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2016年11月20日
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カテゴリ:つれづれ

さて、ノンデュアリティの大和田菜穂さんのサットサンですが

感想をアップするのはやめようと思っていたものの

何度か、筋反射で身体からのメッセージが出てきたことと

先日、何気に引いたマップカードが

「自分の失敗もさらけ出し

気づいたことをシェアする必要があります」

という、まさに痛いところを突いてくるな~というもので

あ~やっぱり伝えるのか~と。

こんなことを書いたら申し訳ない、なんて気持ちこそが

幻想であることもわかっているのですけどねウィンク

 

ブログという媒体を通じて発信するのは、個人に関わることは

本人の了承がない限りは、アップできないわけですが

菜穂さんの場合は、個人がいない、誰もいない、という意識の方なので

問題は何もないものの、そこに関わって来られた方たちのことを思うと

今一つ、腰が上がらなかったわけです。

 

とはいえ、そういう感覚もストーリーでしかないわけで

もうぶっちゃけ〜で行きますショック 

 

もちろん、これはあくまでも私とおさむの意識を通じて

感じている 「デュアリティな」感覚と言えるかもしれないので

いわば、私たちのストーリー、夢物語だと

聞き流してもらえたら幸いです。


さて、お会いした菜穂さんの第一印象は、ごく普通の可愛らしい女性という感じでした。

私はランチの時に彼女の近くに座っていたので

「パリの住み心地はどうですか~」という質問をしたのですが

「住みにくいですね~」というお答えでした。

「どうしてですか?』と聞いてみると

「日本と比べて何もかもスムーズではないんですよね」

というお答えで、ここだけ取ってみると

ごくごく普通の会話でした。


ノンデュアリティの意識状態にある人というのは

いつも圧倒的な祝福と喜びと一体感の意識状態にいる人

みたいなイメージがあったのですが

そういうのとは違うのですね。。


以前、私が何度か体験した一瞥体験や至高体験みたいなものは

その度に感覚は違っていました。

壁や他のすべてのものと境目がなく、一体化していた時もあれば

過去と未来と今すべてが今、この瞬間に存在していて

意識を向けた瞬間に全てそこにある、という感覚だったり

また、この身体というものを超えて、私は生命そのものであったのだ~

という圧倒的な祝福のエネルギーが溢れてきて、涙が止まらなかったり

清水友邦先生のリバーシングの時には、自分が巨大化していくようだったり

体験が終わった後も、通り行く人すべてにハグしたい衝動だったり 

その時々によっていろいろでしたが

どの体験にも共通していたのは、ハートが完全に開いた状態になっていたという事

そして 、すでにこの感覚はずっと知っていた

やっとここに戻ってこれた〜

という絶対的な安心感の中にいたということでした。

「私はいない」というより「すべては私」という感覚に近かったです。

 

そういった過去の体験から、ノンデュアリティの意識状態の人は

変性意識状態ではなくても、常にハート全開の状態になっている

と勝手なイメージがあったのですが

菜穂さんに会ってみてすぐに感じたのは

そういうことではなく、ただ彼女は

「私はいない」という感覚でいる、ということでした。


サットサンは、まず彼女の言葉は

「先ほどの、たまちゃんの料理はどこに行ったのでしょうか?」

という問いかけで始まりました。

「それはどこにもないのです。何も起こっていないのです」

という言葉でした。

それを聞いた瞬間、さっきまでのたまちゃんの料理によって

感じていた暖かな優しい感覚を、まるで打ち消されたかのような

虚しさが一瞬起こりましたが、もちろん、彼女が伝えているのは

「体験したと思っていることも、実際は起こっていない

なぜなら、それを体験する個人がいないから」ということであるし

その言葉自体にも意味はないわけです。

彼女は、「私はいない」「何も起きていない」「体験している人がいない」

「ただ湧いているだけ」という、メッセージを繰り返し、伝えられていて

メッセージそのものには、違和感はなかったのですが

ただ違和感を感じたのは

その場にいると、ハートがどんどん閉じていくと’いう

私の感覚の方でした。


その時は、多分、私はこの場の参加者のエネルギーを受けてしまって

私の中の何らかの問題(エネルギー)が出てきているのかな

と思っていました。

サットサンが終わった後で、親しい方が

「メッセージはわかるんですけど、何かこのあたり(ハート)がモヤモヤするんですよね」

と言われていたのですが

私もそのモヤモヤ感を感じていたにも関わらず

それは菜穂さんとは関係ないところで起こっているのだろう

と思っていたわけです。


そして、その日、私は家に戻ってから、急に感情が爆発して

それは最初は、おさむに対する不信感として出てきました。

いきなり「もう何もかもいや~!すべてが虚しい。もうおさむと別れたい~~」

などという言葉が私の中から突然出てきて、半分の意識では

「おいおい、何でいきなりそうなるのよ。それ、おかしいだろ~」と

感じているのですが、その感情の爆発はどうにも止められないのです。


最初、なだめていたおさむも、次第にその感情に反応して

『じゃあ、俺にどうして欲しいっていうんだ、一体何が不満なんだ?』

と怒りながら、聞いてきた時に

す~っと、その怒りの感情がなくなっていって

「え?どうして欲しい?」

「え~と、う~ん、優しくして欲しいの、かな?」

と自分で言いながら、ぶぶ、とおかしくなって笑い出し

おさむも「俺はいつも優しいよ~」といつもの二人に戻ったわけです。

 

そして「私、絶対におかしい〜、調整して〜」と

そのまま、おさむに軽くセッションをしてもらい

幾つかの男性からの抑圧に関する過去世のエネルギーが出てきて

それを解除し、とりあえず、落ち着いたのでした。

それにしても、おさむは特に何もしていないのに

なぜ急にそんな感情の爆発が起こったのか、私の中で何があるのか

わからなかったのですが、その時はそれ以上、見ませんでした。


そして、その次の日から2日間、おさむは菜穂さんのサットサンで

サウンドヒ-リングを行いました。

私はセッションで2日間とも行けなかったわけですが

どこかでその場所に行けなかったことに

ホッとしているのを感じました。

なぜか「あの空間にはいたくないな」という感覚が

あったのでした。 

 

そして、2日間のサットサン&サウンドヒーリングが終了し

その翌々日、おさむが

「俺、ノンデュアリティ・シンドロームにでもなったのかな?

何だか、すべてが虚しくて、何もやる気がしない。

いつもはセッションも楽しいのに

全く楽しいという感覚が湧いてこない

何もかもが虚しい感覚なんだよね」

と言い出したので

「ぶぶ、きっとサットサンの会場で、他の人のエネルギーから

何かもらってきたんじゃないの?」

などと言いつつ、では、さっとセッションして浄化しとく?と

おさむのセッションをスタートしたわけです。


ところが、セッションをスタートしてみると、何やら

いつもとは様子が違います。

何か強烈なエネルギーがそこにはありました。

「何なの、このエネルギーは?」

と、あれこれとスキャンリストから選ばれた中に

「洗脳」というワードが上がってきました。

「え?洗脳?』と意味がわからず、さらに詳しく’見ていくうちに

様々なワードが上がってきて、それらを統合してみていく内に

少しずつ何が起こっているのかが観えてきました。

もちろん、菜穂さんは何の意図も意思もないわけで

彼女に洗脳されていたわけではなく

菜穂さんから発していたあるエネルギー体に、洗脳、ではないけれど

それに近いほどの強い影響を受けたということでした。


そのエネルギー体が一体、何であるかも、はっきりと出てきたのですが

(ここで言わなくてもわかる人にはわかるかも)それらのエネルギー体は

「ピュアさ」「人を見下す」「人を愛せない」「冷酷さ」「特別意識」

という性質のものでした。

そうして、私が菜穂さんに会って漠然と感じたものが何だったのかも

次第にわかってきました。


菜穂さんが、もともと、つまりノンデユアリティの意識になる前から

人との共鳴力が低く、自分の感覚を受け取りにくい性質や脳であることは

これまでたくさんん方の脳や性質を見てきたので、何となく気づいていました。

だから、何も質問する気が起こらなかったのだなあと。

質問しても、この人は言葉の真意を受け取らない、理解できない

という感が半端なくあったからです。

ノンデュアリティの意識だから、彼女のような答え方になる

のではなく、もともとそういう性質や脳なので

参加者の質問に関しても、それぞれの意識に合わせて

わかりやすく話をすることはできないわけです。

というよりは、彼女は発信している、という意識にはいないので

わかりやすく話をしようという気もないわけですね。

もちろん、それが決して悪いわけではなく、そういうのも一つの表現として

面白いな〜と思っていたわけですが

確かにわかりずらいわけです。


例えば、菜穂さんが「たくさん批判のメールが届くのよね~」

と言って、ケラケラ笑った後に

参加者の一人が「それでは菜穂さんは、批判のメールが来た時に

それをどう捉えるのですか?」

という質問をしました。


「ふ~ん、という感じかな」と菜穂さん。


その方は「それじゃあ、そういうメールが来ても

ふ~んと捉えておけばいいってことですね?」


「実際は、ふ~んとも思っていないかな。何も感じない」と菜穂さん。


きっと、これでは伝わらないなあ~と

漠然と感じていました。

 

そもそも批判されている、ということ自体が個人としての意識であり

菜穂さんは、私という感覚がないので

批判されている、という認識そのものがない、ということなんですよね。

でも、もし、批判された〜と感じているのにも関わらず

それを頭でコントロールして、何も感じないようにしようとしても

それは、自然な感覚や感情が抑圧されるだけだなあと。


「批判する人は、何か人のせいにしたいのよね」と菜穂さん。


それで、気づいたのは、菜穂さんは「私はいない」という感覚でいるのですが

だからといって、ワンネスや一体感の中にいるわけではないということでした。

 菜穂さんが、感受性が強く、繊細で臆病な子供だったというのも

今の彼女を見ていてよくわかるのです。 

人との共鳴力やつながり感がなければ、世界は怖いものにしかないからです。


おさむの身体から出てきたものは、菜穂さんに存在しているエネルギー体の影響ですが

これは菜穂さんの身体にアクセスしているわけではないので

彼女がどうなっているのか?はわかりません。

ただ、そのエネルギー体がどう言ったものかはわかります。

 

例えば、野生のトラやキリンが「自分はこうしたい」

などという個別の意識がないのと同じように

そのエネルギー体にも、分離意識はないものでした。

ある意味、一体感というのは、分離した個人という意識がベースにあって

その上でつながっていると感じている人間特有の感覚であって

動物は一体感を感じているわけではなく

ただ全てがある、という感覚でいるわけですね。

菜穂さんが言われているノンデュアリティの意識がそこにありました。 

そして、それは何も邪や悪意はなく、ピュアなエネルギー体でした。


面白いことに、このサットサンの後

たまたま友人から別件でメールがあり

「菜穂さんのサットサン行ってきたよ~。

おさむちゃんのサウンドヒーリングよかった~」

というので

「正直、サットサン、どう感じた?』と聞いてみると

驚いたことに、彼女は私が筋反射で導きだした

エネルギー体の存在を、菜穂さんの目を見ていて気付いたのだそう。


すごいな~。

私はといえば、ミカさんのメールの「あの人は本物だから」

という言葉が意識のどこかにあり

「ミカさんの言うことだから間違いない」という

先入観とも言える感覚となっていて

それがサットサンで、自分のハートの感覚を

受け取ることを妨げてしまっていたわけです。


確かに、ノンデュアリティ意識という意味では本物でした。

ただ、そこに人間意識ではないエネルギ−体の存在があったというのは

私はサットサンの時には、わからなかったのですが

後で彼女の目や言動を思い出してみると、感じられます。

そして、あの日、私の感情が爆発したのは、そのエネルギーの影響を

無意識に手放そうとしていたのでした。


ちょうど、昨日、ブログにアップした後

一通のメールを頂きました。


ブログ見ましたー。

いや~ん、続きが気になるーっ、楽しみーっ な終わり方。

そう思っているのは きっと私だけじゃ~ないはず、ですよ。


サットサン。

わたしは CRSでの初日に伺っていたんですがね。

へ~、ふ~~ん、うんうん、うーむ、ん? ほー 、と 過ぎ去り

サラリと流した感じで。

あ、どんな人やどんなコトバに出会っても 必要以上に 揺さぶられることも

持っていかれることもなくなってきてるなぁ、わたし♪ 

と思っていたのですが、


翌日 まさかのじんましん。笑


その後も、珍しく 子どもからの stomach flu しっかりもらっちゃってダウン

数日、珍しく オットが仕事がらみで 頭から湯気出して怒ったことに

 わたしが ものすごくものすごくブチ切れたり、やたらと眠い日々

そして、実際メチャ眠りが深い。

サットサンの影響か、お月さまの影響か何か知りませんが~。

こんなことも 意味はないのですね~きっと。

ただ湧いているだけ なのですね~。

ですか?

ん?

あは。

 

と、モロモロ カラダに出ましたが、

それはそれとして これをおもしろく感じているのも、オモシロイと感じられているのも、

IHとのりこさんに出会えたからなんだなぁ♡ 

わたしも 変わりました。というか、 戻った と言うのかな?


これも面白い報告だな〜と。

本当に何が起こっているのか?は

この方の身体に直接聞いてみないとわかりませんが

多分、蕁麻疹や感情の爆発、深い眠りによって

身体が自然にそのエネルギーの影響を浄化しようとしているのでしょうね。


おさむは3日間、続けてサットサンに参加したこともあり

洗脳だと身体から出てくるだけあって、そのエネルギーの影響はかなり強く

調整は、結構大変で、もし今年の夏にカナダで

アーキュトニックのレベル2、3を受けていなかったら

調整することは、できなかったかもと思うほどでした。。

私のセッションの後も、おさむは2度ほど、自己ヒーリングをしたそうですが、

まるで魂が抜かれて、ハートがぽっかり

穴が開いたような状態になっていたとのことでした。


これは単に3日間一緒に過ごしたから、というだけではなく

そのエネルギーを受けてしまう要因が、おさむの中にもあったからで

だから、いくら菜穂さんと一緒にいても

みんなそうなるわけではないわけです。


それで思い出したのですが

日本に行く前に、ある方からメールをいただいて

その方はサイキックの方なのですが

菜穂さんのサットサンに何度か通ったそうで

その後、何ヶ月も、虚しく何もする気がしないという感覚が抜けれなかった

ということでした。 

そのメールを頂いた時には

「まあ、新たな意識状態になる前には

そういうこともデトックスみたいなものとしてあるよね~」

ぐらいにしか捉えていなかったのですが

今、思えば、その方もそのエネルギーの影響を受けられていたのだろうなあと。


今日の日記のタイトルに「ノンデュアリティの光と闇」とつけたのは

もちろんノンデュアリティ自体は闇も光もないわけですが

「ノンデュアリティのメッセージを聞く」という行為は

どこからそのメッセージが出ているかによって

また受け取り手の状態によっては 

さらに二元の世界を複雑化していく可能性も大きいということに

改めて気づいたからでした。


ノンデュアリティのメッセージを聞いて、虚しくなったり

または楽になったり、ということ自体が

二元の世界にいるということなんです。

 

これも思い出したのだけど、東京のキネシオロジ-のクラスでの質問で

「すべては起こっていない、などのメッセージを聞くと

何をやっても意味がない、無駄だという感じがして虚しくなるんですが

のりこさんは、どう捉えていますか?」

というものがありました。


本来ノンデュアリティは虚しくなるようなものではないので

なぜ、みんなそういう感覚になるのかしら?とその時は思ったのですが

今回の菜穂さんのサットサンに参加して(あくまでも私の体験として)

理解できたわけです。

 

このサットサンで、参加者の一人が

「私はこれまで自分を高めようと、いろいろ頑張ってきたり

努力してきてそれなりにやったと思っているんですが

それも全部、無駄だったということですか?』

と菜穂さんに質問された方がいました。

 

それに対して、菜穂さんが答えたのは

「はい、その通りです」

 

だけでした。

 

確かに、こういう質問自体が、この方が

「何かを頑張って乗り越えることが自分の価値」という

ストーリーの中にいるということを意味しているんですが 

菜穂さんの答えには、どの部分が「その通り」なのかという説明はなく

ただこの答えだけでは 、この方は、自分がやってきたことがすべて無駄だった

人生は虚しいという(二元の)思いが生まれたかもしれないなあと。

 

では、このメッセージを聞いて楽になった

という人はどうなのか?ってことなんですが。


例えば、夫に虐待されている、とか、会社で酷い体制で働かされている

とか、やりたくないけどやらなければ、などと

自分が一体どうしたいのかわからない、この苦しい状況を

どうしたらいいかわからない、という人たちが

「ああ、私はいないのだ。だから、これを個人的に捉える必要がないんだ」

と、頭でノンデュアリティを受け取ることで、苦しいという感覚を麻痺させ

楽になるような気がするということがあります。

でも、 それでは自分の意識は何も変わっていないので

実際は、その「現実」に居続けることになるんですよね〜。

 

菜穂さん曰く、病気や痛みもただ起こっているだけ

それが個人に起こっていると思うところから、苦しみがある

と言われていて、彼女の父親もガンだそうですが

苦しみはないとのことでした。


確かにそれも真実なのですが

一方で、病気というもの自体が

人間の自然な姿からはずれているというのも真実なのです。

この次元では、病気はただ起こっている、わけではなく

本来の自分からずれた時に、身体からのメッセージとして

現れているだけですから。

 

最近、私のところにセッションに来られる方の中には

自分がどうしたいのか全く感じることができず

周りの期待や周りがどうしたいか、というところだけで

ずっと生きてきて、結果的に病気になってしまった方が何人か

いらっしゃるのですが、その方達の病気を癒していくために一番大切なことは

「私」がどう感じているのか?「私」はどうしたいのか?を

感じることなのです。

「私はいない」というのと「すべては私」というのは

本質的には同じことなので、私が何を感じているかを受け取り

それに従うことは、全体の流れでもあるわけです。 


まさに昨日、ノンデュアリティ・ナビゲーターであるという

ジュンコ・セレンディーという方の動画を見たのですが

この方は、脳や身体の機能や心理学などからノンデュアリティを伝えられていて

とてもわかりやすいです。

この方の伝えられている内容は、

「自分の中にすべての答えがある」「自分の意識=現実」という

まさにキネシオロジー的ノンデュアリティ。

ぜひご覧になってみてくださいね。

 

「私」という現象を語る。

 

人間はなぜ探求し、探求をやめないのか?

 

自分がこの現実世界を創っている?

 

この2番目の動画で言われている「回避メカニズム」

これは、キネシ的にはまさに「サバイバルプログラム」なんですね。

まだ私も2、3つ見ただけなんだけど

この方の発しているエネルギーからは、人生は虚しいという感覚は

生まれないんじゃないかな〜と、ご紹介することにしました。

 

ノンデュアリティ自体は私たちが本質的に持っている意識であって

真実ですが、それを自分の外にあるメッセージとして受け取れば

結局、二元の現実でしかない。

 

キネシオロジーでやっていることは

自分の内なる意識にすべての答えがあって

それを身体からの声として見ていくと、

これまで自分の潜在意識の中にあるどんなストーリーが

今の現実を作っていたのか?が明らかになり

それをエネルギー的に変化させる(元に戻す)ことで

自分の持っていたその感覚そのものが変化し

結果的には新たな現実(世界)を生み出していく、ということ。

 

例えば、批判された〜、つまりそれが現実〜だと感じているのに

ふ〜んと無視しておこう、と感情や感覚を抑えてみても

必ずまた同じ「現実」が出てきます。

でも、自分の内を見ていけば

「過去に批判されて傷ついた」という何らかのエネルギーが

出てくるので、そのエネルギーを変化させると

不思議なことに「批判される」という現実

(のように見えるもの)がなくなってゆくわけなんですね。

それは、少し前にも書いたように、その事実(ここでは批判)そのものが

なくなるということかもしれないし

もしくは、自分が批判された〜と勝手に感じていただけで

実は批判ではなかった、とわかることかもしれない。

でも、どちらにしても自分の意識(潜在意識、無意識含めて)が

創り出している現実にしか過ぎないので

例えば 、批判されないように相手に合わせたり

など、外に向かって何かをする必要は何もないということなんです。

 

って、ノンデュアリティのこと話していて、結局キネシの話になってるし〜〜あっかんべー

 

昨夜、おさむが作ってくれた美味しいお蕎麦を頂きながら

二人で「食事って、最高に人間的だよね」

と話していたのですが

確かに、動物にとって、食事はただ本能で取るものであっても

人間にとっては、様々な意味を持つし

だからこそ、それが喜びにも、また不安にも恐れにもなり得るわけですね。


動物も他のものもすべてノンデュアリティなのに

人間だけがデュアリティの中で生きている。


これってすごいことだなあと。

それは、人間に与えられた制限とも言えるけれど

一方で、その制限を持ちつつ、そこを超えてゆくプロセスを

(個人ではなく)人間全体として体験している

と言えるのではないかと。

このゲーム、素晴らしくチャレンジで面白いから、ここにやってきているわけですね。

人生は虚しい、何をやっても無駄、というストーリーも

一時的には決して悪くないけど

その二元から抜けると、最高にゲームは楽しいよ。

  

あ~やっぱり、むちゃ長くなった~。


マイストーリーに付き合ってくださって、ありがとうございますワイングラス

 







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最終更新日  2017年06月01日 12時42分16秒
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■コメント

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Re:ノンデュアリティの光と闇(11/20)   あやこ さん
ノリコさん
貴重な体験からのシェアありがとうございます!

ノンデュアリディの記事を読んで最後人間のデュアリティの素晴らしさで締めくくられたのがとてもノリコさんらしくて良いなぁと思いました(^^)

この話にあったノンデュアリティの虚しさの状態が自分の10代の頃の感覚と凄く似ていました。書くとただの闇なので割愛しますが、その闇を20代で抜け出た時に色々な感情を覚え、人間らしくてこういう自分いいなって強く感じたのを覚えています。

恋をしたりして嫉妬したり重くなったりそれすらも人間らしくて良いじゃない!みたいに感じていました(笑)人間らしくある自分が好きになっていったのです。

正直人間って面倒だなって思うことも沢山あります(笑)でも生きていて何かを求めてもがいたり、美味しいものを食べて美味しい!って感じたり、弱さや時に醜さも人間らしくてなんだか良いなって思うんです。

こんなこと考える自分は変わっているんだろうな〜と思ってきましたが、この記事を読んでやっぱり同じ感覚になりました。

私は人間が好きで、人間でありたいなと思います。きっと拒否反応が出るのは人間でありたい、人間らしくありたいって抵抗からなんじゃないかしらと感じました。

メールもありがとうございます。
後ほど丁寧に返信させて頂きますね(^^)



(2016年11月22日 03時47分01秒)

シェアありがとうございます   竹やん さん
のりこさん、シェアしていただき本当にありがとうございます。
私自身は菜穂さんのエネルギーに触れられた事はすごい良い経験だったと感じていて、実際心も軽くなり、体調もけっこう良い感じだったのです。
でも私には良かったとしても、これは人にはお薦めできないなぁ、あれ?でもなぜそう思うんだろうなぁとずっと思っていました。つらくなった人達の経験談をここで読めたのもとても貴重です。しばらくこの記事を読み返してみます。 (2016年11月22日 06時31分21秒)

Re:ノンデュアリティの光と闇(11/20)   あかね さん
のりこさん、体験をシェアして下さってありがとうございます。このサットサンに関して、共感できる体験談をはじめて聞くことができました。私が思うワンネス、自分は自分の思いのままでいいことにしよう、と強く感じました。このことがよいきっかけになりそうです。元気がでます。ありがとうございました。 (2016年11月22日 11時08分06秒)

Re:ノンデュアリティの光と闇(11/20)   Ema さん
のりこさんの正直な感想をシェアしてくださって感謝します。サットサンは理解が難しそうな印象があったので参加はしていませんでしたが、そうだったのかと思いながら読みました。ノンデュアリティーとは関係ありませんが、最近、私もある人気のある方の講演会に行きました。その時、理解ができる部分とモヤモヤの部分があり、終了後は少し複雑な心境でした。あれだけ人気があるということは、相手の言っていることが正しいのであろうと思ったのですが、でも納得いかない部分はどうにもならない。これを読んで、あ、それでいいのかと。
「どこからそのメッセージが出ているのか」という点は非常に納得できます。もちろん受け手の状態とかも含め。
深いなー。 (2016年11月22日 11時32分47秒)

Re:ノンデュアリティの光と闇(11/20)   shinsuke さん
ジュンコ・セレンディーの動画観ました〜😁。
キネシオロジー的ノンデュアリティとても良いですね💗
紹介して頂いてありがとうございました。 (2016年11月22日 11時58分58秒)

Re:ノンデュアリティの光と闇(11/20)   Yuka さん
ノンドュアリティに少しだけ、のめり込んだ時があったけど、ようやく自分軸で生きれるようになってきたのに、「私がいない」感覚なんて嫌だなぁ。もうちょっと、自分を楽しんでみたいなぁと思って、ハマるのをやめました。
でも、ノンドュアリティの世界が実際どう言う物なのかを、一瞥体験してない私達に上手く説明出来てる人がいなくて、のりこさんの見解を聞いてみたかったので、嬉しいです。
あくまでも、のりこさんの感想でしたが、分かりやすかったです。
紹介されてたビデオも見てみます。感想をシェアして下さってありがとうございます。 (2016年11月22日 15時42分21秒)

Re:ノンデュアリティの光と闇(11/20)   えむこ さん
すご〜い、いつもにも増して力作! ^^

これだけの気づきや洞察や感情やなんやらとがのりこさんに起こり、そのシェアによって、私を含め多くの人達にもその連鎖が起きてるのですから、菜穂さんも、そこに関わった方達も、これはもう開催者冥利につきる!ってものですね♪

感想をシェアしてくださって、ほんと、ありがとうございます♡ (2016年11月23日 03時16分50秒)

あやこさん   norico1 さん
あやこさん

ありがとうございます〜。
あやこさんの愛情深く、温かな人間性がコメントから伝わってくる感じがします。

そうですね~。
このブログの内容では、わかりにくかったかもしれませんが
ノンデュアリティは、本来、人間らしさを否定するものではなくって
人間の根源にある意識なんです。

もちろん、例えば、嫉妬したり、重くなったりしても自分のことを好きでいる。
ありのままの自分を受け入れていることは、とても大切なことだと思います〜。
人間が好き、と言うことができるあやこさんは、慈悲深い方なんでしょうね。

実は、人間らしく、っていうのは、最も定義が難しいところなんですよ。
最近、宇宙人DNAなどのワークがいくつかあったのですが
どこまでが「人間」だと言えるのかしら? ってね。
果たして私は100%人間なのか?ってね(笑)
意外に、あやこさんも、過去世では、宇宙人系につながっていたり
するかもですよ(^0^) (2016年11月23日 12時50分04秒)

竹やん   norico1 さん
こちらこそ、コメントありがとう〜。
ふふ、また竹やんお得意の「同情モード」入ってますね。
「つらくなった人達の経験談」なんて、一言も書いてませんよ〜。
私としては「面白かった体験談」書いたつもりだったんですけどね(笑)
ね?人は、みんな自分の世界(意識)で、物事を見ているでしょう?
私は辛くなった人がいるから、お勧めしない、と言うことではないんです。

竹やんは、自分は良かったのに、人にはオススメできないのは
他の人と自分は違うから?もし他の人が不快になったら困るから?
それとも、自分は楽になった、というのが、何か違うのかしらね〜。
どちらにしても、私のブログ読み返すより、ハートを感じてみてね〜。 (2016年11月23日 13時02分07秒)

あかねさん   norico1 さん
お、あかねさんは、日本で菜穂さんのサットサンに参加されたのかしら〜。
コメントありがとうございます。
はい、自分が思うまま、感じるままに、ですね。
どんどん楽しんでいきましょう〜。 (2016年11月23日 13時17分04秒)

Emaさん   norico1 さん
ありがとうございます〜。
そうですね〜。相手の言っていることが正しいか間違いか、ということで聞いてしまうと、もし自分の「正しさ」と合わなければ、モヤモヤしてしますよね。どんなすごい人が言っていたとしても、この人が言っていることは、この部分は私のい感覚とは違うな〜、と受け取るだけでいいんですが、どうしても私たちは、何が正しいのか?と言う観点で見てしまいがちになるんですよね。(それが二元性と言うものなのですが)
私も今回「信頼する人がこう言っていたから」と自分の感覚を見れなかったように「みんなに人気の人だから」というのも、多くの人が陥りがちなところですね。
誰が正しいとか間違っているとかは何もないわけですから
自分にとって、その都度、心地いいと感じることを選んでゆくだけですね。。 (2016年11月23日 13時40分32秒)

しんちゃん   norico1 さん
オォ、見られたのね。
この方、とってもいいでしょう?
このブログをアップする時に「こんなにわかりにくいメッセージではなくて、もっとわかりやすくノンデュアリティを説明している人いないのかな」と検索してすぐに見つかった方なんです。いわば、彼女は私の意識が見たい現実として創り出した人なんですよね(笑) (2016年11月23日 13時51分11秒)

yukaさん   norico1 さん
ありがとう〜♪
うん、それでいいんです。自分を楽しむ、というのは、結局は全体が楽しむ、ということにつながりますから。
自分軸って、人とのつながり感やそのままの自分が人から受け入れられている感がなければ持てない感覚なので、本当はノンデュアリティと相反するわけではないんですが「私はいない」と言う言葉だけで捉えてしまうと、自分がどうしたいのかわからなくなってしまうんです。           このジュンコさんの動画で「自分らしく生きる」というのがあったのですが、この方はいろんな次元から語っているので、分かりやすいですよ。ぜひ見てみてください〜。                                                                                                     (2016年11月23日 22時10分09秒)

えむこさん   norico1 さん
そうなんです!今回、全く予想していなかった感覚や気づきや感情を楽しむことができて、最高に面白いゲームをやらせて頂いた感じなのです。それを私がシェアすることで、もし何かの気づきや感覚を楽しんでくれる人がいたなら、さらに最高です♪ありがとう〜〜♪ (2016年11月23日 22時17分57秒)

自分の感覚を信じる   mococo さん
のりこさん、本心を伝えてくださってありがとうございます。
今だから言えますが、micaさんやのりこさんのブログで大和田さん関連の記事を読んでから足が遠のいていました。
久しぶりに覗いてみましたらこの記事があったので、コメントさせていただきます。

以前からノンデュアリティで話題の人として大和田さんのことは知っていましたが、個人的にはどうしても好きになれず、もっと言えば拒否感がありました。
今回の記事を読んで合点がいった部分があり、なるほどと思いました。

今回あらためて感じたことは、どんなに信頼している人や好きな人のお勧めであっても、最終的には自分の受け取った感覚や気持ちを大切にすることが大事なんだなと思いました。
(こうして言葉にするとごく当たり前のことではありますが)

私は、言葉や概念の探求よりも自分自身を真摯に生きている方に惹かれます。(むろん言葉や概念を真摯に探求している方もいらっしゃることと思いますし、それは別として)
やっぱり、自然な気持ちや心や欲求を大事にしたいなぁ。
そんなことを一番思いました。 (2016年11月24日 14時11分39秒)

mococoさん   norico1 さん
伝えてくださって、こちらこそありがとうございます〜
mococoさんが、ちゃんと自分の感覚を受け取られていて、嬉しいです。
多分、mococoさんに拒否反応が起こったのは、ノンデュアリティのメッセージそのものに対してではないんですよね。
そうそう、私がブログでお勧めしても、決して信じないでくださ〜い(笑)
みなさんにお伝えしているのは、それぞれのセッションで導き出されるものは、その方の身体が伝えてきていることなので、それを信頼していいんですが、私個人が何かの時(例えば、ブログなどでも)に伝えていることは、その時々によって違うし、その方の今に必要なものかどうかはわからないですすから、そのまま受け取らないように、ということなんです。
そういっている私自身が、信頼するミカさんがお勧めしているのだから、という忠誠心と言えるほどの思いから、観えていなかったわけですけどね
(^-^:)
なので、やっぱり今回のことは、私の中にあった問題を見せてくれるために必要なものだったなあと。そしてこうしてまたそれをシェアしてゆくことで、さらにそれが深まってゆくというか。
だから、ある見地から見れば、菜穂さんは、そういった私の中にあった問題を見せてくれるための存在だった、とも言えるわけなんです(もちろん、彼女は何の意図も意思もないですけどね)
そして、その問題を見ることができたら、もうその存在は必要ないわけで
私の中では菜穂さんの存在そのものが消えてしまったという感じです。
やっぱり全て完璧にできているんですよね〜。 (2016年11月24日 23時19分45秒)

Re:ノンデュアリティの光と闇(11/20)   ゆうこ さん
家族の関係者が昨年から大和田菜穂さんにハマりきって、少し戸惑って検索しているうちにこの記事に出会いました。
大和田さんはとても人気のある方のようですし、否定する気持ちはないのですが、はまっている本人がどんどん狐憑きのような、このような表現は不適切なのかもしれませんが、その表現がぴったりで、そして、この一年で菜穂さんもその取り巻きの人も、どんどん同様に顔からも雰囲気からも同様に狐の霊を感じてしまうのです。
こう感じてしまうわたしがおかしいのかなとも思うのですが、このにおうような、「この感覚」がなんなのか…
何故みんなが同様の雰囲気、表情になっていくのか…とても不思議なのです。

突然のコメント失礼いたしました。



(2017年02月11日 00時53分22秒)

ゆうこさん   norico1 さん
コメントありがとうございます。
私の筋反射で出てきたのは狐の霊ではなかったのですが
「狐憑き」みたいに感じるというのも、なんとなくわかる気がします。
エネルギーは顔に出てきますから、もし同じエネルギーの影響を受ければ、みんなが同じ顔になってゆく、というのも不思議ではないんですよね。 (2017年02月11日 17時36分55秒)

Re:ノンデュアリティの光と闇(11/20)   青さん さん
初めまして、青と申します。
ノンデュアリティというワードを聞くたびに、背中から冷たいものを浴びせられるかのように思い。。また、嫌悪感がするようなことでした。。ノンデュアリティのことはよく知りません。。が、最初にこのワードを知ったのはこの大和田さんの動画でした。私は、一目みるなり、、遠ざけましたが!!さて、最近になって私の周りの友人たちが、この虚無感を訴えているところです。。しかも、その方々に共通するのがこの女性の動画とその男性のブログの読者であるということのようで。。こちらに書かれているエネルギー体の強い影響を受けている様子は!そうだったのか!!とたいへん納得いたしましたよ!!しかし、友人など。。なかなかに解除するのはたいへんなようです。。このエネルギー体の持つ意識の世界は注意が必要だと強く思います。 (2017年05月26日 06時25分16秒)

青さん   norico1 さん
コメントありがとうございます。
ノンデュアリティ=大和田菜穂さんのメッセージではないのですが、最初にその言葉を知ったのが彼女からだと、その言葉を聞いただけで、寒気がするようなものになってしまったのでしょうね。
あの動画を一瞬見ただけで、遠ざけたというのは、青さんはエネルギーに敏感な方なのでしょう。
私が最近、気づいてきたことは、虚無感になってしまう人というのは、そのエネルギー体の影響を受けやすいDNAを持っているということでした。
このエネルギーを受けてしまうと、人によっては、第6チャクラが封印されてしまうので、自分自身で何かを判断したり、決断する力を失ってしまって、そこから抜けれなくなってしまうんです。
それでも、そうなってしまったということは、それも何らかの必要なプロセスなのだろうなあと感じています。
また、こうして自分が感じたことを伝えて警告を鳴らすことも、必要なプロセスなのかもしれませんね。 (2017年05月26日 22時48分35秒)

Re:ノンデュアリティの光と闇(11/20)   Green さん
初めまして☆
ふと大和田さんの事を検索して・・・出会わせていただきました。
そして、共感させていただきました。
私は、ノンデュアリティ―のメッセージに出会ってから、どんどん思い込みが剥がれていき、いかに自分というベールを通して世界を見ていたかに気付き、楽になっていったことに、感謝しています。
ですが、去年大和田さんのサットサンに参加したときに、温かさではなく、どこか重苦しさを抱えて終わったことに、違和感を感じていました。
メッセージ自体は嘘ではないと感じながら、このもやもやは何だろうと、スッキリしませんでした。
行く前の楽しみな気持ちとは反対に、実際会場で座っていると、質問する衝動は起こらず、参加は今回だけでいい、という感じが沸きました。
そのとき、大和田さんに特別さと期待を投影している自分に気付きました。
「あ~、”私”が対象としての大和田さんを見ていたんだ」って。
何かを信じ込んだり、はっと解るときがあったり、そんな全てが可笑しく、有難いです。
ありがとうございました!! (2017年05月30日 21時48分43秒)

Greenさん   norico さん
コメントありがとう〜〜🎵
共鳴してくださって、嬉しいです。
本当にノンデュアリティの伝えるメッセ〜ジそのものは宇宙の真理だと感じますが、それを伝える人、そして受けとる人によって、新たなデユアリティを生み出していくのですよね。
そこに、サットサンに参加して気づかれる方もいらっしゃるのだなあと知ることができました。
こちらこそ、ありがとうございます! (2017年06月05日 18時30分26秒)

Re:ノンデュアリティの光と闇(11/20)   yamada さん
こんにちは 書き込み失礼します。
ノンディアリティについて調べているうちに、こちらが辿り着きました。
拝読して、大和田さんに興味を持ちました

私の場合は、自分の死について考えるというか、覚悟をしようとしていて、ノンデュアリティの気づき?(覚醒?)をしていれば楽になるのではないだろうか、と思って、ノンディアリティに興味を持ち始めました。
私のような年になると死を意識します。癌などの病気ではなく、年齢による死です。私の家系は、いわゆる老衰か、加齢による心停止によって、似たような年齢で死んでいるので、私もそろそろ覚悟しておかないと、という訳ですが、そので何かの助け舟を探しているのです。

祖母は老衰で大往生でしたが、医師から「死ぬ間際には水を欲しがるので、湿らせて布で唇を吹いてあげてください、口に水を含ませても呑み込めないので苦しいだけです」といわれて傍にいると、祖母は水も欲しがらず、天井を見つめているうちに逝きました。身体的な苦痛はなかったようですが、意識があったので、死ぬのは怖かったのでないか?どうなんだろう・・・
もう一人の祖母は、死ぬ1週間くらい前まで「まだ死にたくない」と言っていましたが、意識のない状態で死にましたのので、死の恐怖は感じなかったんだろうと多います。
祖父は二人とも心臓でしたが、年齢が年齢でしたので、医学的には、まあ、仕方ないってものでしょうが、意識があって、痛みと恐怖があったのだろうと推測しています(医師が家族を廊下にだしてしまうので、見てないんです)。

ここで自分のことですが、心臓が不調になったことがあって緊急入院したのです。病気ではなく年齢的なものという訳で、ただ医師が様子をみているってことなんですが、私本人は、痛みと恐怖の二つを感じました。
心臓の痛みって短時間なのですが、死の恐怖というのが長い長い~! 
「怖い」としか表現できないものです。この恐怖に耐えたら、「お花畑」「光のシャワー」とかになるんだろうか?などと考える余裕などなく、「怖い」一色という感じです。
いつか絶対に死ぬわけです。睡眠中に死ねればラッキーですが、そうでなければ痛みと恐怖を感じるのでしょう。痛みは身体的なものですので克服するのは困難でしょうが、あの恐怖のほうをなんとかできないものだろうか?

一時期ロス博士関係のあの世の存在や生まれ変わりなども貪りました。それらは、「事実として死は通過点である」ということで、感覚的な恐怖を感じる必要なないということです。でも、やっぱり恐怖を感じるんですよね。

そこでノンディアリティに興味をもっています。「覚醒」「気づき」なるものをしておけば、嬉しいも悲しいもない、楽しいも寂しいもない、やる気も失せた、そうならば、死ぬのも怖くない、かも。「ま、十分生きたし、もう死んでもいっか・・・」となるんじゃないか。

まだよくわかりません。ワンネスとか、生命としての一体感、多幸感とかを感じながら、逝けたら最高なんだろうけど。それが無理なら、せめて「まあ、いいや」くらいで死にたいと思っている次第です。

もう日常生活というものがなくなった年寄りのコメントです。
読み流してください。失礼しました (2018年03月02日 13時19分35秒)

Re:ノンデュアリティの光と闇(11/20)   SKY8 さん
こんにちは。
初めてノンデュアリティ大和田さんのセミナーをたまたま受けて、もやもやと虚しさを感じるようになり、たどり着きました。
大和田はんはひたすら概念の繰り返しで、ノンデュアリティそのものはわかるけれど、「で?」となっていろいろ調べておりました。
人間はその枠や境界という分離を経験しにきているのでは?等の疑問と、ではどう生きろというのか?という虚しさが残っておりました。
ノンデュアリティを日本語で表現されているのは大和田さんしか存じておらず、ご紹介いただいた方もみてみます。ご縁をいただき感謝です。 (2022年05月24日 13時48分26秒)


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