「なぜワチキがこのようなことをせねばならぬのじゃ!」
給仕に扮したミュークが鼻息も荒く調理場に戻ってくる。 左右両手に携えた銀盆の上には空皿の山が堆く築かれていた。
「ふたりで働いた方が、お金が早く貯まるからですよ。 あと、これ窓際のお客さんの料理です。 冷めない内に持っていってください」
レムリアが、自慢の腕を振るった小鹿の背肉のパイ包み焼きを盛った大皿を差し出す。 こんがりキツネ色のパイ皮と、冬茸と刻み野菜の色彩が食欲をそそる一品である。
「疲れたのじゃ。 ワチキは暫し休むので、他の者に頼めばよかろう」
ミュークは空皿を銀盆ごと流し台に投げ捨てると、調理場の隅に座り込んでしまう。 何事かと他の雇われ給仕の視線が集まる。
「風邪で寝込んでいるご主人に代わり、厨房を任されたボクの身にもなってください」
レムリアはミュークの投げ遣りな対応に小声で抗議する。
「あーあー、レムは信頼厚いお立場で良いのう」
しかし、ミュークは頬を膨らませて、そっぽを向いてしまう。 レムリアの料理の腕が見初められ、この宿酒場アルドンテで働き始めて、三日目の夜。 到頭、ミュークが我慢の限界を迎えてしまったようだ。
「こういった大衆酒場は、屍族だと悟られずに済む最適の働き口なんです。 首にされたらどうするおつもりですか?」
レムリアが声を潜めてミュークを窘める。
夜間営業であることに加えて、大抵の酒場は店内が薄暗い。 それに、泥酔した人族は、注意力や判断力など脳機能が低下するので重ねて好都合であるとつけ加える。
「肌粉さえつけておれば、そのような杞憂は要らぬ」
普段と立場が逆転しているのでミュークは不満たらたらである。
屍族は二つの理由で、肌粉と呼ばれる天然染料を用いる場合がある。 ひとつは生来の遺伝性光線過敏症による陽光炎症を防ぐ為。 そして、もうひとつは、現地人の肌色に似せて正体を隠す為である。 今回、ミュークの指す肌粉とは後者であろう。 肌の露出する部分に染め粉を塗り込んだ上で、身体から発する鬼気を抑制する術さえ心得ていれば、屍族だと勘付かれる心配はまずない。
「窮状の一端を担っているボクが言うのもアレなのですが、その肌粉の代金さえ儘ならない懐具合なんです。 それに、人族の社会では働かないとお金は手に入らないんですよ。 知らなかったのですか?」
「それくらい知っておるわ。 ワチキは飲んだくれ相手に媚び諂った挙句、尻まで触られておるのじゃぞ。 雇用契約にそのような項目はなかった筈じゃ」
「で、でも……、それぐらい我慢してください」
レムリアの視線がミュークの纏う仕事着に落ちる。
当人には不本意であろうが、胸元が強調された前掛け型の給仕ドレスがよく似合っていた。 特に肉感的な肢体の持ち主が身に着けると、ひと際魅惑的で人目を惹く仕立て具合になっている。 もしかすると、この衣装をミュークに着せたくて、雇い入れたのではないかと勘繰りたくなるほどだ。 アルドンテの主人の真意はわからないが、ミュークが客引きとしての役割を十二分に発揮している点は明らかだ。 彼女の勤務時間にだけ、店外にまで行列が出来るほどの繁盛ぶりだったからである。
「そ、それに、常日頃、ボクたちにもっと酷いことをしているじゃないですか」
珍しく立場が逆転して、レムリアも強気だった。
「レムの癖に生意気な。 そもそも、なぜワチキが働かねばならぬのじゃ」
結局、ミュークが不機嫌な原因はそこに起因するようだった。
「まさか、プルミエールさんを働かせるおつもりだったのですか?」
レムリアが心底呆れたように尋ね返す。
「あの“人型災厄発生器”は端から戦力外じゃ」
ミュークはさも心外だと言わんばかりに鼻を鳴らす。 己の感知せぬ場所で、全力で卑下されたプルミエールは、もっと心外であっただろう。
「そうなると、働き手はボクとルム、それにミュークさましかいないわけです。 だとすれば、プルミエールさんの監視はルムに任せて、残りの者が働くべきです」
レムリアの言い分は当然である。 力仕事ならば、ルムファムに適任だが、接客業となると、あの鉄仮面少女に勤まるわけが無い。 というか、高確率で死人がでる。
「ワチキは働きたくないのじゃ。 それに、ルムよりも心を籠めてプルミエール嬢の世話ができる」
もう駄々を捏ねる子供と変わらない。 レムリアの正論に対しても、真っ向から曲論をぶつける始末であった。 そもそも、頭の中に、労働に勤しむといった発想そのものが無いのだから仕方ない。
「ミュークさまは先日、問題行動を起こしたばかりなので却下です。 それにプルミエールさんも、ルムにだけは一目置いているようなので、そういった観点からもルムが適任です」
あの二人が互いに親近感を抱きあっていることは疑いようも無い。 “動”と“静”、一見して正反対な性質に思えるが、内に潜む唯我独尊な生き様はそっくりであった。 それに、胸元の辺りが洗濯板なことも共通点である。
「ならば、知的で可憐なワチキに適した高報酬な頭脳労働を探して参れ」
と、無理難題を突きつける。
「高額報酬限定なら、個室でお客と朝まで会話する店員募集と、歌って踊れる露出狂の方を急募という貼紙がありました。 ただ、なぜか、どちらも若い女性限定で、ミュークさまお独りで働くことになっちゃいますけど、それでもいいのな―――ぎゃふん」
ミュークの肘鉄がレムリアの鳩尾を抉る。 それは、明らかに如何わしい水商売の類である。
「ワチキは愛でるほう専門じゃ。 他人に身体を触れさせるのは趣味ではない」
「うぅ……。 身元不詳では、まともな仕事にはありつけませんよ」
腹部を押さえて蹲るレムリアが、ミュークの身勝手な言い分に愚痴を零す。
「占い師や失せ者探しのような身元が怪しくてもできるワチキの能力に適した仕事もあるじゃろ」
「チカラを使いすぎてこんなことになっているのに本末転倒ですよ」
「どちらにしても、これ以上ここで働くのは御免じゃ」
立ち上がったミュークは、逃げるように厨房脇の裏口から姿を消してしまった。
「待ってくださいよー」
慌ててその後を追うレムリア。 抜け出た裏路地は、屍族の少年の心裡を映し出すように、陰鬱な閉塞感に満ち溢れていた。
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