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ガードマンのつづる日常

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2008.06.21
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テーマ:たわごと(26711)
カテゴリ:暮らしの中の易学
【夏至・皐月18 / der 21. Juni (Samstag)】

 週刊新潮に池田晶子のコラムがあった。時々、読んでいた。

 私は昔からゴミ焼き係だった。大抵の家には小さな焼却炉があって、紙くずは燃やすのが普通だった。それが、ダイオキシンとかいって、燃やせなくなった。

 建築現場の仕事でも私は焼却係だった。大きなドラム缶で大抵のゴミは燃やした。7、8年前から、現場でも分別で、燃やせる(可燃)ゴミと燃やせない(不燃)ゴミに分けて、コンテナに捨てるようになった。

 で、この可燃・不燃の区別・基準が問題になってくる。燃えるからといって、そこから有毒ガスがでるようでは不燃になる。警備員がこの説明を職人さんたちにしなくてはいけない。

 「何でだ? セメントの袋、紙だから燃えるよ!」と職人さんは言う。私もそう思っていた。しかし、左官屋さんの親方の話だとセメントが付着しているので燃やすとまずいという。詳しい事は分からない。

 可燃:燃えるもの→燃やしても有毒ではない。 不燃:燃えないもの→燃やすと有毒なもの。という分けかたの基準があるのだった。

 こういうやり取りを現場でやった日、週刊新潮で池田晶子のコラムを読んだ。池田さんが憤っている。「燃えるのに何故、不燃ゴミなんだ?」という。職人さんと同じレベルの怒り。

 人それぞれ、得意分野がある。素人感覚もまた、新鮮で貴重だけれど、「この人、哲学していないな~」という印象を持った。

 五行では木火土金水といい、ターレスも元素の循環を説いた。ゴミの分別は哲学にとっては、貴重な教材である。

 池田晶子はこの程度かと、その時から思っている。





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最終更新日  2008.06.21 06:50:50
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