今日、新体操観戦仲間とランチをしました。なんでまあ、こんなに話すことがあるんだろうというくらい、こういう仲間との話は尽きません(会計するとき恥ずかしいんですよ、あまりに長居しすぎて。だからいつも遠くのファミレスに行くようにしています)。
このランチで話題になったのですが、「セルフイメージ」をもっている選手とそうじゃない選手は、見え方が違う、という話です。私達が見ていて「美しい」と思う選手、「なんてかわいらしいんだろう」と思う選手、「すばらしい柔軟性だ」「手の動きが美しい~」など、なにか印象に残るような選手は、おそらく「自分のここを見せたい」「自分はこういう風に見られたい」というイメージをしっかりもって演技しているのではないだろうかと。もちろん、能力も伴っていなければイメージ通りに見せることはできません。だけど、せっかく能力はあっても、「はい次、はい次」と技を繰り出しているだけに見えてしまいがちな選手は、このイメージが弱いのかもねえ、と。逆に能力的にはごく普通の選手でも、自分をこう見せたいというイメージを強くもっていたり、あと曲のイメージをしっかりつかんでいたりする選手の演技は、印象に残る、そんな気がします。
このとき、例として出たのが飛行船の高橋麻理子さんでした。彼女は今、「いちばん美しい選手」ではないかと私は思っているのですが、もちろん、能力も高いし、スタイルもいい選手ですが、なによりも本人の「意識の高さ」がとても伝わってくる選手だと思うのです。ただでさえ美しいのに、「ここを美しく見せよう」という気持ちが彼女の演技をより美しく見せているように感じられます。そういう「意識の高さ」は、もって生まれた身体能力などにかかわらずだれでももつことができるものだとは思うのですが、実はもっとも努力ではつけにくいものかもしれません。だけど、「そんなイメージをもって演技できる選手、いいよね~。自分の娘もそんな選手になってくれたら言うことないんだけど」と長い長いランチはしめくくられたのでした。
最終更新日
2003年10月03日 06時50分49秒