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2-07【血渇】


初稿:2010.02.16
編集:2023.02.16
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※月ノ章の本編です

2-07【血渇】




 ゆっくりとミュークの双眸が開く。
 早鐘を打つ心臓の鼓動が、この目覚めが現実世界のものであると裏付けていた。

「なぜ、今更あのような夢を……」

 滲んでいた視界が鮮明になると、無機質な灰色の天井が映りこむ。 ミュークは、幌(ほろ)を張っただけの簡易寝台から身を起こして、注意深く周囲の状況を確認する。

「ここは―――」

 声を発した瞬間、ミュークの身体が九の字に折れ曲がった。 喉元に伸びた手指が狂ったように首筋を掻き毟る。

「っ……っう……喉が……灼ける……」

 魂を侵食するような血の渇望に、思考の持続が儘ならなかった。
 屍族が有する吸血本能は、種そのものが備える生理的な特徴である。 人族で例えるなら“食欲”と“色欲”の丁度中間に位置する根源的欲求だ。 強靭な肉体と精神を誇る屍族であっても、それに打ち勝つ術を見出した者は未だいない。

「立て続けに力を使い過ぎたようじゃな……」

 ミュークは長衣の腰帯に手を伸ばすが、そこに求めた感触は感じられなかった。 金嚢と共にプリウスの実を入れた巾着が無くなっていたのだ。

「ま、手短に血液の提供者は幾らでもおるしの」

 暫し、呆然としたが、心中で物騒な結論に到る。 それに、巾着に関しては、休眠した所有者に代わり、雑務担当のレムリアが預かっていると考えるのが妥当である。 どちらにしても、今は肉体と精神を蝕む渇きの衝動を抑制することが焦眉の急であった。 早々に双子と合流して、プリウスの実を取り戻さねばならない。

「それにしても、レムとルムは何処にいきおった」

 ミュークは夢遊病者のように立ち上がると、覚束ない足取りで、暗い歩廊へと踏み出す。 剥きだしの内壁には、等間隔で石室への入り口が穿たれており、朽ちた調度品の残骸が散乱していた。 打ち捨てられて、かなりの時を経過しているようだった。
 更に歩を進めると、腐植土が堆積した中庭に抜ける。 天井から降り注ぐ月明かりが、ミュークの頸部に走る朱線の痕を痛々しく照らしだしていた。

「ん?」

 ミュークの脚が止まる。 視界の片隅で、小さな影が跳ね上がったのだ。 一瞬の出来事だった為に、明確な種の判別まではつかなかったが、廃屋に住み着いた小動物の類である可能性が高いと判断する。

「低劣な畜生の生血でも渇きを癒す手助けにはなろうが……」

 降り積もった枯葉が盛り上がり、中庭の木立を縫うように移動する。

「しかし、捕えるにはそれ以上に骨が折れそうじゃな。 阿呆らしい」

 ミュークはあっさりと諦める。 費用対効果の均衡が著しく崩壊していたのだ。 しかし、獣の気配を察知する為に、五感を張り詰めていたことが思わぬ幸運を呼び込むことになる。

「ん?」

 屍族の鋭敏な聴覚器官が、常人なら感知することさえ適わない微かな物音を捉える。 音に誘われて、中庭を囲む廻廊の一角に辿り着くと、目前に閉ざされた一枚扉があった。

「誰かいるのかや?」

 ミュークの誰何は廃屋を包む静謐な空気に虚しく溶ける。
 再度、尋ねる。 しかし、返答はない。 焦れたミュークは赤茶けた金属性の取っ手を捻り、躊躇なく内側へと押し開く。 室内から零れた幽光が、回廊の石畳に伸長する。

「ふむ」

 部屋の中央には樫木の卓子があり、淡い橙色の光を燈す青銅の角灯が据え置かれていた。 視線で見渡すと、ミュークの抱く幾つかの疑問が解消される。 ひとつは件の物音に関してだ。 奥壁に造りつけの暖炉があり、薪の爆ぜる音韻に合わせ炎が踊っていた。
 そして、もうひとつは、

「睡眠は子供の甲斐性だが、育つのが悪態ばかりというのは如何なものじゃろうな」

 暖炉の手前に据え置かれた長椅子の上に、惰眠を貪るプルミエールの姿を確認した。 足元の敷布の上には聖なる十字が刺繍された黒法衣が無造作に脱ぎ捨てられている。

「ワチキが意識を失っている間に、教会船での一件に手が廻ったのやもしれぬな」

 見当違いの推測だが、賭博で大負けした挙句、一文無しになって宿を追い出されたなどと、一足飛びに想像出来るわけもない。 どちらにしても、姿が見受けられない双子も、この廃屋を塒としていることだけは間違いない。 プルミエールが五体満足でここに居ることが、その証明である。 レムリア独りで、この人族の少女を御せるとは到底思えない。 かといって、ルムファムだけでは、別の意味で無事でない可能性が高い。 些か無用心ではあるが、何か理由があって出払っているだろう。

「それにしても……」

 ミュークの視線が、プルミエールの幼げな柔肌に落ちる。

「こういった無茶苦茶な手合いをワチキ好みに調教するのも一興か」

 長椅子の手前で身を屈めたミュークが、くんくんと鼻を鳴らす。

「この鼻梁をくすぐる甘く芳しい処女の香り……堪らぬわ」

 ミュークの紅眼に好色な光が宿る。 そして、湧き上がる欲求を抑えきれないように少女に覆いかぶさる。

「ぅ……ん?」

「少しぐらい味見をしても罰はあたらぬじゃろうて……」

 熱い息が顔にかかり、プルミエールの意識が半ば覚醒するが、ミュークに自重する気配はない。 どす黒い渇望が身裡より生まれ、理性のタガが外れてしまっているようだ。

「聖女アルジャベータの血脈。 一度、味わってみたいと思っておった」

 ミュークはごくりと唾を飲み込むと、血よりも紅い口唇を少女の首筋に宛がう。 蠢く舌先が幼い肌に浮き出た汗粒を丹念に舐めとる。

「にゃにゅ!?」

 肌を這いずる湿った感触に、プルミエールの両眼が驚いたように開く。
 慌てて跳ね起きようとする少女の身体を、ミュークの細くしなやかな指先が封じる。 上掛けが滑り落ち、肌着を身に着けていなかったプルミエールの上半身が露になる。 まだ幼い膨らみが外気に晒されていた。

「……っ、痛いです!」

 プルミエールの顔が苦痛にゆがむ。 ミュークの爪が喰い込んだ少女の肌が赤く充血していた。

「病人のワチキを放って惰眠を貪っておった罰じゃ」

 歪んだ状況設定に興奮したミュークが舌なめずりをする。 お仕置きを口実に徹底的に弄ぶ算段らしい。

「みゅーみゅー!? なにするですかっ!!」

「無理矢理というのも、これはこれでそそるものがある」

 理解不能な現状に慌てふためくプルミエールを組み伏せるミューク。 純粋な膂力だけなら、屍族であるミュークに分がある以上、容易には抜け出せない。

「歳相応と云えなくもないが、随分と貧相な乳肉じゃな」

 ミュークは腕の中で滅茶苦茶に暴れる小さな肢体を適度に泳がせる。 挑発的に震える発育途上の隆起を観察する相貌は、屍族特有の退廃的な妖艶さに満ちていた。

「差し詰め洗濯板といったところかの。 どうじゃ、ワチキが揉んで大きくして―――」

「ムカ!! 誰が洗濯板ですか!?」

 言うが早いか、跳ね上がったプルミエールの右膝がミュークの鳩尾に突き刺さる。

「ぐぅ……、こ、この、じゃじゃ馬娘めぇ」

 激痛に堪えかねたミュークが、食いしばった奥歯の間から苦悶の息を漏らす。 思わぬ反撃に緩む拘束。 その隙を見逃さず、プルミエールが飛び起きる。

「大人しく手篭めにされておればよいものを……」

「ヘンタイ牛チチお化けめっ! プルがせいばいしてあげるです!!」

 プルミエールが両腕を激しく振って、怒気を発散する。 逆恨みや見当違いなど、余計な不純物が付与しない正当な憤懣であった。 稀有な例である。

「だ、誰がヘンタイじゃ!? ワチキは屍族にしては常識人だと屍族世界では有名な筈じゃぞ……たぶん」

 自業自得なのだが、ミュークは大人気なく反論する。 その表情からは、先程までの毒気が完全に削ぎ落ちていた。 もっとも屍族世界の一般常識と、人族の社会通念が比較対象になるわけもない。
 そして、双方共にそんな状態であるから、第三者が室内に入って来ても全く気づかない。

「そんなに有名なのですか? ……ていうか、ミュークさま、意識を取り戻されたのですね♪」

 いつの間にやら現れたレムリアが、何処となく複雑な表情でミュークの復帰を喜ぶ。

「それで、一体何をなさっているのですか? ああ……別に言いたくないなら無理強いはしません。 触らぬ神に祟りなしといいますが、放っておいても巻き込まれそうなので、便宜上、聞いてみただけなので」

 相も変わらず一言多かった。



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