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昭和60年(1985年)6月18日午後4時半頃、大阪北区のマンションで殺害事件は起こった。テレビカメラを含め報道陣が30人いた。この報道を私はテレビで見ていた。(この2か月後に日航機の墜落事故が起こっている)
犯人は飯田篤郎(56)と矢野正計(30)である。殺害されたのは永野一男(32)豊田商事会長、今のホリエモンと同じ歳である。 めった刺しにされた永野の治療に当たった主治医のインタビューがテレビで流れた。記者は執拗に様態を聞く。医者はあきれたように頭蓋骨陥没とか、症状を言っていたが、言外に「命が助かるわけないだろう!」と記者をなじる感じであった。 事件翌日の産経新聞に公明党・草川昭三代議士の談話が載った。 「マフィアの口封じですね。2500億円、経費に7〜8割り消えたとしても800億円残る。どこに流れたんですかね。永野が若造だから殺された・・・」 安部さんの意見。 <草川さんは政治や創価学会には詳しいかもしれないがマフィアに関しては素人同然だ>しかし、多くの日本人は当時、安部さんも含め、皆が草川さんと同じような受け止め方をした。 しかし、我等が渡世人・安部譲二は違う。独特の情報分析が始まる。 誰かが殺害を彼等2人に依頼するには、この2人実績が無さ過ぎる。また、この主犯の飯田は人から頼まれて人殺しをするような人物ではない。 飯田篤郎の経歴:高等商船(現・東京商船大学)に学び、戦後、裁判所で書記。倒産してしまったが長い間、鉄工所の経営者だった。 矢野はこの飯田の運転手。4年前に仕事をやめている。 この二人、怪しくて凶暴であっても、他人が<信頼>して殺人を依頼するような人物ではない。 飯田の気持ち、安部さんは良く分かるという。エリートで今頃、船長になっていたかもしれない、人一倍自尊心が強い。鉄山人と称して新聞に投書。「まことむすび誠心会」というのを創るが会員ゼロ。 安部さんは<自分は若気の至りで日本航空を首になり、任侠でも総長はおろか組長にもなれなかった> 酒は気違い水、酒の勢いでたまたま来ていた矢野を伴ってタクシーで永野のマンションに行き気炎を上げた。ここまでは良くある酔っ払いの戯言だった。 それが殺人事件となり飯田は懲役10年の刑となる。 酔っ払いの<戯言>から<殺人>事件になるような<外力>が働いたことになる。その外力とは、安部さんの解説である、報道陣の<野次>である。 飯田はガンガン、ドアを叩いてがなりたてていた。矢野は側で立っているだけ。その矢野に報道陣から野次が飛んだ。 「なんだ、おまえ、ただ、立ってるだけか」 「窓から入れるぞ。やっつけに来たんだろう」 この矢野が窓から入るところテレビで報道されていて、私も見ていた。確かに、矢野に指示している声がした。矢野は「分かっているよ」とその声に怒鳴り返している。 そして、飯田が白目をむいた血だらけの永野をドアから出してきたのだった。そして、病院の医者の声となる。記者が執拗に永野の様態を聞いていたわけだ。 傷害教唆になるか、殺人教唆になるか、大学で法律を学んでいる記者達だ。自分達がやったことがどれほどの犯罪であるか、十分自覚しているはずだ。そして、新聞社はこの犯罪・殺人教唆という犯罪を隠蔽した。 安部さんは言う。自分は14歳になったら少年戦車兵になって、靖国神社に祭られると決めていた。それは大新聞やNHKラジオに煽られたからだ。単純な矢野が煽られて永野を殺害した。 無責任にけしかけ煽り立てるのは昔からのマスコミの手馴れた手口である。 今、マスコミは何を煽り、国民を死地に追いやろうとしているのか? 我等が渡世人・安部譲二の告発は続く! │<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |
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