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 小さな不動産会社のBOSS日記

小さな不動産会社のBOSS日記

青春時代その3

財産なりし我が青春~胸いっぱいの幸せ

振り返れば、充足感に満たされ送った日々と、必然的出逢いというものに恵まれた青春時代。

真夏、古い木造家屋の屋根瓦を焦がして陽射しは室内まで攻め込み、
窓を開け放って、ランニングシャツ姿に、手にした団扇(うちわ)でばたばた顔に風を送りながらも、いっこうに火照る身体は癒せず、いまどきのように扇風機もエアコンもない時代に、しかし板塀の向こうに見える青空は素晴らしく心地よい風景だった。

梅雨の季節、瓦を強く打つ長雨も、地面に伝い落ちる雨だれの音も、それはそれで心地よく耳に響いてくる。

例えば冬には、閉めた戸のあちこちから吹き込む寒風に、できるだけの着込みをして身を縮めながらも、小さな炬燵ひとつで温もりは必要十分に感じることができた。

直径1M弱幅程のポリ製のたらいは、洗濯に行水にと、結構便利に利用し、家賃4,500円、四畳半の我が部屋はパラダイスだった。

関係者に迷惑を掛け、親に甘えての学生生活は、緩やかに流れていく四季の移り変わりのなかで、それなりに個人の成長過程での精神のぶつかり合いはあっても、気持ちだけは真っ直ぐ突き進み、何はなくとも私の心は幸せな充足感で満たされていたのだ。

友のなかでもKさんには特にお世話になった。
Kさんは一期後輩になるのだが、私より年上だった。

ある年の瀬。
帰省できずに年を越す事になった私。
同じく留まることにしていた彼は、食べるものにも窮していた私に、

「○○さんうちへ来ませんか、食べるものを用意しておきますから・・」
いつもの飾り気のない、しかしとても優しく温もりのある口調で声を掛けてくれたのだ。

彼の部屋に行くと、彼は仕入れてきたという一匹の鯛を七輪の上で焼き始めてくれた。
やがて焼きあがった一匹の鯛。
彼はその鯛に真半分に箸を入れ、笑顔で、そしてやっぱり穏やかな優しい口調で私に勧めてくれたのだった。
アパートの一室で過ごす二人の贅沢な新年だった。

私も彼も、巧みに言葉を流していけるタイプではなく、だからこそ、ぶっきらぼうなやりとりがまた程よく互いに気を使わなくて楽であった。

ぼそぼそと、Kさんが発する言葉には、いつでも気持ちがこもっていたし、Kさんは何より人としての懐の深さを持っていて、今以上に精神的に未熟だった私はというと、振り返っても恥ずかしくなるほどの接し方しか彼にできなかったのだ。
そして、後輩ながら年上のKさんは、そんな年下の私をいつも広く優しい心根で立てて付き合ってくれたものだ。


バイトに明け暮れ、時にチキンラーメンをかじりながら、そして大失恋も経験しながら・・

そう、その失恋に打ちひしがれている私をみた先輩が、先輩の彼女に頼んで紹介してくれたのが、今の・・といっても今も昔もひとりだけ。”^_^”
妻だった。

深く考えもせず、紹介者の顔を立て、まあ気楽な気持ちで真面目な青年?に会って見ただけの妻。

私は、まるで観音様に出会ったようだった。”^_^”
慈愛に満ちていた。

そりゃそうでしょ。
何せ、日々の食事に困っていた私に差し入れをしてくれるのですから。
きゃい~~ん きゃい~~ん。
私は、犬が尻尾を振って餌を与えてくれる人に懐くように・・。

まあしかし、妻からすればこんなはずではなかった。
まさか、貧乏学生を紹介されるなんて。^_^;

だから、適当なところで私から離れるつもりだったらしい。
これ事実。

結婚間際まで妻がそう思っていたとは露知らず。
随分とお気楽だった私。

まあ、なんだかんだ言って、私は、その後、妻の家にも頻繁に出入りさせてもらいながら食事にありつきながら、両親にもよくしていただいた。

内気で遠慮屋のところがありながら、結構厚かましいところもあった私。
口数少なく多少他人の家に気を使いながらも、しかしまるで我が家のように内心寛いでいたものだ。

妻の家庭の団欒は、私にとって実に居心地よかった。

やがて、県外に就職し、これで厄介な私とも縁が切れると思っていた妻の期待をまんまと裏切って、私は数々の就職試験に失敗しながら妻の近くを離れることはなかった。
私ラッキー。妻アンラッキー。(^^♪

その後も私は、妻の世話になりっぱなしだ。


よく言うのだが、人生何が幸いなのか。

私は今でも本心で思っているのだ。
中途半端に頭が良くて中途半端に進学して、
あるいは飛び切りの頭脳を持っていて地位のある職に就こうと、決して得ることのできないものがあると。

例えば一見マイナーな道程を歩いてきて本当によかったと。
未熟だらけのこの私の心で、あちこちぶつかりながらも、私は私なりに、多くの真の充足感を持ちながら生きてこられたのだから。
それはもう、どんなに考えても、何にも替えがたい必然的素晴らし出会いであったと確信できるものだから。


人間は、心の捉え方ひとつで、ほんの小さな事にでも幸せを見出せるもの。
いつも、いつも、満たされない日々を送ることしかできない人は、その尽きない欲望に、常に眼前の事象に翻弄されながら、人生における真の価値も真の幸せにも気づくことなく、また出逢うこともなく大切な人生を後方に流している。

人を観、不変の価値を心に捉えることができるなら、悠久の幸せに必然的に出逢うことができるだろう。


ガスを止められ炊く米もまたなく、四畳半、四千五百円の間借り生活も、何度振り返っても私には、ひもじい生活印象は全く甦ってこない。
真夏の暑さも冬の寒風も、友を初め多くの出逢いも、その経験は、有難いことに十分過ぎる精神の滋養として財産として、今も、心のじょうろからその都度決して尽きない価値ある栄養素を、様々な場面で必要に応じて注ぐ事ができるのだ。

名誉も地位も物質的財産はいつか尽きるもの。
それに比べ養分を蓄えた心の財産は尽きることもなく、いつでもどこへでも身軽に持って行くことができる。

私は現在、まるであの学生時代と変わらぬままの気持ちで、つましくとも極上の、私なりの幸せを感じながら、のほほんと日々を過ごさせてもらっている。

人の本質は人生を生きるなかでそう変わらないものであろう。
元来そのようなところがあるから、経営を含めての「生きる」という強さには正直欠けているかもしれないけれど、結構これでやや身勝手な私は満足なのである。

落ちこぼれでよかった。
それなりの困難もあってよかった。
それなりの、しかし素晴らしい幸福感もよくわかる。

回りまわった人生でよかった。

貧乏生活は、極上の出逢いを私にもたらしてくれた。

私になかにあるのは、これらの小さな出来事のひとつづつを、必然的財産と捉えながら感謝する気持ち。

妻とも出会うことができた。

人にはその人に合った魂の出逢いが必ず存在する。
物事を人を心眼で観れる自分自身でよかった。
どんな頭脳明晰より、これはもう両親がくれた一番の私へのプレゼントだろう。


あの学生時代。
警察食堂の通い帖に溜めてしまった一食180円の焼肉定食の5千円か7千円のつけ。
払えなかった私は、結局その後払うタイミングを見失い、今に至っている。

いつだったか・・
夏期休暇に帰省していた私に、その食堂から暑中見舞いの葉書が届いた。
葉書には、払えないでいるそのつけのことには一切触れず、しかし、決して含みのある嫌味な請求もなく、
丁寧に「お元気ですか?・・季節柄ご自愛ください・・また元気な姿を見せてください・・」云々と、ただそれだけ書かれてあった。
私は、申し訳なさと何をどうできないジレンマを辛く心に持ちながら・・

そして、私をそっと免除してくれたに違いない家族経営のその食堂の家人達の心。

私は三十年を過ぎた今でも、遠く過ぎた青春の日の、これら小さな出来事と出逢いを、時々思い出しながら、それぞれに永遠の感謝の気持ちで、何物にも替えがたい私の大きな財産として持ち続けているのだ。


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