カテゴリ:個人日記
自分の好きな事を好きな人達とするのであれば
「楽しい」のは当たり前だと20歳そこそこの椿は思っていましたが、 鬱の友人に対して霊達が言ったことは「楽しむ努力をしていない。」と言う言葉でした。 当時の椿には楽しむ事に努力が必要だと言う意味が全く分りませんでした。 苦しむ友人にたいして楽しむ為の努力させるなんて絶対にダメに決まっている。 そんな事を強要するのは、こちら側のエゴだって!!偉そうに分かった気になって思ってました。 そもそも努力しての「楽しい」なんて「楽しい」じゃないって思ってました。 恥ずかしながら当時の椿は「楽しい」の意味を全く理解していなかったのです。 「楽しい」と一言で言っても人それぞれに色々な楽しいがあります。 心の底から楽しいと思える楽しみもあるでしょう。 映画を見て楽しい。 お花見をして楽しい。 旅行に行って楽しい。 自分の好きな事を黙々とこなして楽しい。(趣味に没頭) 時には罪悪感を持つような楽しみもあるでしょう。 切なさが残る楽しみもあるでしょう。 刹那的な楽しみもあるでしょう。 それらの全てにおいて楽しむために努力が必要かと言われれば、そうではないと思います。 ですが、自分が本当に求めている「楽しい事」は努力なくして楽しむ事は出来ないのです。 例えばの例ですが、 元プロ野球選手の清原さんは覚せい剤に手を出しましたね。 これはあくまでも仮定の話ではありますが、 彼の求める本当の幸せは家族で仲良く幸せに過ごし、 子供たちとも一緒に野球を楽しんで、 引退後も家族にも世間の皆にも尊敬される存在でいたかったとします。 それが彼にとっての「楽しい事」に繋がっていた場合。 その「楽しい」をする為には努力が必要です。 不安や恐怖に打ち勝つ努力。 覚せい剤に手を出さない努力。 他の女性に逃げない努力。 色々な努力が必要だったのではないでしょうか? その努力をせずに本当に求めている「楽しい」を経験する事は出来ないのではないでしょか? もちろん、覚せい剤を打つ。刺青を入れる。浮気をする。 それらの行為には後から罪悪感や後悔があれども、 その瞬間は「楽しい」と思っていたのは間違いないと思います。 「楽しい」には色々とありますが、本物の「楽しい」には努力が絶対に必要なのです。 努力の要らない「楽しい」ではけして満足する事が無いのだと思います。 ですから本物の「楽しい」に行き着くまでは、 永遠と努力の要らない「楽しい」を貪らなければならないのです。 とは言って、趣味や旅行や友人たちとの楽しい会食などを否定しているわけではありません。 刹那的的な楽しみですら、(法に触れる事は別問題ね。) とことん楽しんでみても良いのだと思います。 そうでなければ先へは進めないのが人間なのですから。 旅行や趣味の楽しみをとことん追求したり、 後悔や罪悪感、虚しさ、そんな思いを経験したりして、 一歩ずつ「一歩先の楽しい」へと進んでいければ良いのだと思います。 「一歩進んだ楽しい旅」や、「一歩進んだ楽しい趣味」は 想像もしていなかった喜びが生まれるかも知れませんよ 椿♪ ☆「鬱」の友人が楽しめなかったのは楽しむ努力を全くしていなかったからだと思います。 彼の一番求めているものは病気が治る事でした。 病気が治る為ならなんだってすると息巻いていましたが、 彼がした事は薬を抜く事、煙草を止める事。 体調が悪くても無理して友達と遊ぶ。などでした。 こんなにも頑張っているのに治らないと何度も友人たちに激怒していました。 友人達のエネルギーは枯渇寸前だったと思います。 椿も枯渇してました。 友人達は彼を大切に思っていたから頑張っていたのですが、 最終的には自殺と言う言葉で椿を含む友人たちは鎖で繋がれていたと思います。 当時の彼が出来る事はまずは人の与えてくれる「楽しい」を 楽しむ努力をしてみると良かったのだと思います。 すると努力しても努力しても楽しくないと言う事を真剣に考える事が出来るからです。 そこから先へと進めるのです。 努力していないと、同じ事ばかりを貪ってしまうのです。 実は感謝すらも努力しなければ出来ない事も多いのです。 ちなみに彼は楽しむ為の努力をしていると思っていたと思います。 この彼に限らずですが、努力していると思っているのはとても厄介です。 これをぶち壊すのも自分にしか出来ないです。 努力していると思っているタイプはプライドの高さが半端ないので その壁を他人が崩す事は絶対に出来ません。 その場合は他人の代わりに出来事で崩されたりします・・・。 それでも難しいのが現実です。 この時の椿は彼を助けてあげられるのではと思っていたのだと思います。 その自分勝手で偉そうな思い上がりは今となっては恥ずかしいです。 やれるだけの事をやった事に後悔はありませんが、 あまりにも年数も長すぎました。自分の意志でもっと短くすることも可能でした。 自分の至らなさが恥ずかしすぎますが、 この経験を通らずには学べなかったのだと思います。 経験する前に真実を知る事が出来るほど優秀では無かったのです。 ここから先はとっても暗くて重い自殺がらみの記事となっています。 自殺がらみの記事に抵抗がある方は飛ばしちゃってくださいね!! 自殺は病気の一種として考える事も大切だと思います。 癌で死ぬのは仕方なかったと思えますが、自殺は思えません。 自殺と末期の癌と同じではいけないのでしょうか? 「死」は全て同じではないでしょうか? 元をたどれば原因は同じ事って事が多いです。 この記事は不謹慎だと思います。 ですが、まずは残された方の心の救済のほうが大切ではないでしょうか? 自殺すると脅迫する身内がいたら生きた心地はしませんし、 永遠とその方の奴隷になるしかないのです。 奴隷をしながら自殺すると脅迫する方を助ける事は絶対に出来ないと断言できます。 自殺されないように言いたいことも言えず相手の言うとおりにする事しか出来ません。 そうして頑張ったあげくに自殺をされたら自分が死にたくなると思います。 現状では自殺すると騒ぐ人に優しい世の中です。 一生懸命、誰か彼かが助けようとしてくれています。 ですが、支える側は責められる事のほうが多いのです。 騒がずに自殺する方は自殺と言う腫瘍があったと考えてはダメなのかな? また奇跡は末期の癌の方にも末期の自殺の方にも訪れます。 何もかも同じだと思います。 残された人は苦しい上に、人から後ろ指をさされたりもするのです。 その方々を助ける事も必要です。 助けている団体もいるとは思いますが愛情たっぷり風に色々と言うよりも、 病気です。って皆が認識するのが一番楽な気がします。 身内や友人に自殺した方がいると、永遠と自分のせいだったと思う事が多いのです。 病気や事故での死からは立ち直れることがあっても 自殺での死は死ぬまで立ち直れない事のほうが多いのです。 立ち直らなければ真実と永遠に向き合う事は出来ないのです。 真実に向き合えないと言う事は先へは進めないと言う事です。 同じ事を何度も繰り返すと言う事です。 ちなみに友人は今もちゃんと生きてますよ☆ 不謹慎な記事である事は重々承知しています。 色々な意味で記事にしたくはありませんでした。 色々な意見もあるかと思いますが、不謹慎でごめんなさいとしか言えません・・・。 クリックの応援をお願い致します。 にほんブログ村 -------------------------------- 精神世界ランキング -------------------------------- 人気ブログランキングへ ----☆------------☆------------☆-------------☆-------------☆----- ☆お問い合わせはこちらまで earthone2014@yahoo.co.jp 携帯のメールからお問い合わせ頂くと、こちらからメールが届かない場合がございますので、予めご了承ください。パソコンのメールからお問い合わせ頂くか、携帯の設定をご確認くださいますよう、お願い申し上げます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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