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3-11【凶刃】


初稿:2011.03.09
編集:2023.09.24
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※月ノ章の本編です

3-11【凶刃】




「あの派手な歓迎は貴殿の趣向かや?」

「その通りだ」

 ミュークの問いかけに銀髪紅眼の青年が口を開く。 思わず、見惚れてしまうほどの美丈夫である。 青年の少し吊り上がった瞳に宿る冥い燐光は、明らかな屍族の特徴だが、それ以外は人族の特性を兼ね備えていた。 なにより彼が纏う衣装にはミュークも見覚えがあった。 屍族であるのなら最も注意すべき存在―――聖メナディエル教圏の異端審問官、中でも屍族狩りを専門とする部隊が纏う武装衣である。

「貴殿は何者じゃ? 恐らく先程の術式はインフェルノ第六圏の強化術式“炎渦呪波”じゃろう。 アレは一端の術者に操れるシロモノではない」

 世界広しと云えど、第五圏より深層域の屍霊術を操れる術者は数えるほどしかいない。 ミュークの知る限りでは、前ウィズイッド家当主であった母アルフォンヌと、女帝クリスティーナ・ヴァーサ。 そして、血統アルカナ“魔術師”の現継承者ルドルフ・オルカザードの三人である。

「俺はラグナウェル・オルカザード―――いや、アンタがアルフォンヌの娘なら、家名はリュズレイと名乗ったほうが理解し易いかな?」

「なにを云っておる? いや、まさか……、あの時の人族の娘がエレシアム・リュズレイだったのかや」

 ミュークの裡で絡まっていた記憶の糸が解れていく。
 ルドルフは正妻を置かず、数百年に亘り独り身であったが、十六年前、ひとりの人族の少女を寵愛し、その間に御子を儲けていた。 ウィズイッド家とも因縁浅からぬ出来事であった為、人族の世に関心が薄かったミュークですら記憶に残っていたのだ。

「どうやら何も知らなかったらしいな」

「じゃが、その話が真実ならば、シャルロット・リュズレイは……」

 聖女ではない―――そう続けようとして、ミュークは言葉を呑み込んだ。

「察しの通りさ。 先代の聖女が屍族の赤子を身篭った事実を、隠蔽する為の替玉ってわけだ」

 ラグナウェルが嫌悪と侮蔑の感情を吐き出す。

「ちょっと、ちょっと、ふたりだけで盛り上がらないでくれるかな」

 ラグナウェルに身体を預けていた紅ドレスの少女屍族が、不満を顕に頬を膨らませて、会話に割って入る。

「其方とは話とうない」

 ミュークが身も蓋も無く拒絶する。 どうやら、この少女屍族とは旧知の間柄であるようだ。

「随分と他人行儀だなー。 知らない仲じゃないでしょう?」

「できれば忘れ去りたい過去なのじゃがな、ラールウェア嬢よ」

 ミュークは何処かばつが悪そうに後頭部を掻いた。
 ラールウェアはオルカザード家十七代目当主ルドルフと彼の実姉アルカとの一粒種である。 所謂、近親姦であるが、人族の社会では、禁忌とされる交姦も、血の純血性を尊ぶ大屍族の間では慣例化されたものだった。 正妻とは異にして、近親者間で世継ぎを儲けることも通例である。 それはウィズイッド家とて例外ではない。

「えー、つれないな。 何も知らなかったアタシに手を出したのはミュークお姉さまだよ。 あーんな悪戯をしておいて、今更知らん顔する気?」

 ラールウェアは、首元で鈍い輝きを放つ翡翠玉の首飾りと同色の瞳でミュークに微笑みかける。
 流亡に身を窶す以前のミュークは、気に入った美童美少女を古城に侍らせ、怠惰且つ享楽的な日々に耽溺していた。 そんな倒錯した性癖は数百年前も同様で、子供ながらに見目麗しいラールウェアにも密かに食指を伸ばしていたのだ。

「ミュークさま……」

 背中に突き刺さる双子の視線が痛い。

「な、なんじゃ、その蔑むような目は? 最初は嫌がっておっても、最終的には合意の下での睦言じゃ。 疚しいことなどこれっぽっちもないぞよ」

「いえ、言い訳はいいです。 今も昔もお変わりないと思っただけですから」

 レムリアが盛大に肩を落としている。 そうあっさり諦められては、ミュークも立つ瀬が無い。

「くっ、その件については、後回しじゃ。 ところでラールウェア嬢よ、そこの青年は本当にルドルフとエレシアムの?」

「うん、そうだよ」

 ラールウェアは明快に断言してのける。

「そうか」

 ミュークは重く深い溜息をつく。
 運命とは皮肉なものだ。 体裁を重んじた教会や王国から存在を排他された忌み子が、これまで生き永らえていたことも驚嘆に値するが、まさか、人族の世を離れ、オルカザード家に身を寄せていたとは、ミュークも想像だにしなかった。 屍族が異端視されるこの西大陸で、忌憚ともされる出生を背負った苦悩は察するに余りあるものであるだろう。 彼は己が人として生きることを疎外される因となった屍族の血を受け入れたのだろうか?

「それと、ラグナウェルお兄さまは、アタシのモノなんだから、勝手に話さないでね♪」

 そう言ってラールウェアは、飼い主に甘える子猫のようにラグナウェルの胸元に頭を擦りつける。

「これは奇異なことを、その青年が件の御子であるならば、其方の方が随分と年上―――」

「うるさい!! アタシは十五歳のまま歳をとっていないから、いーの」

 ラールウェアの怒気と共に、高速構成された術式が発動して、紅い波濤が扇状に拡散する。

「くっ」

 ミュークは両腕で顔を覆うようにして、インフェルノ第二圏の下級術式“赤熱衝扇”の放射熱をやり過ごす。 前髪と衣服の焼け焦げた臭いが鼻を突く。 術者の精神集中が十分でなかったことが幸いして、本来の威力の半分も発現していなかったようだ。

「相も変わらず癇癪持ちじゃな。 じゃが、なぜオルカザード家の血族が、このような場所におる?」

 もはや件の襲撃がオルカザード家の犯行である事は十中八九間違いなかった。 そして、この遭遇は同家の総意を確かめる絶好の機会であると、ミュークも考えた上での問い掛けだろう。

「ある屍族を滅ぼす為、特別なチカラが必要なのさ」

 口を開いたのはラグナウェルだった。 端麗な唇から漏れた言葉は自嘲気に歪んでいた。

「なるほど、その“チカラ”とやらがこの遺跡に眠っておるというわけじゃな」

「そんなところだ。 だが、この玄室の封印は俺たちの手に余るシロモノだったらしい。 そこで、こうして待っていたのさ、こいつの封印を解ける存在をな」

 ラグナウェルは背後を振り返ると、黒色の直方体を忌々しげに見上げる。 ミュークも釣られて上方に視線を向ける。 玄室と思しき物体は、古典力学の見地を無視するように宙に浮いていた。 一目で厄介なシロモノだと理解できる。

「ならば、待ち人を害するような持て成しでは、元も子もないじゃろう」

 ミュークがラグナウェルの不条理な行いを指摘する。 現に彼の出会い頭の焔術で数人の兵士がこの世の人ではなくなっているのだ。

「単なるふるい分けさ。 言っただろう、この封印は人族には勿論、屍族の手にすら余るシロモノだと。 あの程度で死ぬようならそれまでだったというだけさ」

「それ程の封印を解呪できる者が、このアルル=モアに居るというのかえ?」

 ミュークは半信半疑で言葉を返す。
 “魔術師”の血統であるオルカザード家の屍族が持て余す程の封印である。 彼等以上に古代文明の知識に精通する存在など、西大陸中を探し回っても、見つけ出すのは至難の業だろう。 知的種族に限定するならば、既に滅び去ったとされる巨人族か、世界から隔絶された楽園に住まう妖精族の二種族しか該当しないのだから。

「居るはずさ。 この遺跡の外壁に施されていた封を破った者が存在するのだからな。 そして、アルル=モアの調査団が、玄室の扉を開こうとするならば、必ずそいつのチカラを再び頼ることに―――ん?」

 不意に口を閉ざしたラグナウェルの視線が、警戒するように石室の東這入口に向けられる。

「ああー! ミュクミュク!?」

 拍子抜けする程、緊張感に欠けた声。 その場の視線が唐突に登場した人族の少女に集中する。

「また、ややこしいところに現れおってからに……」

 ミュークが慢性疾患となった溜息をつく。
 そんな気苦労も何処吹く風、当のプルミエールはおでこに手を当てて、石室内を物珍しげにキョロキョロと見渡していた。 一人で現れたところを見ると、他の護衛兵を振り切ってきたらしい。

「見なれない顔がひとつ、ふたつ―――むむ、あれは!?」

 と、何かに気がついたプルミエールが不用意極まりなく走り出した。 止める間も無く、台座をよじ登り、オルカザードの血脈者たちの目前で立ち止まる。 オルカザード家の屍族たちが、あまりに無防備なプルミエールの姿に警戒して、迎撃を躊躇っていた。

「な、なに、この子?」

「やっぱりシャル姉さまの首輪です」

 プルミエールが、尻込みするラールウェアの首元で輝く装飾具をまじまじと観察して一言。

「なんじゃと!? あれが聖霊環なのかや」

 ミュークが驚きの声をあげる。
 聖霊環―――霊環アシュタリータは女神メナディルの祝福を授かりし三神具のひとつであり、アルジャベータの遠き子孫でもあるリュズレイ家に代々伝わる秘宝である。 他の二神具とは違い、呪具としての側面もあり、一度、聖女の資質を持つ者が身に着けると、一定の因果を踏まない限り、決して外すことが適わないという。
 つまり、この場にアシュタリータが在るということは三つの可能性を暗示していた。 一つ目は、シャルロットが既に存命していない可能性。 二つ目は、霊環に関する伝承が偽りである可能性。 そして三つ目は、明かされた真相を裏付ける通り、シャルロットに聖女足る資格が無かった場合である。
 どちらにしても、ミュークにとっては甚だ都合が悪く、オルカザード家がシャルロットに接触しているのらば、一つ目と三つ目は同時に満たされている公算が高い。

「もしかして、この子って、シャルロットちゃんの妹なのかな?」

「うにゅ、プルとシャル姉さまはタダならぬカンケーなのです」

 ラールウェアの疑問に、プルミエールが只ならぬ程、平らな胸を反らして答えた。

「こいつはいい。 アダマストルの王族が向こうからやってきてくれるとは傑作だ。 俺と同じく運命を狂わされた偽の第一王女は見逃したが、それ以外の奴等は容赦しない。 生きながら八つ裂きにしてやる」

 ラグナウェルの顔から理性という名の皮相が滑り落ちて、壮絶な哄笑が放たれる。 蒼白い顔には、淫靡で昏い影が浮かび上がっていた。

「うにゃ!? なんですかっ!!」

 蛇のように伸びてきたラグナウェルの手指を、プルミエールは寸でのところで飛び退って躱す。 少女の幼い肌が悪寒から粟立っていた。

「マズいの……」

 ミュークがルムファムに目配せして、状況の打破を試みようとする。

「邪魔はさせないよ」

 ―――氷蔦縛鎖

 ラールウェアが瞬時に展開した氷雪術式を紡ぎ放つ。 台座へと駆け寄ろうとしたルムファムの足首に無数の氷蔦が絡みつき、行く手を阻む。 屍霊術に疎いルムファムには効果的であった。 自力で解呪できない以上、肉体的な力のみで縛めを解くしかない。

「お子様はそこで見学だよ♪」

「……」

 動きを封じられ、ルムファムが下唇を噛む。

「ルム、駄目じゃ」

 ミュークが制止の声を上げる。 ルムファムが両脚を戒める氷蔦を力任せに引き千切ろうとしていた。 細い両脚の生皮が割け、痛々しいほどの傷口を晒している。
 その間にも台座の上では、ラグナウェルが逃げ回るプルミエールを弄ぶように追詰めていく。

「プルミエール嬢は其方が慕うラグナウェルの異父妹ぞ。 手荒な真似は止めさせるのじゃ」

「それはラグナウェルお兄さまが決めること。 アタシやミュークお姉さまがどーこー言う問題じゃないよ」

 ラールウェアはあっさりと首を横に振り、切羽詰ったミュークの訴えを軽く受け流す。
 小さく舌打したミュークが台座を見上げた時、

「ガキを甚振るのは好みじゃないんだがな。 もっとも―――」

 地を這うように追いすがったラグナウェルの左足が振り上げられて、プルミエールを顎下から打ち抜く。 少女の身体が宙を舞い、台座の上で数回弾み動かなくなる。

「俺という存在を生み出す因となった血族が相手なら話は別だ」

 ラグナウェルは失神したプルミエールの双結いされた髪束の一方を掴み、無造作に掴み上げる。 吊り上げられたプルミエールの口端から赤い筋が伝い、少女のなだらかな膨らみへと滴っていく。

「プルミエール嬢……」

 その様子を視界の端に捉えたミュークが血を吐くような声音を漏らした。

「さて、お愉しみは後にとっておくとして、残りは」

 ラグナウェルの嗜虐に彩られた狂眼がミュークを射抜く。

「ウィズイッド家に関しては、没落したまま無様に生き恥を晒すことも報復の一環だと考えていたが、気が変わった。 俺の復讐の障害と成り得る芽は早めに摘んでおくとしよう。 アーネル、お前の刃で禍根の根を絶て」

「はい」

 返しの声は、ミュークと双子の背後から聞こえた。

「レム、後ろじゃ!!」

「へっ?」

 呆然と佇んでいたレムリアの背後に燃えるような赤髪の娘が立っていた。 右手に握られた漆黒の刃が振り上げられ、

「貴女方に恨みはありませんが、我が主の為に滅んで戴きます」

 血飛沫が跳ね―――続けて、重たいものが石床の上に落ちる。 それは鮮血に塗れた左腕だった。



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