淡い角灯の光のなかに四つの人影が浮かんでいた。 自由都市ザクルフォルドを出立して大陸行路を北上するミュークたち一行である。
「しゃきしゃき歩くです」
頭部に包帯を巻いたプルミエールが、レムリアの頭髪を騎馬の手綱に見立てて引っ張り上げる。
「イタタ、暴れないでください」
レムリアは背中におぶさった人族の少女を御しようと、無駄な努力を続けていた。 廃庭での一件から、ずっとこの調子であった。
「プルミエール嬢は病み上りじゃ。 大事を取るに越したことはない。 それに、男子たるもの女子の一人や二人担いだ程度で、泣き言を云うでない」
先頭を歩くミュークがもっともらしい見識を披露する。 表層が正論で取り繕われているので、甚だ性質が悪い。
「だったら、せめて行き先ぐらい教えてください」
レムリアの唇を尖らせて意見する。 無理もない、理由も聞かされず、旅支度を迫られて、既に二日目の夜刻を迎えているのだ。 愚痴のひとつやふたつ零れて当然であった。
「男子たるもの細かいことを気にするでない」
都合が悪い時は、コレ一辺倒である。
「プルプルさん、もう十分元気そうだし、ご自分で歩かれても……」
諦めたレムリアは、もうひとつの頭痛の種の除外措置に取り掛かった。 ミュークと違い理論武装は無いが、非常識の壁が立ち塞がっているので、懐柔難易度は同等である。
「ムム、プルをキズモノにしておいて、その言いぐさはなんですか」
「あ、あれは不可抗力です」
レムリアが言い淀む。
嵌められた感は拭えないが、過失の一端を担っている分、旗色は甚だ悪い。
「レム、言い逃れは見苦しいぞよ」
ミュークが面白半分にはやし立てる。
「道徳的責任」
最後尾を歩くルムファムからも難詰される。 こんな時だけ、団結力を発揮する女性陣であった。
「後生ですから、その言い方だけは、やめて欲しいです」
事情を知らぬ者が聞いたら、いろいろと勘ぐられ兼ねない表現法である。 極度の潔癖症であるレムリアにとって、この手の下世話な陰口を叩かれることだけは我慢ならなかった。 無論、私心を度外視した上での問題である。
「確かに、男女間の揉め事は当事者同士で片付ければよい話。 それより、体中がザラザラして不快極まりない。 レム、なんとかするのじゃ」
ミュークが首筋を掻くと、白い粉がポロポロと剥げ落ち、赤みを帯びた地肌が現れる。
「全然よくないです。 それと、誰のせいで、こんな安物の肌粉しか買えなかったとお考えですか?」
レムリアの苦言は宿酒場アルドンテの一件を指しているのだろう。
ザクルフォルド周辺が、甘汞や鉛など鉱物顔料の産出地だったことが幸いし、安価で軽粉や鉛白を入手したのだが、ミュークの肌質とは相性が悪かったようで、皮膚炎を引き起こしているようだ。
「ワチキの高貴で清らかな雪肌は、このような安物は受け付けぬ。 それともう川魚は厭きたのじゃ」
「お倒れになられてから、急に文句が多くなりましたね」
溜息をついたレムリアが、現実から逃避するように視線を街道脇に傾ける。 屍族の少年の碧眼に、静かなせせらぎを奏でる黒々とした川面が映りこむ。 ここ数日、糧食の供給源となっているエウドール大河である。 アルル=モア公国の王都アンディーンを抱くロア湖を源流として、ラウル平原を抜け、サリナハームの砂漠地帯を縦断した後、南の大海に注がれる西大陸最長の清流である。 懐具合が心許ないので食事はもっぱら双子が交代で釣り上げた(つかみどりした)川魚となっていた。
「あ、そうか。 もしかして、水都アンディーンへ向かうおつもりなのですか?」
レムリアが紙上の知識と現実との近似値を導き出す。
「むー、また寄り道するつもりですか? プルはいっこくもはやくシャル姉さまに会いたいです」
と、このやり取りを真っ先に聞き咎めたのはプルミエールであった。 肉親が行方不明であるのだ、消息が途絶えた現地に駆けつけたい衝動は当然かもしれない。 結果、駄々をこねるプルミエールを宥めすかして、ザクルフォルドでは僅かばかりの路銀を稼いでいたが、とても十分な量とはいえなかった。
「船賃さえ儘ならぬ懐具合では、物理的に不可能だと何度も云っておろう」
教皇庁があるルブリス島への渡航は、厳しく制限されており、教会に認可された船舶以外の出入港は原則、禁じられている。 一般人が聖地を訪れる為には、法外な乗賃を支払い、巡礼者用の定期船を利用するしか選択肢がないのが現状だ。
「でも、あのまま働いていれば1人分の船賃ぐらいは稼げていましたけどね」
レムリアのささやかな反撃。
「我、フォルトゥナの剣なり」
静かな声音に呼応して、ミュークの右手に白銀の奇剣が具現化する。 そして振り向き様、レムリアの頭上へと時を断つ刃を振り下ろした。
「うひゃあ」
間一髪、レムリアは身を捩って不意の斬撃をやり過ごす。
「事後確認で恐縮じゃが、レムは不幸な事故で強制的に記憶を失うのと、他言無用の誓いを立てるのと、どちらが好みじゃ?」
肩で息をしたミュークが不敵な笑みと共に訊ねる。 先日、血統アルカナの能力を使い過ぎて、倒れたばかりなのに全く懲りていない。
「ボ、ボクの口はミュークさまの財布の紐よりも堅いので、あ、安心してくださ―――ぐぎゃん」
コチラはコチラで特赦を願い出たつもりが、例えを間違えたようだ。 レムリアの顔面にミュークの肘鉄がめり込んでいた。
「甲斐性ナシ」
一部始終を見ていたルムファムから痛烈なツッコミ。
ミュークはひとつ咳払いをすると、
「聖女の件に関しては、不用意に動けぬ故、暫し成り行きを見守る必要があるじゃろうな」
「ぶー」
プルミエールが桜色の頬を膨らませて仏頂面を形成した。 二の句を継がないのは、無理強いして、これ以上、生活水準が低下しても困るからであろう。 正しく、背に腹は代えられない状況だった。
「それに件の噂が事実ならば、今の教皇庁にアダマストルの王族が勇んで乗り込んでも、罪人として投獄されるのがオチじゃな」
ミュークは顎先に指を添えて情報を精査しているようだ。
「さすがに、理由も無く一国の王族を拘束するなんてしないと思いますけど……」
レムリアがおずおずと進言する。
「いーこと言いました。 レムレムは下僕二号にショーカクです♪」
ぱっと表情を明るくしたプルミエールが、レムリアの頭をナデナデした。
「は、はぁ、ありがとうございます」
曖昧に頷くレムリア。 下僕以前の格付けも気になったが、精神衛生上、深く考えずに感受したようだ。 賢い選択である。 転じて、奴隷根性が染み付いたともいう。
「これからは下僕一号のアリアリとも仲良く―――はっ!?」
と、プルミエールが両眼を見開き硬直した。
「あ、あの……どうかしたのですか?」
レムリアは背中越しに伝わる不可解な挙動に、恐る恐る尋ね返した。 先を行くミュークも異変を察知して立ち止まっている。
「ア、アリアリがいません! ミュクミュク、どーゆーことですか!?」
プルミエールがミュークを問い詰める。 教会船アメナディル号を脱出する際、気絶したアリエッタの運搬をミュークに一任したことを、奇跡的に覚えていたらしい。
「今頃気づいたんかいっ!!」
斯く言うミュークもすっかり喪失していた出来事である。 それが証拠に、こめかみの辺りを一筋二筋と汗が伝っていた。
「くっ、まぁ、いいです。 そーゆーことなので、レムレムはアリアリの分までしっかりはたらくのですよ!」
プルミエールは思いの外あっさり引き下がると、矛先をレムリアへと向けた。 幼馴染の従者の存在を十日間近く忘れていた事実は、プルミエールにとっても痛いところだったらしい。
「あ、あれっ、もしかして……また、ボクだけ不幸に?」
結果、レムリア一人だけが、痛み分けの恩恵にありつけなかった。
「ゴホン、話を教会の件に戻すぞよ。 通例なら最たる寄進者であり、政治的にも教会と密接な関係を持つ特権階級に矛先を向けはしまい。 しかし、今回は事が事だけに過信は禁物。 このようなキナ臭い話には必ず“奴ら”が絡んでおる筈じゃからの」
脱線を繰り返す問答をミュークが是正する。
「奴らとは何者ですか?」
先程までの悲壮感はどこ吹く風、レムリアの碧眼に好奇心が宿る。 知識の探求には、死肉を漁るハイエナよりも貪欲であった。
「元老院の古老共じゃよ。 教皇暗殺の首謀者がアダマストル王家とも縁深いグラドユニオン家の人間であるならば、捕縛の理由など幾らでも偽証できる。 故に聖女シャルロットも姿を隠しておると考えて間違いなかろう」
ミュークも証左に乏しいことは承知の上で断じる。 行動の指針を定める為には必要不可欠な処置と割り切っているようだ。
「元老院は教皇庁の政務を司る部門だと聞き及んでいます。 教会の法務に立ち入る権限は無いと思いますが?」
レムリアが控えめに意見する。
「表向きではな。 嘗て一度だけ母上と共に古老共と対座したことがあるが、アレはヒトであってヒトではない。 もっと別の……いや、どちらにしても、元老院の権威は教会内に遍く蔓延っていると考えて間違いなかろう」
「元老院は、教会を支配下に置いているのですか?」
質問攻めのレムリアに、ミュークは口元を綻ばせる。
「ふふ、教会とて一枚岩ではない。 枢機卿各位を長とする七聖省や司教評議会の反発は必至。 なにより、如何に傀儡の教皇を擁立しようとも、教会の胎内に対抗軸となり得る存在―――つまり、聖女を抱えたままで、全実権を掌握することなど、到底不可能じゃろう」
聖女の存在は、権威の集中を阻む抑止力でもあり、祝福の象徴でもある。 偶像崇拝を禁ずる白十字教ですら、アルジャベータの血統に関しては否定していない。 そして、賢聖と讃えられた前教皇が亡き今、元老院にとって最大の障害であろう。
「そうなると、元老院と対立する機関に接触を図ることが、聖女を見つけ出す近道になりそうですね」
レムリアの言葉は敵の敵は味方といった発想だ。 確かに、元老院の台頭を快く思わぬ者が、姿を消した聖女を匿っている可能性は無視できない。
「安易に人族との接触を図るのは得策とは云えぬな。 それに、ワチキらには切り札がある。 有効利用すれば、元老院を出し抜くことも可能じゃろう」
ミュークは“切り札”という部分で、プルミエールに向けて顎をしゃくった。
「なるほど、プルがそのゲロウインとやらをコテンパンにすればいいのですね♪」
だが、当のプルミエールは見当違いを引っ提げて会話に割り込んでくる。
「下郎院とは言い得て妙じゃな。 もっとも、有難い申し出だが、方向性が真逆じゃ」
僅かに感心したミュークだが、直にゲンナリと返す。
「むぅー、けっきょくミュクミュクはどうしたいのですか?」
プルミエールが珍しくまともな反論を述べる。
「機が熟するのを待つ。 教会が公々然と聖女シャルロットを処断すれば、アルジャベータの血統を神格化する聖アルジャベータ公会が黙っている筈がない。 元老院の立ち位置によっては、宗派間による宗教戦争が勃発する恐れもある。 古老共の目的が権威の掌握なら、教会そのものの弱体化は望まないじゃろう。 ワチキ等は教会の内情を探り、誰がどのような思惑で動いているのかを見極める必要がある。 ま、先だっては金銭問題からどうにかせねばなるまい」
白み始めた地平線の彼方にアルル=モアの王都アンディーンの街並みが浮かび上がっていた。
|