自由都市ザクルフォルドは、サリナハームとアルル=モア、建国以来続いていた両公国の武力抗争に終止符が打たれた折に、その国境線に建築された和平確立の象徴であった。 都市の統治機構こそ、両公国の代表者六名からなる評議会が有していたが、共有領地として国家・宗教的規制から切り離された自治領でもある。 加えて、同都市は大陸行路の中継貿易基地としての恵まれた立地条件に相乗する、低い関税率を適用しており、海都ナイトクランに次ぐ市場規模を誇っている。 故に、様々な職種・国籍の者が集い、国際色豊かな街並みを形成していた。
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「名前と出身地、滞在目的を述べよ」
守備兵が事務的な口調で、御者台の上で愛想笑いを浮かべる商人風の男に催告する。 質疑応答の間、検問使が男の荷馬車に所狭しと積み込まれた物資の審査を行なっていた。
「問題ありません」
荷馬車から降りた検問使が首肯すると、
「よし、通れ!」
守備兵は男に滞在許可証を手渡す。
「次の者!!」
そして、機械仕掛けの人形の如く、同様のやり取りが繰り返される。
今宵もザクルフォルドへと向う隊商の列は、昼夜問わず途絶えることはなかった。
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「なかなか前に進みませんね」
額に手を翳したレムリアが爪先立ちで、前方に連なる荷馬車の列を眺めている。 大灯台を後にしたミュークたち一行は幾許かの行程を経て、サリナハーム側に位置する国境検閲所の列に紛れ込んでいた。
「ミュークさま?」
レムリアが怪訝に眉根を曇らせて、ミュークの横顔を覗き込む。 こういった状況を真っ先に、いや、今は二番手で愚痴を零す筈のミュークが大人し過ぎるのだ。
「ん? 何か云ったかや?」
目深に被った頭套からミュークの顔が覗く。 元々、透けるように蒼白い肌から、更に血の気が失われているように見えた。
「いえ、これだけ並んでも、まだ、半分程しか進んでないように思えたので……」
「ザクルフォルドは別名“眠らない街”とも呼ばれておる。 ここは、大陸行路の要衝でもあることから、各国の商隊だけでなく巡礼者や旅行者が多く訪れ、中継貿易によって栄えておる。 それに、公営の大賭博場があり、一攫千金を狙う散財者共も集まっておるのだろう」
「ミュークさまはこの街にお出でになったことがあるのですか?」
レムリアが身を乗り出すように尋ねる。
「母上に連れられて一度だけ、あの時は、そう……いや、何でもない。 どちらにしても、暫くはプルミエール嬢と寝食を共にする故、寝床を確保してやらねばなるまい」
ミュークはぎこちなく口元を緩めると、苦笑混じりに吐息を零す。 その視線は、ルムファムの背中で安穏と寝息をたてるプルミエールに向けられていた。 如何なる時も己の生活習慣を崩さない、この超健康優良児の精神は、樹齢千年を超える古代樹すら見劣りするような図太さを誇っているに違いない。
「幸いザクルフォルドは流れ者の巣窟じゃ。 中に入ってしまえば、暫くは安全じゃろう」
「そ、そうですね。 でも、人族ってほんとにたくさんいるのですね♪」
妙なところに感心しきりのレムリアは心ここに在らずといった表情だ。 普段、人目を避けて行動している為に、目前に広がる雑踏に純粋な感動を覚えているのだろう。
「そうじゃな……」
しかし、ミュークは少年の感嘆にも曖昧に同意するだけで、それ以上会話に踏み入ることはなかった。
「ミュークさま、もしかしてお身体の調子が悪いのですか?」
「なぜ、そう思うのじゃ?」
ミュークが気怠げに首を振ると、額に浮き出た汗粒が頬を伝い落ちる。
「だって、いつものミュークさまなら、ボクの発言の粗を見つけ出しては難癖をつけて、骨までしゃぶり尽くす勢いで苛め―――うっ!?」
レムリアが慌てて口を噤むが、時既に遅し、ミュークの冷たい視線が凶器と化して突き刺さってくる。
「日頃、レムがどのような目でワチキのことを見ているのか、よくわかったぞ」
ミュークは両腕を大きく広げて、レムリアへと躙り寄る。
「い、いえ。 ボクはミュークさまを“自動皮肉製造機”だとか、重度の“加虐性淫乱症”だとか思ったことは過去に一度としてなく。 む、寧ろ、尊敬や崇拝の……あ、あの聞いてますか?」
レムリアはじりじりと後退るが、国境城壁に穿たれた関所内は手狭な上に、人や荷馬車でごった返しており、あっさり壁際に追い込まれる。
「何か言い残すことはあるかや?」
ミュークはレムリアの細肩に両の掌を置くと、じわじわと圧力を加えていく。 周囲の喧騒さえなければ、肩肉と鎖骨が軋み奏でる不気味な協奏曲が聞き取れたかもしれない。 それが証拠に、逃げ場を失った獲物は、陸に打ち上げられた魚のように口をパクパクとさせていた。
「あ、あの……、せっかく並んだ列から離れるのは、マズイのではないでしょうか?」
顔を引き攣らせたレムリアが、理を以って窮地の脱出を図る。
「心配無用じゃ。 ルムが代わりに並んでおる」
ミュークの肩越しで、ルムファムが無情に頷いていた。 無論、第三者たる周囲の人間も、進んで厄介事に巻き込まれたくはないらしく、皆、素知らぬ振りである。 よって、この場でレムリアに味方する者は皆無であった。
「あう……」
レムリアは諦めたように涙に潤む碧眼をきつく閉じる。 ミュークの多段屈折した精神構造の生贄となって幾年月、無駄に培われた鋭敏な自己防衛本能は、ひとつの論理的帰結を導きだしていた。 要するに抵抗すればするほど、キツイお仕置きが遂行されるのである。
「さて、どのような仕置きが―――」
と、ミュークの声が唐突に途切れ、レムリアの両肩に食い込む指先が滑り落ちる。 続けて、何か重たいものが崩折れる音。
「へっ!?」
驚いたレムリアが双眼を開くと、ミュークの身体が糸の切れた操り人形のように地に伏していた。
「ミュークさま!?」
レムリアの悲痛な叫びも、ミュークに届くことはなかった。
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