダである。 まるまると肥えた怠惰な容姿と、鼻下にたくわえた黒髭が特徴的な人物だ。

「ん?」

 それは、ゴルダが店仕舞を始めようと考えた矢先の出来事であった。
 不意に肌寒さ感じたゴルダは怪訝に眉根を曇らせる。 そのまま、億劫そうに店口へと首を回らすと、古びた木扉が風に揺られて耳障りな悲鳴をあげていた。 老朽化に伴い建てつけが悪くなった扉が何かの拍子に開いたのだろう。 ゴルダは独り合点すると、重い腰を上げる為に両膝に力を籠めた。

「なっ!?」

 視線を正面に戻したゴルダの両眼にそれが映りこんでいた。 目の前に立つ小さな人影。
 気配など微塵も感じさせずに店内に入り込んだ闇は、漆黒の長衣を纏い、同系色の面紗で目元以外の全てを覆い隠している。 胸元には赤と金の刺繍糸で十字の紋章が施されていた。 それはこの大陸では珍しくないメナディエル正教に属する修道女の装いであった。
 小柄な修道女と思しき人物は、長衣の裾をずりずりと引きずりながら、物珍しげに店内を物色している。

「ここはアンタのような人間が来る場所じゃない」

 諭すような口調とは裏腹に、ゴルダの表情には如何にも迷惑そうな色がありありと窺えた。
 だが、その修道女は気にした素振りもなく、帳場台の前に歩み寄る。

「教会への寄付なら十二分に納めているはずだが?」

 ゴルダが苛立ったように声を荒げる。
 真っ当な商売なら国の許可状を得た上で、その土地の同業組合組織(ギルド)へと定期上納金を納めるだけで事は済む。 だが、貧民街で無許可の商いを行う人間は、国境役人である税関吏への袖の下、多方面に影響力が強い教会への寄進など、一見悪習にも思える慣例が当たり前に罷り通っている。 無論、二重三重に上前を撥ねられるわけだから気分が良いわけもない。

「どちらにしても、もう店仕舞いだ。 悪いが帰ってくれ」

 ゴルダの呼びかけにもまったく無反応な修道女。 闇商として培った長年の勘が、夜の芳香を漂わす目前の人物に警鐘を鳴らしていた。

「おい、アンタ」

 ゴルダの手が帳場台越しに修道女の肩口に触れる。 すると、驚いたように小柄な身体が跳ねて、その弾みで頭套が滑り落ちる。

「わっ、ボ、ボクのことを言っているのですか?」

 現れたのは、癖のある銀髪に深い蒼色の瞳が印象的な少女―――いや少年であった。 歳の頃十歳前後、儚く脆いこの年頃独特の中性的な魅力が同居している。 だが、ゴルダの視線を最も惹きつけたのは少年の不自然なまでに白い肌。 貴族階級の間では、白粉を用いて化粧を施すことも慣習の範疇である。 しかし、上流階級の人間が直接、貧民街を訪れるのは明らかに不用心であるし、かといって天然染料は高額な為に一般の庶民がそう易々と入手出来る代物ではない。 なにより、清貧を信条とする修道関係者には似つかわしくない代物であろう。 そして、そこにはもうひとつの可能性が潜んでいた。 早計すぎる判断ではあったが、ゴルダには直感めいたものがあった。

「アンタ……屍族なのか……?」

 ゴルダの呼吸が急速に荒くなる。

「えっ、あ……はい」

 少年は隠すつもりがないらしくあっさりと肯定する。
 だが、ゴルダの方はそうもいかない。 腫れぼった指先で弾かれたように首筋を確認する。

「心配いりません。 ボクは無断で他人の血を戴いたりはしませんから」

 屍族の少年はゴルダの心情を察し柔軟に応対する。 だがその顔は何処か哀し気に見えた。
 もっとも、当事者であるゴルダは口約束で身の安全を保障されても落ち着けるわけがない。

「レム……コレ殺さないの?」

 感情を伴わない少女の声。 それはゴルダの背後から聞こえた。
 得も言われぬ恐怖がゴルダの精神を束縛していた。 金縛りにあったかのように身体が硬直して動かない。

「ひっ!?」

 ゴルダの身体に引き攣ったような痛みが走り、遅れて首筋に生温かい液体が浮き上がる。 手を添えたままの首回り、だぶついた顎肉の間に冷たい感触があった。
 ゴルダの全身からじっとりと冷たい汗が噴きだしている。

「ちょ、ちょっと待ってルム。 そんなことをしたら、またミュークさまに怒られるよ」

 レムと呼ばれた少年は慌てたように少女の行動を制止する。
 少年は恐怖に硬直するゴルダへと視線を戻し、

「先ほども言いましたがボクたちは買い物に来ただけです。 用が済めばすぐに帰るのでご安心ください」

 そう言って少年は破顔する。 それは見る者を安心させ、警戒心を和らげる純真な笑顔だった。

「ああ……だが、その前に後ろのお嬢ちゃんをどうにかしてくれないか? こ、このままじゃ首元が冷えて敵わない」

「あっ、すいません。 ルム、いい加減に解放してあげなよ」

 少年の言葉にゴルダの背後で気配が動く。
 ゴルダは首筋から刃物の感触が消えたのを察知すると、恐怖の発生源を確認するべく背後を振り返る。

「これは……」

 薄暗い店内の陰影に溶け込むように、こちらも屍族であろう少女が佇んでいた。 自然と感嘆の息が洩れる。
 整った相貌、腰まで伸ばされた癖のないサラサラとした白銀髪、淡い碧眼には危うげな色を宿している。 そこには物言わぬ人形のような儚さを伴った美しさがあった。 屍族の少女はふらふらと夢遊病者のような足取りで帳場台を横切ると、少年の右隣にちょこんと納まる。 髪型など僅かな差異はあるものの、並んでみるとまさに生き写しであった。

「そういえば自己紹介がまだでしたね。 ボクはレムリア・グリンハルト。 こっちは双子の妹のルムファムです」

 レムリアはまずは自分を、続けて傍らに立つ双子の片割れを紹介する。 それから、丁寧に謝意を述べつつ、短躯を折って一礼した。 だが、少年の言葉にそれまで無表情だったルムファムの柳眉がぴくりと吊上がる。 不意に膨れ上がる殺気―――

「ひわっ」

 レムリアの間の抜けた悲鳴に遅れて、甲高い破砕音が店内に響く。 少年が恐々と音の発生源に視線を移すと、陳列棚の一角が弾け飛んでおり、奥の壁にひしゃげた短剣がめり込んでいた。

「い、いきなり……ナ、ナニをするんだよっ!?」

 尻餅をついてへたり込んだレムリアが抗議の声をあげる。

「ワタシがおねーさん」

 ぞっとするような冷たい声には反論を許さない不気味な力強さがあった。 レムリアは気圧されたようにルムファムから視線を外すと咳払いをひとつする。

「と、とりあえず……、そ、その問題は後でゆっくり話し合うとして……。 店主さん、壊れた品物はこちらで弁償させて頂きます」

 レムリアはペコペコと申し訳なさそうに頭を下げる。

「い、いや、気にしなくていい。 あんな安物二束三文でくれてやっても問題ない品だ」

 ゴルダは二重の意味で呆気にとられていた。 ルムファムの非常識な怪力振りもさることながら、レムリアの屍族らしかぬ低姿勢にである。

「ほら、ルムも謝って」

 レムリアは非難するようにルムファムを睨みつける。 だが、少女は懲りた様子もなく、今度は見せつけるように修道服の胸元から短剣を取りだした。

「ぎゃ!!」

 一瞬身構えたレムリアだったが、悲鳴は予期しない方向から聞こえてくる。

「ひぃぃぃ……」

 ゴルダのぶよぶよとした脂手が、ルムファムの放った短剣によって帳場台に縫いつけられていた。 驚嘆すべきはその投擲の正確性ではなく、どのような業を用いたのか、短剣で貫かれた傷口からは一滴の血も流れ落ちてはいないことだ。

「ルム……?」

 レムリアが三白眼で理由を尋ねる。

「逃げようとした」

 ルムファムの返答は短い。 どうやら、隙をついて店奥に逃れようとしたゴルダに対して先手を打ったらしい。 ルムファムの感知眼は野生の獣並みに優れているので、間違いはないだろう。

「品物を売って貰えないとボクも店主さんも不幸になりそうです。 ここはお互いの為に賢く行動しましょう」

「……わ、わかった。 だが、まずはコレをどうにかしてくれ」

 ゴルダが短剣が突き立ったままの右手に視線を落として嘆願する。 レムリアが目配せすると音もなくゴルダに歩み寄ったルムファムが無造作に短剣を引き抜いた。 再度、ゴルダの口から悲鳴が洩れる。

 「そ、それでどのような御用向きで?」

 ゴルダは胸元に右手を引き寄せると顔中に油汗を浮かべたまま、引き攣った愛想笑いを浮かべる。

「プリウスの実をあるだけ。 それと材質は特に問いません。 この店で最も頑丈な武器を数個、適当に見繕って貰えますか?」

 ゴルダの喉がゴクリと大きな音をたてる。

「お客様……プリウスの実は公には取引をされていない希少品です。 とても個人商店で提供できる品ではございませんが?」

「あれ、可笑しいな。 ミュークさまがこの店でなら手に入ると仰っていたのに……」

 レムリアが困り顔でぶつぶつと呟く。
 ゴルダは少年が度々口にする“ミューク”という名の人物に多大な興味をそそられていた。 しかし、身の安全を考慮すると、深く詮索する気にもなれない。

「きっと何かの間違いでしょう。 当店はしがない雑貨屋でございます」

「ですが、お店のほうは随分と繁盛しているみたいですね」

 レムリアは店内を見渡し幾分場違いな感想を述べた。
 店内の淀んだ空気、陳列棚や床に堆く積もった粉塵、どれも盛況とは評し難い光景だ。

「な、なにを根拠にそのような……。 い、いや、誠にお恥ずかしい限りですが、ここ数年は客足も遠のくばかりで、閑古鳥が鳴く侘しさです」

 だが、レムリアの皮肉ともとれる物言いに、当のゴルダは露骨に焦りだした。 その尋常ならざる発汗量からも、嘘が苦手な性分であることが伺える。

「確かに店頭にある商品、雑貨の類はまったく売れていないようです。 でも、だからこそ、長年間口を広げられる理由が、別にあるとお見受け致しました」

 レムリアが明快に断言してのける。 その様子から隠し立ては無益と理解したのか、ゴルダは諦めたように溜息をついた。 それに元々、何者かの指示の元、この双子は店を訪れたのだから内情を知っている可能性も高かった。

「ふぅ……これはお人が悪い。 すべて見抜かれているようですな。 お察しの通りこの店は表立っては雑貨店などを営んでおりますが、裏では好事家相手の闇商品を扱っております」

 ゴルダはそこでひとつ咳払いをすると、

「ようこそ『ダスト・ウィズ』へ。 ご希望の商品はなんなりと取り揃えますぞ」

 ゴルダは表の顔を脱ぎ捨てると、改めて目前の双子を客として迎え入れる覚悟を決めたようだった。
 その言葉通り店の地下には古今東西から集められた“毒薬・禁魔法薬”の類から、古種・巨人族の失われた技術“カラクリ”といった珍品、果てはロストワードの彫り込まれた石版まで、公での取引を禁止されている品物が保管されているのだ。

「それでは、先ほど所望した品は用意できますか?」

「勿論ですお客様。 ですが、プリウスの栽培や流通は、教会法のみならず、公国の法律で厳しく制限されております。 入手に危険を伴う分それなりの額になるわけですが―――」

 ゴルダもその筋では名を馳せた闇商人であった。 商売の話となれば気後れはしていない。

「生憎その方面には通じていないので、相場は如何程なのですか?」

 レムリアの素人丸だしな素直な反応にゴルダは内心でほくそ笑む。
 闇商人は在庫目録を確認する振りをして、横目でレムリアの頭の天辺からつま先まで、値踏みするように観察すると、

「そうですな……武器類は問題ないとして、プリウスの実の在庫は32粒、それを全部となるとガープ金貨五百枚。 大負けに負けて金貨四百枚といったところでしょうな」

 明らかにふっかけであるのだが、レムリアに気づいた様子は無い。
 西大陸で最も広く流通するガープ金貨一枚は、同銀貨十枚に匹敵し、銅貨なら百枚分の価値がある。 ちなみにガープ銀貨が一枚あれば、七日間は衣食住に困らない。 これだけでもゴルダの提示した金額が如何に法外なものであるかがわかる。
 屍族が人間の市場、しかもその裏側に精通しているわけもない。 そう結論付けたゴルダの詐欺まがいの奸計であったのだが、

「わかりました。 その金額でお願いします」

 いともあっさりと返されて、驚いたのはゴルダのほうであった。

「し、失礼ですが、ガープ金貨四百枚ですよ。 本当にわかっておいでですか?」

 金貨四百枚ともなれば、持ち歩くにもかなりの重量になる。 銀貨や銅貨に換算すれば尚更である。 ゴルダもこの双子がそのような大金を所持していないことは一見して判断していた。 希少品や宝石など資産価値のあるもので等価交換できるならそれもよし、無理なら体よく追い返そうと画策していたゴルダにしても、想定外の事態であった。 前者の可能性をかなり低く見積もっていたのだろう。

「当店は信用貸しなどは一切おこなっておりませんが……」

「わかっています」

 そういって、レムリアは帳場台の上に一枚の古ぼけた金貨を置く。

「こ、これは……セナートル金貨!?」

 ゴルダの両眼が剥きだされた。
 本来、硬貨が持つ貨幣価値は金属の含有量に依存する。 そういった意味では、セナートル金貨は西大陸で広く流通するガープ金貨やウリクス金貨より遥かに質は落ちる。 だが、セナトール金貨は、一夜のうちに滅び去ったといわれる古代王国ニクネベェンの空中都市でのみ鋳造・使用されていた幻の貨幣であった。 とある国の好事家が、それ欲しさに全ての財産を投げ打ったという逸話があるほどだ。

「それでは、足りませんか?」

「な、何を馬鹿なことを!!  これ一枚でガープ金貨五千枚の価値はありますぞ」

 ゴルダは自由になる右手でセナートル金貨を引っ手繰ると、早々に懐へと仕舞い込んでしまった。 レムリアの気が変わらぬ内に取引を成立させたかったのであろう。 流石に闇商を営んでいるだけあって、こういった珍品・稀少品には目がないようであった。 先程までの慎重さはどこ吹く風、ほくほく顔で愛想笑いを見せている。

「どうやら、了承頂けたようですね」

 満面の笑みを浮かべるレムリア。



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