ブログを作る※無料・簡単アフィリ    ブログトップ | 楽天市場
378701 ランダム
電車に乗って (そのほか)楽天ブログ 【ケータイで見る】 【ログイン】
小さな不動産会社のBOSS日記

PR

Calendar

June 2012
SMTWTFS
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<backthis monthnext>

Keyword Search

Favorite Blog

顔心の故郷特別号 New!よびりん♪   さん

顔よびりん語録 New!よびりん2004さん

顔WeFAT!! New!よきんさん

顔『・・・誠心・・・』New!うさぎ仙人さん

顔CM撮影と思わぬ手紙。New!神谷商店さん

顔書かなければ書か…New!ほほえみ塾さん

顔新生活産業事業展…夢楽(むら)さん

顔資生堂の社名の出… 【亞】2さん

顔ものづくり・人づ… 鍛冶屋の息子さん

顔国際ソロプチミス…47弦の詩人さん

Category

Archives

Mobile

m ケータイに
このブログの
URLを送信!

 

小さな不動産会社のBOSS日記

<< 前のページへ一覧

2012年06月04日 楽天プロフィール Add to Google XML

 電車に乗って
[ ドライブ・旅・散策・写真 ]    

午後、自宅から1時間ほど車を走らせて、
2007年度フジテレビ放送「東京タワー」の撮影舞台となった平成筑豊鉄道田川伊田線油須原駅に車を停め、ホームで一時間に1本の電車を一人待ちました。

ローカル線を走る一両編成の普通電車。
乗り込んだ私は、1000円のフリー切符を買い、ガタンガタンゴト ガタンガタンゴト
のどかに田園地帯を走る電車に揺られながら、ボ~っと心ゆるゆるに、流れる窓外の景色を眺めます。

いつもの、やって来る電車を待ちながら撮っていた場所が次々と後方に流れていきます。

乗り込んで来るお年寄り、隣町まできっとショッピングにでもいくのだろう、楽しそうに友達同士わいわいやっている若者達。
それぞれの光景が心地良い日曜日の電車内です。

終点の直方で降り、次の折り返しまでの時間を駅周辺でぶらり。
駅前商店街は完全にシャッター通りとなっていました。

見つけた「たこ焼き大王」の看板につられ店内に。
五個入り270円、八個入り380円。
勿論八個入りを注文しました。

再び電車に乗り、のんびりした自分時間を。

帰り途、まだ飽きずに、田舎道で車を停め、陽に照らされてやって来た電車をパチリ。
好日なる我が日曜日。

油須原駅

6.3_7.jpg

6.3_8.jpg

6.3_9.jpg

6.3_6.jpg

6.3_5.jpg

6.3_1.jpg

6.3_4.jpg

6.3_3.jpg



にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 福岡情報へ
ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。


2011.3.11(金)14:46

Last updated  2012年06月04日 08時02分13秒
コメント(0) | コメントを書く


2012年06月03日

 私の贅沢
[ 徒然 ]    

ラジカセに繋いで聴いていたタイムドメインminiスピーカー。
PCでもウォークマンCDでも十分威力を発揮するこの小さなスピーカー。

ラジカセでもそれはそれは驚きの綺麗な音を出していたのですが、CDの出し入れと微細なノイズを払拭するために、CDレシーバーを買いました。
これで完全ノイズレス。
再生も安定し一層良い音になりました。
ブランドはYAMAHA。
YAMAHAブランドには、昔から派手さとは無縁の品があります。

物も人も品格が大切。
動物にも相、人間にも内面がおのずと相に滲み出ます。
で、決して取り繕うことはできない。
政治家も、観れば誰がどうなのか、人となりは読み取れます。
地位肩書き、容姿など、人間としての大切な本質からすれば塵ほどのもの。

大した能力も才覚もない私が、付いて離れる縁のなかで、幸いにも良き人に恵まれて今日までやって来ることができました。
ただただ読み取るそこだけが取り柄と言えるかな。
私の嗅覚。
犬が犬好きを判るようなものかも。

ふらっと気晴らしにいく山間のJazz喫茶「風の杜」。
ここでしばしコーヒーを飲みながらジャズを聴く。                       
置いてあるアルテックの重量スピーカーは現在価値で100万位らしい。
この空間で発揮する代物で、いい音を出してくれます。
私の部屋がこれ1本で埋まってしまいそうです。

狭い私の部屋は、このYAMAHAのレシーバーとminiが似合います。
音はそれぞれ聴く空間に適したものが宜しいでしょう。

私は贅沢な寛ぎ空間をあちこちに持っています。
自分の部屋、風の杜もしかり、里山風景の中、阿蘇・・
そして究極は、心の中に存在する無限空間。
私は真の価値と贅沢を知っています。
                      
YAMAHA.jpg

mini.jpg

風の杜.jpg



にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 福岡情報へ
ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。

?
2011.3.11(金)14:46

Last updated  2012年06月03日 07時48分54秒
コメント(2) | コメントを書く

2012年06月02日

 はしごライブ
[ 徒然 ]    

昨夜は、知り合いに紹介され、初体験となる落語を聴きに。
場所は小倉駅徒歩3分の所。
年に数度、真打さんを呼んで開催されるのだとか。
此処の1階は日頃「酒処おとぎ噺」として、角打ち風憩いの場所。
場所代を払えば持ち込みもOKなのだとか。
いい感じの大人の溜り場とでもいえる雰囲気だ。

初めての寄席はなかなかよかった。
最初は林家木久扇(旧名初代林家木久蔵)一門弟子の林家きく麿さんの落語。
二番手は寄席史上初の女性紙切芸、林家花(はやしやはな)さん。
軽快で見事な紙切さばきと軽妙なトーク。
十分日本伝統文化を堪能させてもらった。

その後、1階で少し飲んで、知人と花さんと一緒にカサブランカへジャズライブを聴きに。
北九州のジャズライブを楽しんでいただいた。

寄席とジャズ・・
ライブには共通する心地よさがある。

6.1_1.jpg

6.1_2.jpg

6.1_4.jpg

北九州市民寄席



Last updated  2012年06月02日 16時06分20秒
コメント(0) | コメントを書く

2012年06月01日

 エンディングノート(part4)
[ 想い ]    

現代社会においては、親と同居できる環境は少ない。
経済的にも余裕があり、住処としての生活環境に恵まれていれば、やがて年老った親を引き取り同じ屋根の下で暮らすこともできるでしょう。

「一緒に暮らすから来なさいよ」
子に声を掛けてもらえるなら嬉しいですね。
しかし、先行きの不安に、例え長年住み慣れ思いのある地を離れることになろうと、同居より、狭い住処でもいいから居を別にした方がよろしいかと私は思うのです。

親子の関係は、遠く過ぎ去った時代と、我が子が成長し独立して世帯を持った今とは既に違うのです。
子は既に巣立った子。

如何に良好な親子の関係であろうと、生活スタイルは異なり、与えてもらった一室があったとして、やはりどこかしこに疎外感と寂しさが残るかもしれません。
日曜日に家族が出掛けたとして、いつも一緒に出掛けられることもない。
空っぽになった家で一人ぽつんと居残る寂しさもあるでしょう。
同居とは、それらを承知したものでなければなりません。
過大に頼り過ぎない。
親子あっても互いに尊重した間合いを必要とするのです。

理想は、いつまでも元気で自立しておくこと。
年老いても田舎でいまだ一人暮らしで周りに助け合う知人も多くいる。
生活環境の異なる場所に追いやられるより、余程長生きでき、子孝行親孝行になるのかもしれません。

基本は子に頼らない。
現代は、いつまでも親に頼っているような子もいますが。

そして残念ながら現代社会は、自己利優先、動物にも劣って子を育てる責任を放棄している光景が多々見受けられます。

親は親の責任を果たし子は子の責任を果たしながら、互いに過度の頼り合いをすることなく自立精神を持つこと。
社会においても、例え親子であっても、そのような関係を良とし、その上で、互いに人ならではの慈しむ心を忘れない。


にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 福岡情報へ
ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。

?
2011.3.11(金)14:46

Last updated  2012年06月01日 07時25分04秒
コメント(0) | コメントを書く

2012年05月31日

 エンディングノート(part3)
[ 想い ]    

今も私における家族の在り方の理想は、三世代が住処を共にできる大家族の姿です。

その昔、私が子供の頃にはあちこちにこの光景は極普通に存在していたように思います。
同じ屋根の下、おじいちゃんおばあちゃんの知恵や愛情に触れながら育つ良さは大いにあろうというものです。
家族を大切にしていく心の受け継ぎ方。

世は変わり、完全核家族の時代にあって私の理想型は、地方の、家族が生活基盤を一にした部分的なものが残すだけになっているようです。

少子高齢、老老介護。収入等の生活面における不安。
それぞれの事情が受ける負担も大きくなっています。

その負担を一人で受けながら懸命に親の 面倒をみている姿もあちこちにあります。
狭い部屋で四六時中親の介護で身も心もへとへとになり、時に実の親でもその存在を煩わしく思うこともあるでしょう。

そのような思いが心の片隅に持ち上がる時、
「私はなんと優しさのない人間なのだろう」と自分を責め、思い悩む人がいるかもしれません。

しかし、それが人間。
頑張っている自分をそんなに責めることもない。
どんなに心ある人であっても、完璧に善人であることはできない。
事情が許すなら、専門的な他人に世話を委ねて時折見舞う方が、本来の親思う優しき心で接し続けることもできるでしょう。

又、世話をされる方も、例えば子に、「しも」の世話までさせなければならないことに心傷つき思い悩むのかもしれません。

委ねれば、他人も一時の仕事として大いに心をもって他人の世話ができる。
身内も自分を失うことなく精一杯の愛情を親に注ぐことができる。

いずれにしても、この思い悩む感情こそが、人間が持ち合わせる優しき心というものなのです。


世にはしかし、様々なことが存在します・・「今を生きて」過去日記より


相続が争続となるケースは実に多い。
相続人となる配偶者はともかく、子が、それまでの仲良さなど何処へ、というくらいに関係がぐちゃぐちゃになっていきます。
一円の違いなく分配は当然で、少ないなどとんでもない話で、如何に他より自分が有利でなければならないか。

子がそれぞれに家庭を持つことによって、兄弟姉妹が肉親でなくなっていきます。
誰が親の面倒を見ているか、その面倒見も左右します。
其の様な状況にある複数兄弟の財産処分を調整しながら、相談から処分まで、ついに互いが顔をあわせない、といったケースも多々見受けられる遺産分割協議。

こういった事もありました。
亡くなった被相続人の不動産処分。
後妻として亡くなったご主人の世話をして来たその方は、籍に入れられていませんでした。
いざ相続の段になって、既に県外に家庭を持った子らは、父親が勝手に家に連れ込んだ他人に会う必要もなく、当然財産分与の権利もない。
不要物はさっさと換金するので、とっとと出て行って欲しい、との主張。

この奥さんは、既に歳いっていたご主人に見初められ、家に入る事になったのですが、「結局、身体の悪くなった主人の介護的役割をさせられる為に呼ばれたようなものです」とも言っておられました。

亡くなられたご主人とは以前に面識があり、その時この奥様とも顔合わせしていました。
数年を経て、突然電話があり、
「主人が亡くなり、子供さん達から家を処分するから出ていってくれと言われました」
「以前に、お会いしたことありますし、主人が持っていた名刺を見て相談の電話を貴方に差し上げました」

実の子供もろくろく面倒を見ないなか、その親を最も世話をしてきた、相続権利のないこの年老いた内縁の妻。
亡くなった主人も罪なものです。遺言書もありませんでした。
随分とわがままな方でしたから、何度かお邪魔した時にも、まるで使用人のように扱われる御婦人が不憫に思われたものです。

結局、弁護士と私で、可能な主張分を打ち合わせしながら、自宅を売却し、御婦人は幾ばくかの金銭をもらい、其処を離れることになったのです。
最後まで、私と御婦人が、その「出て行け」と言った子等と会うことはありませんでした。

身寄りのなかった老夫人は、福岡の知人の家に身を寄せることになり、
身辺整理をし、いよいよ苦労ばかりだったその家を後にして、
私は車で駅まで見送ったのです。

もうかれこれ七、八年経ちますが、時々ふと
あれからどうされているんだろう、と思い浮かべることがあります。

私も妻も、財産というものには縁がありませんが、
例え受けるものがあったとして、それでもめるようなことは一切ありません。
もめるような財産など一円もいらない。
その考えが共通しております。
物質的なものに執着しない。
大切な価値を知り、生きています。
これがすでに大いなる財産でもあるのですから。

風景も音楽も、欲などちっぽけなものとして、それらを優に超えていきます。
↓私が好きないい曲です。

作詞:谷村新司
作曲:谷村新司

ああ いつか開く 花の種をまこう
たとえ命が 明日終わるとしても

ああ 時の砂に 降りそそぐ雨が
きっと新しい命をくれるだろう

友が死んだ日の ほほうつ雨にさえ
きっと大切な意味があるはずだから

だから青春を終わらせないで
熱い心そのまま 失くさないで

今を生きて 今を生きて


ああ 永遠には 生きられないから
遠いあの日の 思い出を忘れない

ああ 夢のつづき 追いかけてゆこう
夢を失くしたら 心が死んでしまう

生きて行くことは 死なないことじゃなくて
熱く生きようとしながら 暮らしてゆくこと

だから青春を終わらせないで
熱い心そのまま 失くさないで

今を生きて 今を生きて

生きて行くことは 死なないことじゃなく
熱く生きようとしながら 暮らしてゆくこと

だから青春を終わらせないで
熱い心そのまま 失くさないで

今を生きて 今を生きて


にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 福岡情報へ
ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。


2011.3.11(金)14:46


Last updated  2012年05月31日 06時47分06秒
コメント(0) | コメントを書く

2012年05月30日

 エンディングノート(part2)
[ 想い ]    

例えばケアハウスに入所するとして、其処に持ち込めるのは僅かなものです。
それは、多くの人の現在所有物の1、2割程度かもしれません。
最近、いずれ皆辿る終着駅に向けて、後に残る者の負担とならないように、諸々段取りをつけておくという趣旨でエンディングノートの作成が流行っているようです。
考えれば、日々の生活設計があれば死に際の設計迄を含んで当然といえば当然の事。
これまでなかったとすれば、何となく終わり部分を避けてきたに過ぎない。
しかし、そういう計画も決してマイナス思考のものではなく、子に周りに責任を果たしながら、更に此の世における生を生き切るという観点からすれば大いに勧められることではないでしょうか。

「老いるほどに身軽に」・・過去日記より

老いるほどに、できるだけ自分の身辺は身軽にしておこう。

生きている間、廃棄と所有を繰り返しながら、その自らに所有されていくものは、普段気にも留めないなかいつしか随分と増えてきてしまっているものです。
それは精神的にも物質的にも。

各自が辿ってきた人生における精神的部分はともかくとして、「物質的なるもの」は結構厄介でもあるのです。

随分以前のある場面。
住人不在のまま数年経っていた父親名義で相続登記未了の築齢も古い木造家屋を、法廷相続者である子供さんから売却処分依頼を受けたことがあります。
相続者も確か七名程で、皆さん全員がすでに年配の娘さん達でした。

打ち合わせの為に処分依頼を受けたその古家に初めて赴いた私は、代表でその場におられた三名の代表依頼人さんに、「汚いのでそのまま上がってください」と言われました。
確かに汚かった。何年も人の入った形跡も感じず、草木は伸び、玄関先からすでに埃が白く積もっていて、部屋に入るまでもなく状況はその場ですでに想像に難くなかったのですが、しかし実情はその想像以上だったのです。
部屋の和室には、まるで今まさに空き巣侵入後間もない様な光景があったのです。

被相続人である父親の遺影は無造作に畳の上に置かれ、タンスからは衣類が溢れ出し、辺り一面散らかり放題。
被相続人が亡くなった後、全く整理の手ひとつ入れられた風もなく、それはまるでその家全他が厄介者であるかの様に、そしてこの古家を誰もが避けていたとしか思えないものだったのです。
ひょっとしたら、生存時よりあまり出入り、そして身の回りの世話等さへもあまり無かったようにも思える状態でした。

その後、この家は古家付き土地として売買し、やがて購入者によって解体されたのですが、室内の荷物撤去を手配しながら、請け負った業者も大変だったのです。
衣類だけで袋詰めしたものが20個近くにもなり、庭の残存物を含め2t車で何度も運ぶ有様でした。

これがまた、子供さんが遠方におられるのならともかく、皆さん近くに居住されていてこの有様なのですから。

まあ、このケースは特別としても、けれども、亡くなった親御さんの不動産処分を、遠方の身内の方から依頼されることも多々あります。
もちろん、その時にも、つい最近までの生活そのものが残っていますので、同時に子にしてはほとんどが不要物処分の相談があるのです。

今は昔のように、後を継ぐ商売人でもない限り家を継ぐケースは殆どありません。
それぞれに生活スタイルも違いますし、住む場所も遠く離れたいたしもします。
そして、年老いて、子供さんに勧められ住み慣れた町を離れ、慣れない都会へ不安を抱えながら引越しされていく場合もあります。
いずれにしても、残された身内にとっては家財などにおいては殆どが不要物なのです。

思い出のアルバム等もしかり。
思い出を大切に収めた何冊もの分厚いアルバムを、これまで何度開いて見返したことがあるでしょう。
押入れの隅で埃をかぶってはいないでしょうか。
写真なんていつか遺影として使用する、とっておきの一枚を含め数枚あれば十分かもしれません。
家族の思い出写真は、子が欲しいと思う最低限のものだけを渡しておけばよしでしょう。

ある知人は、まだ若い結婚したての一人娘の為に、将来の親の墓守の煩わしさから開放させてあげることを考え、過日クリスチャンになることを選択しました。
墓守放棄・・
その決断は、決して放棄でもなく信仰心に薄いというわけでもなく、素晴らしいその知人の精神だと思われるのです。

神や仏、信仰などというものは、何がどうと、決して形式に縛られるものでもなく、また排他性を持ったものに左右されるものでもありません。
真の信仰心は、崇高なる魂によって尊き昇華を得るのです。

さてその歳を詰める過程において、できるだけ身辺を身軽な状態にしておくこと。
生きた証として残されるものを大きく「財産」としてひとくくりに考えながら、それは時に受け入れる方には負担と揉め事の元。

思い出のアルバムも、現在ではデジカメで撮ったものを簡単にパソコンに取り込んでいつでも簡単に見返すことができますし、嵩張らないCDに大量の情報を収めることもできます。

やがて訪れるその時に、残る家族に迷惑をかけないような身軽な自分にしておく心配りも必要ではないでしょうか。

それよりなにより、物質的なものに比べ、重荷にならないところで永久に残り続ける心の部分がいかに大切で価値を持つものか。

生きるに必要最小限を持って得心する精神の身軽さによって、魂は更に真に価値ある自由を得る事になるのでしょう。


にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 福岡情報へ
ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。


2011.3.11(金)14:46


Last updated  2012年05月30日 06時00分43秒
コメント(0) | コメントを書く

2012年05月29日

 エンディングノート(Part1)
[ 想い ]    

父親が亡くなった年齢と母親が亡くなった年齢を足して2で割った数が、自分の寿命予測だと、ある人が言っていました。
なるほど、根拠の定かは別として、それもひとつの興味ある見方ではある。

であれば、できるだけ長生きしてやるのが子の寿命を延ばすことになるのですが、それには、子にできるだけ負担や迷惑掛けずに老いなければならないという課題が残ります。

元気が一番、ボケることもなく寝込むこともなく、ある日、ぽっくり大往生できるにこしたことはないでしょう。

子供の頃、若い内は、祖父母や父母が防波堤となって、堤の先に広がる、此の世に生あるもの全てに訪れる死海というものが目に留まることはありません。
しかし、子供から大人へ、自己の成長とももに祖父母の存在は消え、歳月の経過は、やがて父母の肩越しに穏やかに広がる死の海が見え隠れするようになります。
まるで他人事のようであった我が身の「死」という存在が、やがて徐々に現実味を帯びてきます。


加齢とともに周りに同世代がポツリポツリいなくなり、体力の衰えや病はその日一日生きる気力を削ぎ、趣味も目標も持たなければ、生きることの魅力は失せ、やがて死というものへの、自然な心の準備と受け容れ態勢をとれるようになるのではないでしょうか..


にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 福岡情報へ
ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。


2011.3.11(金)14:46



Last updated  2012年05月29日 09時23分15秒
コメント(1) | コメントを書く

2012年05月28日

 極上の夜
[ 徒然 ]    

今宵はいい酒を飲んだ。
志を持った人間と久し振りに大いに語ることができた。
最近は大きく夢を語れる人間も少なくなった。
我が身重視、それもよかろう。
しかし、人生そんなもんでもない。

当たり障りなく、客観的に、中立・・
実に耳触りの良い言葉だが、それはある種、その本人の無責任さが成すものとも言えるだろう。
歴史を振り返っても、意気に感じて事を成す人間は、その他大勢とは違うし、その善を発露とし、志を持った行動に、迷いは無用だろう。

志を持って事を成す。

心地よく酔った極上の夜だった。

帰途のモノレール車中にて。

Last updated  2012年05月28日 23時08分39秒
コメント(0) | コメントを書く

2012年05月27日

 徒然なる人生3(人生の出処進退)
[ 想い ]    

自己理由によって会社を辞める時は、仕事に支障を来たすことのないように、引継ぎの責任をしっかり果たすことを考えなければなりません。
その為に、先ずは自己都合は横に置き、会社側の都合期間を最大限尊重すべきでしょう。

しかしまた、辞める人間が居続けることで社内に悪影響をもたらすとともに、組織改編を余儀なくされる会社側に多少の迷惑を掛ることになったりもします。
その状況を判断し、仮に退社迄「何時まではいいよ」と期間の猶予をもらったとして、自ら期間短縮を申し出し、とっとと辞めることもまたあり。

いろいろあったとして、給料をもらい仕事を教わり日々の生活をさせてもらってきたわけですから。
様々な事情によって辞めるとして、最低限の礼節を思うべきなのです。

勿論、自己の生活は大切。
個々の家庭生活事情の優先を考えながら時を選ぶのを悪いとはいえません。
私のように、後先考えずの転職が良いとは決して言えず、家族を思うのも責任者であるには違いありません。
要は、人生を渡るに、多少の気概も心意気も必要ではなかろうかと。

社員としては、会社に必要とされ辞めるのを惜しまれるようでなければなりません。
人一人辞めても痛くも痒くもないないと思われる存在では、転職を繰り返しても凡そ先の展望は開けないでしょう。

翻って雇用する側は、人一人辞めることによって大きな混乱をきたすようであってはなりません。

使う側も使われる側も、切磋琢磨の成長を怠らない。
これこそがそれぞれの生きるを担保することになるのです。
他力本願より先ずは自己確立。
本人が額に汗し、思い悩み思考し行動する姿があってはじめて、周りの援助も人生浮上の機会も運ばれてくるというもの。

又、何年も勤めないのに有給休暇をしっかり使い切って辞める人間がいますが、これも、最後はお礼奉公くらいの気持ちがあっていいと思うのです。
(但し企業制度によっては使わなければならないが)

私は、意見の相違によって、ある日出会い頭的に退職に至った前会社には、その後も暫くの間、盆暮れには挨拶に出向く礼節を怠りませんでした。
そして今でも出入りさせてもらっています。

その時、本当にやむなく、考えてもみなかった一文無しの独立をする羽目になった事に、一切の後悔もありませんし、思わず社長とやり合ったあの突然の場面を、私にとって超ラッキーだったと思っています。
ただの一度も不安なる独立など考えもしなかった私が、その出会い頭的な事に後押しされた結果になったのですから。

私は今でも、十九年前迄の六年間お世話になった会社に、心よりの感謝の念を忘れたことはありませんし、社内でも事あるごとに社員に言っています。
「私はね、頭が悪いし鈍臭い。で、毎日二十回くらい社長に叱られていたよ」
「でもね、お陰でよく教わることができた」
「自分自身が歯がゆくて、だからその分努力はしたな」
「個性的で頭脳明晰で厳しかったけど、仕事に対してまっとうな姿勢で、誇りに思える会社でもあった」
「あの会社に入ることができたから今でもこうしてなんとかやっていけている」
「感謝しかないよ」

で・・
いかんいかん、私も似たとこあって、つい熱く社員に対峙すとこが無きにしも非ず。

しかし、私が世話になった会社は、今でもこの業界では一目おかれる存在だ。
大したものだ。

数年前、私が音頭を取り、先輩諸氏にも声を掛け、OBが集まり社長を交え同窓会をしました。

その席で社長が
「貴方たちがいたらまだ大きくなっていただろうね」

私は、
「確かにその通り」
「しかし、皆個性が強すぎて空中分解かも」爆 爆

この会社に限らず、私が七度お世話になった全ての会社に、私は心より感謝の気持ちを持ち続けています。

それぞれの一所懸命に一切の悔いなく、経験による計りきれない成長をもたらした人生。

最後に・・
七度の転職、八度目のやむなくの独立。
私は決して辛抱が足らない人間ではありません。
コツコツが信条。大きなホームランよりヒットの積み重ね。
ベンチにいるような時にも腐ることはありません。
いつにおいても素振りをして、再びの塁進を思っている。
まあ、多少の反骨精神と短気が、結果オーライを生み出した?とも言えるかもしれません。

人生、一寸先は闇。
だから何時なにが起きても慌てないよう、日々の誠実さだけは忘れてはいけません。

そしてもうひとつ。
最低限の辛抱は必要であるわけですが、中には箸にも棒にもかからないような、良心の欠如、信義に劣る会社もあるわけで、そんな社風をもった会社は、とっとと退散すべきでしょう。

・・
月曜日、出社したら我が社の社員の姿がなかったりして・・爆 爆


にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 福岡情報へ
ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。


2011.3.11(金)14:46



Last updated  2012年05月27日 06時54分22秒
コメント(0) | コメントを書く

2012年05月26日

 音楽三昧
[ 趣味 ]    

音楽はいいですね。
好きな音楽を聴いていると心癒されます。
耳に心地よい曲でも流せば、忽ち風爽やか、綺麗な風景の中に佇むこともできます。

此のところ、自宅の自分の部屋で音楽を聴くのが楽しみになっています。
1万円程のラジカセに、とっておきの2万弱のスピーカーを繋いだだけですが、これがまた目からうろこ状態。
わずか5cmのフルレンジスピーカーから出る音は、ラジカセがラジカセでなくなり、ちょっとした上級のシステムオーディオに。
これまで全く表に出てこなかった音までが聴こえてきて、同じCDが別物のように新鮮に聴けるのです。

会社に置いてある30万程のオーディオシステムに比べ音の厚みは劣るけど、その自然で素直な音色は、疲れず飽きることのない心地よさなのです。
離したスピーカーの三角点で聴くのがベスト、などということもなく聴く位置も選びません。

音楽というのは、何気なくラジオから流れるものにも、コンポで聴くにも、惹かれる音楽の良さに触れることはできます。

しかし、せっかくなら、音楽に浸るための少し環境グレードアップをしたらどうでしょう?
例えばライブに行けば、ライブならではの良さを味わうことができます。

決して無理な贅沢をする必要はありません。
コンパクトデジカメを持つ手を一眼に換えれば、それはまたファインダーにこれまでにない高揚感をもって被写体を見ることもできます。
同じようなものです。

基本はあくまで身の丈程のものを。
四畳半の和室に高級システムを置いてもそれを活かすことはできません。
あまり懲りすぎては、本来の、気軽な心地よさに浸ることから離れていくでしょう。
贅沢をする必要もありません。

もっとも手っ取り早いのはスピーカーを換えてみることでしょうか。
私が会社に置いているオーディオは、マランツのプリメインアンプとCDプレーヤー。
スピーカーはオルトフォンのコンコルド1614。
たまたま立ち寄った家電店のオーディオコーナーで、このスピーカーから流れていた音色がとても美しく上品なのに惚れ込んでつい買ってしまったものです。

やたらとシャリシャリ高音と重低音が氾濫しているような今日。
作りものでないいい音に触れると、更に音楽の魅力が益すことでしょう。

タイムドメインminiは、オルトフォン同様、私の音楽聴く楽しみを倍加してくれました。
心の贅沢している音楽三昧の日々です。

5.26_1.jpg

5.26_2.jpg


タイムドメイン

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 福岡情報へ
ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。


2011.3.11(金)14:46



Last updated  2012年05月26日 17時55分21秒
コメント(2) | コメントを書く


<< 前のページへ一覧一番上に戻る


Powered By 楽天ブログは国内最大級の無料ブログサービスです。楽天・Infoseekと連動した豊富なコンテンツや簡単アフィリエイト機能、フォトアルバムも使えます。デザインも豊富・簡単カスタマイズが可能!

Copyright (c) 1997-2012 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.