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3-12【凶刃】


初稿:2011.04.01
編集:2023.10.02
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※月ノ章の本編です

3-12【凶刃】




「あ、あれ、無事?」

 石床の上に倒れこんだレムリアが自分の体を見回して不思議そうに呟く。 だが、視線を正面に戻して―――

「あ……あぁ……」

 その理由を知り、言葉を失う

「配下の屍族一人を助ける為に、随分と高い代償を支払いましたね」

 アーネルと名指しされた赤髪の屍族の娘は、正面に佇むミュークの右肩―――空になった長衣の袖口を見やる。

「そうでもない。 腕一本でレムの命が賄えるのならば安いものじゃよ。 それと断っておくが、レムは従僕などではなく、ワチキにとっては家族のようなものじゃ」

 ミュークは常人なら意識を失う程の激痛に耐えて不敵に微笑む。 売り言葉に買い言葉ではあるが、らしからぬ台詞を吐いた自分に内心では驚いていた。

「ボ、ボクのせいで……」

 しかし、庇われた張本人にそんな余裕はない。 レムリアは右腕を失ったミュークの姿に放心状態だった。

「これはワチキの油断が招いた因果じゃ。 それにこの程度の怪我、痛くも痒くもない」

 ミュークは要らぬ気遣いだと云わんばかりに平然と返す。 確かに四肢を一本失った程度で屍族が絶命することはないが、痛覚は人族と同様に内在するので、後者は単なるやせ我慢である。 それが証拠にミュークの顔面には大量の脂汗がふつふつと浮き上がっていた。

「屍族らしからぬ人間臭さですね」

 アーネルの物言いは、感心とも皮肉とも取れた。 若しくは、ミュークのお人好し振りに、半ば呆れているのかもしれない。

「悪いかや?」

「いいえ、そういった非生産的な生き方も、私は嫌いではありません。 ですが、どちらにしても無駄なことです」

 微かに緩めた口唇を、再度引き締めると、アーネルは血刀を正眼に構えた。 凄まじいほどの鬼気がミュークの心臓を鷲掴む。 明らかに一介の屍族が放つ風格ではない。 大屍族若しくは、それに準ずる力の持ち主であると見て取れた。

「其方ほどの使い手がなぜ、オルカザード家に傅いておる?」

「それは私が既に死人であるからです」

 端的な言葉と共に踏み込んだアーネルの黒刃が、ゆるやかな弧を描いて一瞬前までミュークが居た地点の空気を薙ぐ。 咄嗟に前方に一回転して、斬撃を掻い潜ったミュークは、這入口に置き去りにされていた護衛兵の長剣を掴み取る。

「ワチキは頭脳労働担当なのじゃがな」

 剣術の嗜みが皆無に等しいミュークは、ぎこちない手つきで長剣を構えた。 彼女の継承する血統アルカナは“女教皇”と“運命の輪”である。 生憎とどちらも実戦向きの能力ではなく、どう都合よく見積もっても、目の前の屍族の娘に通用するとは思えなかった。

「くっ」

 刀身が激突して火花が弾ける。 掌から伝わる衝撃にミュークは長剣を取り落としそうになるが、奥歯を噛み締めて必死に持ち堪えた。 更に立て続けに、二合、三合と、刃を打ち交わす。 全身全霊を奮い護りに徹していたが故の奇跡的な善戦であった。
 驚くべきことに、更に数合打ち交わした後、アーネルの剣勢が唐突に止む。

「……?」

 アーネルが柳眉を顰めてミュークを正視する。 こと戦闘面に関しては、完全に格下と踏んだ相手の思わぬ抵抗に状況を計りかねたようだ。 もっとも、この事実に驚きを禁じえなかったのは、素人同然の技倆の持ち主であるミュークも同様である。
 そして、その理由を敏感に察知したのは、アーネルと直に刃を打ち交わしているミュークだった。

「そのように鈍らな太刀筋ではワチキどころか、赤子すら殺せぬよ」

 ミュークは舌鋒鋭く言い放つ。 思えば最初から、アーネルの剣には殺気と呼ばれるものが存在しなかった。 彼女が本気なら、レムリアが背負うべき難を肩代わりした時点で、ミュークは斬り斃されていた筈だ。
 無論、ミュークにもその言葉ほどの余裕はない。 一瞬でも気を抜けば立所に命を失うことになるだろう。 故に相手の心を掻き乱す舌戦を講じて、勝機を見出そうと試みたのだ。

「私の剣に迷いがあると?」

「その答えは其方の胸裡にこそあろうよ」

 ミュークが理非を問い真理を質す。 同時に、“記憶探知”の能力で探りを入れようと試みたが、出血の影響で精神の集中が儘ならず断念する。

「似非宗教者の真似事ですか」

「其方の心に疚しいところがなければ、気にするところではない」

 よって、詐欺師紛いの口述を選ばざるを得なかった。
 もっとも、このやり取りは第三者にとっては酷く退屈なものだったようで、

「アーネル、いつまで遊んでいるいるつもりだ。 契約を忘れたわけではあるまい」

 台座の上から、ラグナウェルの言葉が冷然と降りかかる。
 直後、アーネルの身体が冷水を浴びせられたように、びくりと震えた。

「……わかっています。 これが報いならば、この身が地獄の業火に焼き尽くされるその日まで、どのような不義も甘んじて背負いましょう」

 アーネルはきつく唇端を引き結ぶと、静かに黒刃を納刀して、右膝を落とし抜刀の姿勢をとる。 深々と練り上げられた剣気が加速度的に膨れ上がっていく。

「厄介なことじゃな」

 ミュークは二重の意味を籠めて心情を吐露する。 アーネルがなんらかの葛藤の内にあることは、心を読まずとも理解できた。 そして、これから放たれる一刀が必殺のものであること。 加えて、己にそれを防ぐ術がないこともだ。
 だが、逃げることは適わなかった。 今、ミュークが敵前逃亡すれば、それ即ち、双子の死に繋がるからである。 故に、萎えそうになる気力を無理矢理に奮い立たせていた。

 ―――突然の大音響が墓地遺跡に轟いたのはその時だった。

 見る間に黒煙が濁流の如く石室を呑み込み、爆ぜる硫黄と硝石粉の焦げる臭いが辺りに充満する。

「がっ」

 異様な夜気が吹き付けて、ラグナウェルの胸元から鮮血がしぶく。 見れば、背中から肺腑を貫いた白銀の杭が右胸に先端を覗かせている。
 ラールウェアが黒煙を掻き分けてラグナウェルの元に駆けつけるが、

「ラグナウェルお兄様―――ひっ……な、なんでアンタがここに?」

 悲壮な叫びをあげたラールウェアの視線が、片膝をついたラグナウェルの背後に釘付けになる。 驚愕に見開かれた両眼に、白尽くめの人影が映りこんでいた。

「決まっています。 お館様の仇を討つ為です」

 白尽くめの襲撃者は紗衣の裾を翻してラールウェアの脇をすり抜けると、台座から飛燕の如く舞い降りて、今度はアーネルと彼我の距離を詰める。 既にその両手には腰元の革帯から抜刀した双剣が握られていた。

「血染めの白屍姫……」

 低く呟いたアーネルが、居合の姿勢を解き、守勢の構えで黒刀を引き抜く。
 アーネルの黒刀と白尽くめの襲撃者の双剣が激突する。 両者の剣域に刃風が巻き起こり、白尽くめの襲撃者の白衣が裂け、アーネルの左頬から紅が散る。 喉元を狙った白尽くめの襲撃者の突き込みを、アーネルは上半身を捻って避ける。 その動きに合わせ身を翻した白尽くめの襲撃者の二本の白刃が、アーネルの頸部を浅く斬り裂く。

「くっ」

 アーネルは後方に飛び退りつつ、追撃を許さぬように水平に黒刃を疾らせる。 だが、無人の空間を縦断した黒刃を嘲笑うかのように、白尽くめの襲撃者は石床を蹴り跳躍していた。 その勢いのまま前宙から強襲する双刀を、アーネルは黒刃を翻し跳ね上げる。 空中で体勢を崩した白尽くめの襲撃者が、石床を転がるようにして距離をとった。
 三振りの刃から絶え間なく火花が舞う、激烈な一騎打ちであった。

「これは……」

 ミュークは両雄の凄まじい剣戟に息を呑んで立ち尽くしていた。 アーネルは元より、もう一方―――声質と胸元の柔らかな曲線から女性体だろうが、其方も恐るべき手練といえた。
 その時、攻防の空隙―――僅かな隙間を縫って、白尽くめの襲撃者の視線がミュークへと向けられる。

「離脱します」

 呆気にとられたミュークへと、出し抜けに言葉が投げかけられる。

「待つのじゃ……其方は?」

「話は後です」

 そして、有無を言わさず―――纏った白紗をアーネルの視界を覆うように脱ぎ捨て牽制を謀る。 続けざま、既に構成済みだった炎系の屍霊術でルムファムを縛る氷蔦を焼き払っていた。

「すまぬ、プルミエール嬢。 ふたりとも行くぞよ」

 ミュークは、僅かな逡巡の後、苦渋に満ちた顔で黒煙に包まれた台座に背を向ける。 そのまま、残存する葛藤を振り解くように長剣を投げ捨てると、腰を抜かしたままのレムリアを拾い上げて走りだした。

「う、腕が」

「残念じゃが回収している暇はない。 今はファナ殿の恩恵に預かり逃げ延びるのが先決じゃ」

 白紗衣の下から現れた顔はミュークにも見覚えのあるものだった。
 ファナ=ローズオリビア―――オルカザード家十七代目当主ルドルフの屍血姫の片割れ“不死の闇姫”であった。



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