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チェコ国旗スロバキア国旗


チェコロゴ





古代より多民族が入り乱れ支配を繰り返してきたが、第1次世界大戦後にオーストリア・ハンガリー帝国が崩壊し、民族自決の理念のもとチェコスロヴァキア共和国の独立が宣言された。1935年からナチス・ドイツの圧迫が強まると、1938年にミュンヘン会議でズデーデンをドイツに割譲し、1939年にはボヘミアとモラヴィアがドイツに編入され、スロバキアはドイツの保護国とされ、チェコスロバキアは地図から姿を消した。
第2次世界大戦後にはチェコスロバキア共和国が復活した1948年のクーデターで、共産主義政権が成立し「人民共和国」となった。1960年には「社会主義共和国」に改名した、しかしスターリン的抑圧に対する、不満が爆発しノヴォトニー政権はたおされ、ドプチェク政権が誕生。「プラハの春」と呼ばれる自由化・民主化路線が布かれたが、これに対してソ連を含むワルシャワ条約機構5カ国の軍が介入。フサーク政権が樹立された。
1989年からの「ビロード革命」によって共産党体制は崩壊。翌1990年には複数政党制による自由選挙が行われた。1992年6月の選挙では民主スロバキア同盟が勝利したため、チェコとスロヴァキアの分離は決定的となり、1993年1月にチェコスロバキアはチェコとスロバキアに分離(ビロード離婚)した。
(ウィキペディアより)



プラハ
聖ヴィート大聖堂
プラハ1
大聖堂ステンドグラス
 

プラハ城を遠くから眺めるとまっ先に目につくのがプラハ最大の教会、聖ヴィート教会。前に立つとその迫力に圧倒される。もともとは10世紀初頭にロトンダと呼ばれる円筒形の簡素な教会から始まったのだが、14世紀にカレル4世がゴシック様式の壮麗な建物に建て直し、その後も何度も改築されて、完成したのはなんと20世紀に入ってからだ。バロック様式、ネオゴシック様式の部分が一部見られるのも完成までに長い時間を要したためといわれている。壮麗な外観も素晴らしいが、内部の美しいステンドグラスも見逃せない。



カレル橋
カレル橋
カレル橋の上
 
聖ヤン・ネポムツキー像


カレル橋
カレル橋とプラハ城
カレル橋:ブルダバ川に架かる幅約10メートル、長さも500メートル以上ある大きな橋で、14世紀から15世紀にかけて造られた。車が通行できないため、散策する人だけでなく、土産物を売る人や大道芸人なども集まり、橋の上は1日中賑わっている。橋の左右の欄干には15体ずつ聖人像が立っているが、これは橋が完成したずっと後になって付け加えられたもの。一番最初に建てられた聖ヤン・ネポムツキー像の台座に掘られているネポムツキーに触れると幸運に恵まれるという言い伝えがあり、そこだけみんなに触られてつるつるに光っている。




王宮1
王宮2
王宮正門
 
 




プラハ時計
プラハ1
旧市庁舎・仕掛け時計
 
ティーン教会 




プラチスラバ
********プラチスラバ城******************

スロバキアの首都、プラスチラバのドナウ川沿い小高い丘の上から市内を見下ろすプラチスラバ城は、四角い建物の四隅に塔があるという独特の外観をもつ。12世紀には石造りの城が建っていたというが、その後ゴシック様式の城に立て替えられ、17世紀にオスマン・トルコの侵入に備えて4つの塔が付け加えられた。
18世紀にはハプスブルク家の女王でマリーアントワネットの母でもあるマリア・テレジアの居城ともなっていた。場内には歴史博物館や楽器・音楽博物館もある。






スロバキア2
スロバキア1

教会1
教会2



クラウンプラザ

宿泊:クラウンプラザホテル プラハ






人形

マトリューシュカ人形をクリック:ハンガリーへ











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