朝靄に包まれたリベル大聖堂の幻想的な佇まいを背に三つの人影があった。
「ふたりともワチキの助力なしでも十分生きてゆけそうじゃな」
ミュークはレムリアが調達したプリウスの実を受け取ると、満足したように頷く。
「そ、そんなことありません! 取引きの成功は事前にミュークさまの助言があったればこそです」
レムリアは謙遜どころか己の功績を真っ向から否定する。 その碧眼は、捨てられた子犬のように心許なげに曇っていた。 ミュークの物言いから、突き放すような響きを感じ取っていたのだろう。 ルムファムに到っては、小さな両手でミュークの長衣の袖口を握り締めて離さない。
「これっ、心配せずとも、ふたりを置いて何処にもいったりはせぬよ」
ミュークは双子のいじらしい様子に口元を綻ばせる。 そこに自立を促すといった含みは更々なく、保護者としての純粋な褒め言葉であったのだが、どうやら誤解を与えてしまったようである。
この双子、今でこそミュークが面倒を見てはいるが、元々はミュークの実母であるアルフォンヌ・ウィズイッドが何処ぞで拾ってきた遺児である。 その後、双子はアルフォンヌの元で、何不自由無く育てられていたようだ。 当時、ミュークにとって母のそういった気まぐれは、取るに足らない出来事であった。 しかし、それから数年後のある日、気の迷いや戯れでは済まされない事態が生じることになる。 アルフォンヌはウィズイッドの血統アルカナ『女教皇』の継承資格に双子の後見人となることを定めたのだ。 無論、ミュークの動揺は隠しようがなかった。
しかし、この母にしてこの子ありか、娘自身も屍族としては一風変わった性質、いや性癖の持ち主であった。 俄かに記憶から喪失していた双子が見目麗しく成長した姿を確認すると、ミュークはその旨を二つ返事で承諾した。 娘は生来の美童趣味だったのである。
「そ、それで……、ミュークさま。 アルフォンヌさまのご消息の方は?」
レムリアはミュークの複雑な心裡を察したのか、少し聞きづらそうに尋ねる。
ミュークは深いため息をつくと、首を横に振り、
「見当違いじゃったよ。 ワチキをウィズイッドの血族だと知った上での接触であったから、多少の期待はしておったが、ヘリソンに“首人”となった母上の記憶はなかった」
ミュークの云う“首人”とは屍霊術の秘法によって半永久的な命を与えられた生物の異称だ。
切り落とした頭部から伸びる頚椎に寄生植物アタナシアの種を植え付けて、濃縮された千年樹の樹液で満たされた特殊な首台に着床させることで呪法は完遂される。 端的に云えば、生前の記憶を保ったまま永久の時を生きる喋る生首である。 メナディエル正教の元老院の面々が首人の賢人たちによって形成されている事実は大陸でも有名な話だ。
「そ、そうですか……。 でも、お気を落とさないでください。 諦めなければきっと見つかるはずです。 ボクたちも及ばずながら尽力させて頂きます!」
レムリアの真摯な物言いにミュークは苦笑する。
「うむ、期待しておるぞよ」
ミュークはこの双子を高く評価していた。
レムリアの真っ直ぐな心理眼、ルムファムの的確な真理眼は数千年生きた屍族にも劣らぬものであった。 永らく人里離れた僻地で育てられた為、浮世離れした感性の持ち主なのは否めないが、その点に関してはミュークも同様である。 足りない部分は時間が解決してくれるだろう。
「で、でも……、ボクたちでは足手まといにしかならないかもしれませんけど……」
レムリアは照れくさそうに頭を掻くが、直にばつが悪そうにそう付け加えた。
「要らぬ心配じゃ。 もとよりそう簡単に見つかるとは思っておらぬ」
ミュークがアルフォンヌの頭部を求めて旅をする経緯は些か複雑であった。
ウィズイッド家は聖剣戦争以降、人類最古の王国ヤガ=カルプフェルトの宰相職を歴任していた。 宗教上の理由も大きいが、王国が南方諸国より屍族に対して寛容であり、大戦の貢献度も高いウィズイッド家を厚遇したのだ。 なによりこの友好関係が長く続いたのも、ミュークの実母、前ウィズイッド家当主アルフォンヌの本懐が人類との共存であったことにある。 だが、聖剣戦争から数百年の時を経て、アルフォンヌはウィズイッド家とも所縁ある人間の手によって貶められ、反逆罪で斬首されることになる。 ミュークは母の死を知ると、身辺に危害が及ぶ前に、私有地と財産の殆どを王国に進上して、いち早く国外へと出奔した。 ミューク自身、ウィズイッド家が背負う古きしがらみから解放されることを強く望んでいたので、遊歴に身を窶すことに迷いはなかったのである。
今にして思えばアルフォンヌは愛娘が一族を捨てることも含め、全てを心得た上で運命を受け入れていたのかもしれない。 若くしてミュークに血統アルカナの継承を急がせたのも、その為であったのだろう。 ウィズイッドの血統アルカナ『女教皇』とはそういった“力”であったからだ。 血統アルカナ『女教皇』は他者の心を操り読み解く力。 その力の本質は、ウィズイッドの血族間でも継承者のみに知らされ秘匿されてきた。 大屍族達は互いの血統アルカナが宿す力を畏怖し警戒していたからこそ、現在まで安易な衝突が避けられてきたのだ。
しかし、それから間も無くして、ミュークは母の頭部が“首人”となり今も生きながらえているという噂を耳にする。
真相を確かめる為、ミュークはヤガ=カルプフェルトに急ぎ帰参するが、既にアルフォンヌの頭部は王国から持ち出された後だった。 その後、首人となったアルフォンヌの消息を追って、大陸を転々とする日々が続いていた。
「でも、どうして今回に限ってボクたちに買出しをお申しつけになられたのですか? てっきりミュークさまは“ああいったこと”がお好きなものだとばかり……」
レムリアがどこか言い難そうに言葉を濁す。
「ああいったこと?」
「はい、新しい街を訪れると、決まって闇市や競売で人族との心理的な駆け引きに興じられておりますから。 先日も“首人”に関する情報に法外な金額をふっかけてきた商人貴族の鼻っ柱を、楽しそうにへし折っておられました。 あの時はミュークさまが屍族だとバレて、大騒動になりかけましたけど……」
ミュークは端正な顎先に右手を添えて、考えるような仕草を見せる。 そういえば、ヘリソン子飼いの商人と一悶着あった気もする。 今にして思えば、それが原因でヘリソンの耳にウィズイッドの名が届いたのかもしれない。
「よく覚えておらぬが、そんなに楽しそうじゃったかの?」
「はい。 それはもう楽しそうでした♪ 一見理不尽にも思える方法で相手の理論武装を一枚一枚丁寧に論破して、その欠陥を逐一論えては更なる心理的動揺を誘い、疲弊し精神的に追い詰められた獲物を物理的にも丸裸に―――あぐぅ」
ミュークの正拳が皆まで言わせずレムリアの額を打ち据える。
「随分と詳細な分析じゃが……。 それは遠まわしにワチキがネチネチとした陰湿な性格だとでも云いたいのかや?」
ミュークが半眼で尋ねる。 よく見るとこめかみにヒクヒクと青筋を浮かべていた。
「あう~……ごめんなさいぃ……。 でも、旅に出てからのミュークさまは随分とお変わりになられました」
赤みを帯びた額を擦りながらレムリアは言葉を続ける。
「も、勿論良い意味でですよ!」
ミュークに真顔で見据えられ、また余計なことを口走ってしまったかと、レムリアは理由もわからずあたふたと汗だくになる。
「そ、その……、巧くいえないのですが……。 ヤガ=カルプフェルトに居た頃のミュークさまはどことなく毎日が退屈そうでした。 でも、今はボクたちにもよく笑顔をお見せくださります。 ボクはそれがたまらなく嬉しいんです」
運命の悪戯で、今は放浪の身となってはいるが、自分の在るべきカタチを見失っていたミュークにとって、それは面映さを覚える言葉だった。
ミュークはレムリアの顔を覗き込むように身を屈めると、小さな頭を軽く小突く。
「まぁ……よい。 そろそろ夜も明ける。 続きは寝床に帰ってからじゃ」
ふと、気づけば生まれたばかりの微光が、露出した白蝋の肌を刺激していた。
中級以上の屍族が太陽の光を浴びた程度で命を落とすことはない。 だが、屍族は例外なく遺伝性の光線過敏症をその身に患っている。 長時間被照状態にあると、射部に水疱・膨疹・丘疹・紅斑などの火傷にも似た皮膚症状が発症する。 外衣で身体を覆っていても、まだ幼いレムリアとルムファムには負担が大きいだろう。
「はい、投宿を門前払いした宿屋の主人から巻き上げた旅亭に帰るんですね♪」
「誤解を招くような表現をするなやっ!」
ミュークが再度鉄拳を振り上げる。
「ひゃわわ……」
驚いたレムリアが尻餅をついた瞬間―――風を切る音と共に黒い影がミュークの鼻先を掠めて視界を横切る。 それは一瞬前までレムリアが居た空間を削りとるように横断し、遠くで派手な爆砕音を響かせた。
「……ル、ルム?」
ミュークは恐ろしく嫌な予感を覚えながら黒い塊が飛んできた方向を確認する。 そこには背に多量の武器類を担ぎ、購入したばかりの攻城用の小型連弩を玩ぶルムファムの姿。
「むぅ……」
ルムファムは低く唸ると、まず自分の手元を不思議そうに、次に音のした方向をつまらなそうに眺めた。 少女の視線を追ったミュークは我が目を疑った。 都市の名物でもあった天然大理石の大噴水が無残な瓦礫の山と化していた。 今はただ、嘗ての名残を惜しむように巨大な水柱を大聖堂の天辺付近まで盛大に吹き上げている。
人工の集中豪雨に晒されて、あっという間にびしょ濡れになるミュークとルムファム。
「わーわー、あわわ……」
レムリアだけが降り注ぐ地下水から器用に逃げ回っている。
リベル大聖堂の前庭一帯が見る見る浸水していく。
暫し呆然としていたミュークが慌てて頭振る。 これだけ目立った破壊活動を行ったのだ人目を惹かないわけもない。 案の定、疎らだった人の気配が参集しつつあった。
「だぁ~、ナニをやっておるのじゃ!!」
ミュークの悲痛な声が朝靄に包まれたナイトクランの空気に溶けて消えた。
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