「クローバーナイト」辻村深月を読んだ
『VERY』に連載された,子育てをテーマにした辻村深月の連作短編集を読んだ。〇ストーリー会計事務所に勤める鶴峯裕の取引先の会社の社長夫人が,ある悩みを持ち掛けてきた。彼女は職場復帰をしたいのに保育園の受け入れ先が無く,いっそ極端な手段を取るべきかどうか?鶴峯夫婦は,自分たちの体験を語り,彼女の精神的な負担を和らげようとする。悩んでいる夫人とは一方に,この状況を利用して別の動きをする勢力があり・・・------------鶴峯家は夫が公認会計士,妻が起業した高級肌着ブランドの社長だ。これを前提に,”フツーの子育て話”が進む。うーん?この設定のどこが普通だろう?だが連載誌が『VERY』でセレブ指向が強い読者層で,上昇志向が強い辻村深月の作品なので,そう言う事で物語はひたすら進む。だから夫の年収1,500万円,妻の年収1,000万円+経費処理300万円が,想定される設定であっても,それで主人公たちが「僕たちフツーの夫婦で苦労しています」と言っても,オホホアハハと納得して読むことが,この作品への正しいアプローチとなる。まあ,セレブ指向の人はともかく,フツーの人にこの作品への共感は無理だろう。------------とは言え,そこはデビュー作を含め,同人誌っぽいミステリーの頃から辻村深月作品を読んでいた僕なので,この中から自分が読める部分を切り取ることは可能だ。5つの短編は,保育園ママ,ホカツ,入試,誕生日会,子供の発育,と,子育てをしている人ならば直面する問題を順番に並べているようなものだ。そのほとんどは『ママはぽよぽよザウルスがお好き』を初め,コミックやエッセイで語られた内容で,目新しさは正直薄い。ミステリー畑の作家が,自分が子育てをしたからと言って,訳知り顔でそのジャンルのノウハウ小説を書いている。微妙にゆるーい,日常ミステリーを絡めているのが,言い訳っぽくて余計にイライラする。・・・と,4つの短編までは我慢我慢で読み進んだ。すると最後にようやく生々しい感情が見える短編があり,なんとか我慢した自分が報われたという気分になった。多くの読者が,途中でギブアップしたと言っているが,最後の短編だけは雰囲気が違うので読んでみてもらいたい。いっそ,最初の短編の次に,最後の短編を読んで,終わりにしてもいいと思うくらいだ。------------背伸びをしつつも,基本的には自分の身の回りの世界を作品に反映してきた辻村深月としては,当たり前の帰結なのかも知れないが,とうとう自分だけでなく子育てを作品のテーマにしてしまった。気になるのは,これまで弱者の立場で,高校,大学,就職,親子の主人公たちの物語が語られていたのに比べ,この作品では堂々と勝者の立場のロジックが語られている。子育てのトラブルをテーマにしたミステリーは,加納朋子の〈セブンシリーズ〉を含め,世の中にいくつも存在する。辻村深月の作品が,子育て小説,ミステリー小説として,新しい価値観を提供しているか?と問われると,かなり否定的な立場を取らざるを得ない。『VERY』の信者,あるいは僕と違う立場の辻村深月の信者以外には,なかなかオススメは出来ない。------------各編について簡単に感想を述べる。「イケダン、見つけた?」:小さな会計事務所に勤める裕は,起業し仕事を持つ妻・志保と一緒に,保育園に通う4才の長女,2才の長男を育てている。そんな中,転園してきたママの怪しい噂が流れ・・・導入編とは言え,主人公家族の自己肯定が強くて当てられる。家をプロにクリーニングしてもらって,ママは取材前にプロにメイクしてもらって,それがフツーですかい?その上,生徒会長的なこともやっちゃうって,スーパーヒーローだよね。さすが『VERY』。「ホカツの国」:裕の取引先の社長夫人が,職場復帰をしたいのに保育園の受け入れ先が無くて困っていた。鶴峯夫婦は,自分たちの体験を語り,彼女の精神的な負担を和らげようとするのだが,この状況を利用して別の動きをする勢力があり・・・ひじょうに情報が豊かな短編ではあるのだが,その後の事件となる状況が,豊かな家庭でしか出来ない行動なので,ゲッソリする。さすが『VERY』。「お受験の城」:裕が偶然出会った大学時代の共通の友人・由衣は,有名幼稚園に娘を通わせていた。小学校受験に向けて準備万端のように見えた彼女は,ある時から幼稚園で孤立するようになる。その真相とは?・・・鶴峯夫婦,由衣,さらに友人1人,という構成で〈お受験〉を語らせ,ある謎について膨らませる,という意味ではさすがの筆力だ。でもだんだんとリアリティが無くなる。「お誕生会の島」:他の幼稚園から転園してきた少女の母親は,元有名モデルだった。鶴峯夫婦はなんとか,このわだかまりを解きたいと思うのだが・・・ミステリー要素としては一番大きかった短編かもし知れない。だが,その解答はほとんどファンタジーの世界で,さすがの『VERY』でもこれは「おかしい」となるんだ,というモノサシにしかならない。これまでギリギリ身近なネタだったのに,不自然な転園生を用いるあたり,ネタ切れということを感じる。母親の行動は,今ならば親たちのSNSでの情報漏洩を阻止するための,個人情報の保護が目的だと思ったけれど,そこまでは執筆の頃は問題では無かったのだろうか?「秘密のない夫婦」:外国出張中に不自然な行動があったという志保。それを知らされた裕が,考えた末に志保に問いただしたこととは?・・・うわ,理想的な旦那。相変わらず鼻につく作品世界なのだが,この短編だけは,ちょっとぐっと心に来た。まずは主人公・鶴峯夫妻の問題であり,彼ら(正しくは妻がだが)が悩んでいる現在進行形の問題であるということ。次にこれまでの短編の伏線を回収を,かなり薄味だったとは言え,行っている短編であること。そして,鶴峯夫妻と子供,というこれまでのテーマではなく,鶴峯夫妻と親という別の方向で,そして生々しいテーマを取り上げていること。ずるいと感じるほど見事なレトリック,そして心にぐっと刺さる普遍的なテーマ,これこそ辻村深月の作品だ。最後の短編で,ようやく本来の魅力を発揮してくれた。・・・でも掘り下げもタイミングも,遅い。ダメだろう。読むほどに枯渇を感じる。自分の身の回りを消費しつくした後に,この作家はどこに行くつもりだろう?