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ヨス子さん:御飯屋のオンナ主人で男前なオンナ。 グラ:高校の同級生で2人の大きな子供の母。 清子さん:私の福岡に住むオバ。 亭主:勿論私の配偶者。 壱男:2003年7月に誕生した長男。 弐女:2005年7月に誕生した長女。 青春:楽しかったり悲しかったりといった感情を伴う経験。 汚宅:単に汚い家というだけでなく全く家族に顧みられなくなった家。 御宅:インテリアがどうのというのではなく家族に愛着のある家。 宇宙の法則:宗教と関係なく、毎日の観察によってどうもこういう感じになっているとアタシが勝手に判断したもの。 riccaの日記 [全1079件]
うちは都内でも放射線量の高い地域にある。
家は買っちゃったし、 実家はホットスポットのK市だし、 旦那の実家も福島のお隣のT県だし、 で身動きとれない。
うちの区でも放射線から子供を守る会ができた。 個人でガイガーカウンター持つ人が増えた。
あるとき近所の公園で放射線料の測定に立ち会った。 公園の平場は毎時0.2μシーベルトで場所によって0.3くらい。 それが落ち葉が積もる木の根元を測った時、 最大毎時0.65μシーベルトをカウンターが示した。 警告音が鳴る。 そこから1メートルほど離れると0.4くらいに下がる。 ホットポイントだ。(こんな言葉はない。)
放射性物質は、 広がりをもった地区、地域にホットスポットを出現させたようなイメージだったけど、、 私が体験したような小さな点に集中することもある。 一緒に測定をした人に言わせると、 「木が吸い上げているような気がする。 木の根元の線量高い傾向にある。」と言う。
この木を見上げると肉厚の葉が生い茂る常緑樹だった。 木が吸い上げてくれてありがたいと思うべきなのか、 木に申し訳ないと思うべきなのか、 頭が混乱した。 次にここの線量を下げるには、 この大量に積もった落ち葉を拾い集める必要があると考えた。 でも木が吸い上げているとしたら、 この木の葉っぱが再び枯れて落ちるのを待って、 再び三度何度でも線量が下がるまで、 落ち葉をかき集めねばならないとも考えた。 そしてこの落ち葉をどこに捨てればいいのか。
再びアタマを混乱させながらこう思った。 大変なことが起きてしまった。 大変なことをおこしてしまった。 やってもやっても終の見えない状況が3.11以来始まったのだ。 このとき実感として腑に落ちた。
福島の状況を思うとうちの近所の線量など比較にならない、 と言う批判覚悟でこれを書いている。 理由は私には私の信念があるからだ。 福島の悲劇は長く続くと思う。 とても気の毒に思っている。 福島の皆さんに私が出来ることは、 うちの二人の子供を健康な成人に育てて、 納税者にすることにあると思う。 ちっぽけな貢献だけど、 これから税金で福島県民の健康、復興は賄われる。 だからフリーター、ニートより、最低納税額でも稼げる成人を一人でも多く増やす。 これは人口減少、つまり納税可能な人口減少の日本としたら、 現実的なことだと思う。
日本は今、少子高齢時代。 私の住む団地はまさにその縮図。 老人世帯ばっかし。 で、この老人世帯が団地の敷地内にある幼稚園、小学校に文句を言っている。 「幼稚園の楽器演奏がうるさい。」 「学校行事のとき、父兄の自転車が邪魔。」 「幼稚園で飼っている動物の鳴き声がうるさい。」とかね。 かつては自分の子供がお世話になったであろう地域の教育施設に。 分譲住宅地だから、学校、幼稚園がうるさいこともわかって買ったんだろうに…。 って思う。
老人になると、自分の都合が中心になるのかなぁ。
私の住む地区はどうも、放射線量が高いらしい。 区は発覚を恐れて放射線に関しては絶対触れない。 だから江東子供を守る会のような会を有志で作った。 これを作るにあたって区役所と話す為に、 地元の力ありそうな人を味方に付けんがために、 近所の顔の広そうな人をあたったところ、 「私たち老人はいくらも生きないから、 好きなものを食べて、何も気にしないです。」 「先が長くないからねぇ。」という、前置きがあって前向き回答を一応得た。
この前置きに私はなんか引っ掛かった。 子育て世帯が多かったら、 意識の差はあれど「子供を守りたい」っていう必死感が、 相手からも返ってきそうなもんだけど、 子育て終了の老人世帯が大半になると、 対岸の火事程度。 温度差を感じざる負えない。 少数派の子育て世帯の声が届きにくい。 声を上げても見向いてもらえない。 これが少子高齢化の現実かな。
今、菅総理の退陣とか、震災復興の政治の遅れとか話題だけど、 これって何も永田町の政治のまずさばかりじゃなくて、 老人議員の人数の多さも関係してるかも。 まだまだ、日本に生きてしかも被災地が地元だったり、 子供が居て放射線の影響下に地元があったりって言う、 自分自身に影響のある議員がすくないんじゃないかな。 この任期を無事終えたらOKみたいな議員が多かったら、 やっぱり政治が動いていかなくてもおかしくないよ。 当事者意識って大事だもん。 当事者じゃなくてもそれを想像して思いやるアタマと気持ちね。 歳をとるとそういうことが出来にくくなるのかなぁ。 やだなぁ。
誤字脱字は許してね。
最近、弐女ちゃんの通う幼稚園で、 放射線対策なんもしなかったっていうママに出会った。 別に育児放棄してるようなママじゃないんだけど、 ただただ何していいかわかんなかったんだって。 こういうママもいるんだね。 一応私がここ3ヶ月やってきたことを書くと、
□部屋の換気口にHEPAクラスのフィルターを貼る。 □窓は開けない。 □プラズマクラスター空気清浄機を導入。 □風が吹いたら子供のマスクをさせる。 □草むら、芝生に子供を行かせない。 □砂場遊びはさせない。 □飲料水は蒸留水器を導入。 □食材は原発から500キロ以上離れたものを買う。 □お米を備蓄。 □洗濯物は部屋干。 □風が強い日は花粉症メガネを子供にさせる。 □学校へは水筒をもたせる。 □ビール酵母を取る。 □野菜はホタテ粉で洗浄。 □ヤクルト400を毎日飲む。 □大豆製品、小魚を毎日食べる。
どれが効果があるかわからないけど、 誰も自分子供を守ってくれないし、 本当のことを教えてくれないし、 どうすべきかを教えてくれないから、 とりあえずやってるよ。
先週、東京都下水道局の放射線量が発表された。 うちはふたつの下水道処理場とスラッジプラントのすぐ近くにある。 どうりで空間線量がなかなか下がらないはずと思った。 と、思うと同時に「アタシってやっぱり運が悪い。」って久々に落ち込んだ。 こんな場所に家を買っちゃって…、って感じで。 子供のことが心配…。
と、もうひとつ思ったのが、 土地には端っこっていうのがあるってこと。 土地の端っこには迷惑施設がある。 ゴミ焼却場とか、下水処理場とか、原発とか。 平成になってウォターフロントとか名前を付けて、 価値の付け替えをして土地の端っこは人が住むようになった。 下水処理場の上は運動場になったり、 ごみ焼却場もキレイな建物だったり、 原発もお金かかった外装施してたし、 なんかうまい具合に誤魔化してはいるけど、 今回みたいにそのメッキが剥がれて正体が露呈してしまうことがある。 そのとき、自分が踊らされていたことに気がつく。 やっぱり端っこは端っこで、 嫌なものは隅に寄せられていたことにね。
東日本大震災が起きて、 福島原発の事故がおきて関東一帯に放射線物質が飛散した。 これに対して政府は「直ちに健康被害はありません。」だった。 タバコだろうと携帯電話だろうと「直ちに健康被害はありません。」なのよ。 だけど「、後あと健康被害の可能性はあります。」ここがいつも抜けている。 今回も抜けた。 文脈から判断せい!、いうのだろうか。 それともこれは文学だったんでしょうか。 政府の公式見解だったよね?!。 この後、福島の子供たちは放射線量が最も多かった時期に、 放射性物質に曝された。
「なんで福島の人は避難しないのか不明」なんていう人がいたけど、 出来なかったんだと思う。 まず、避難所には共用のテレビしかなかった。(私もテレビでみたんだけど。) 情報が限られた。 福島はこれまでに大企業が成長してこなかった。 (地方発の企業。ジャパネットたかたとかコジマとかね。) つまり、ほとんどの人が中小企業か、役所、漁業、酪農、農業と所得が低かった。 (ここが宮城ととの大きな違い。) 今の世の中避難するにもお金が掛かる。 あと、土地に根ざした職につく人が多くて、 土地を離れがたかった。
原発の事故から2ヶ月たって、 ようやっと子供の年間放射線被曝量の累積が1ミリシーベルト目標になった。 おそいよぉ。 学校給食は地産地消が基本だから、 規制値以下でも放射性物質を体内に取り込んでいる。 カワイソ過ぎる。 校庭の表土の入れ替えを始めているけど、 汚染されているのは校庭の表土だけじゃないよ。 もっと県全体を除染してほしい。(山は無理と思うけど。) 少子化担当大臣ってレンホウだっけ。 「お仕事してますぅ?。」って電話したくなっちゃう。
程度は福島より下がるけど、東京も同じ状態。 東京はまず、学校の放射線量を測ってくれない。 区に頼んでもね。 私の住んでいる所は、新宿の3倍近く放射線量があるんだけど、 私はこれに対してどうしていいのか判断がつかない。 最近やっと子供にマスクをはずさせた。 でも飲料水は持たせている。 学校給食も弁当持参にさせようか、どうしようか悩んだ末、 学校給食を食べさせている。 どれも規制値以下と学校は言っているけど。 私には生まれて初めてのことで、どうにも判断がつかない。
子供を守ろうとする姿勢が政府にないってことが、 今回よぉくわかった。 東電の清水社長の会見見ててもよくわかった。 この人は、こんな大災害を自分ところの企業がおこしても、 □会社はつぶれない。 □自分の退職金はもらえる。 □自分の名誉は穢れない。 □しばらく我慢すれば全て復旧される。 全くこういう思考が根底にあることが顔に現れていたと思う。 悪びれたところがない。 落ち着き払っていた。 ここに日本の未来を担う子供を救う、 子供たちに悪かった、 などという気持ちは微塵もみてとれなかった。
これを見て、 子供を産んで何か大災害が起きたときに、 子供の身を守れるのは自分だけだな、 って強く思った。 沢山持ってる老人がそのたくわえを減らさずに生きていければ良い、 そんな世の中になってるんだなって思った。
年末に高校時代の友人から携帯メールをもらった。 子供を産む前は頻繁に会ってた友人で、 といってもちょっとめんどくさい感情もあってか、 簡単に単純になかよしなんては言えない存在かな。 彼女は負けん気が強くて、 私には絶対負けたくはないって思っていたと思うんだ。
その彼女からあの時の仲間に会いたいと、 私を含めて連絡が廻って来た。 最近長く勤め上げた上場企業を早期退職して、 すぐに転職先も決まったものの、 その新転地が性に合わなくて毎日つらいという話。 それでみんなに会いたいと。
私を含めて、みなバブル経験者で、 日本経済絶好調の平成元年前後に入社している。 私は総合職入社で、一般職入社で後に総合職になった者もいる。 今から20年以上も前ことだけど…。 この仲間のうち私ともう二人は結婚して子供をもうけた。 専業主婦は私だけ。 残りは独身。 みんな揃って今年47歳。 全然若くない。
携帯メールをくれた友人はこんな事をメールに書いていた。 「私は人生をどこか間違ったような気がする。」。 結婚して、晩産だったけど二人の母になった私は、 彼女流に言うと間違わなかったらしいニュアンス。 私に対してこんな弱音、 調子よかったら絶対見せない人だよなぁ、 なんて思った。 よっぽど何かが堪えているんだろうなぁ。
去年NHK特集で「無縁社会」っつうのをやっていた。 孤独死、自殺、派遣村、 それも解雇、離婚、死別そういったことがきっかけで、 人と人、人と地域、人と社会、そういった縁がどんどん切れてしまう。 NHKは今の社会をそういう風に見ているらしい。
私達世代の20年をざっと振り返って見ると、 三高、 DINKS, 不倫、 ×1、(離婚のこと) キャリアウーマン、 今のNHK的無縁社会のプロパガンダが、 こういったことの中にあったような気がする。 私はこのプロパガンダに乗っかりながら、 ある時この列車を降りた。 そして子供を産み、普通の母ちゃんとして地元に根差し、 自分の足元で生きている。 別に何も誉められるような事のない、 ごくごく普通の当たり前の日常なんだけどね。
友人の人生の間違いは、 このプロパガンダに乗っかっていったことのように思う。 長く働いた会社を去り、 新しい職、新しい場所、新しい人、 ここに縁を築いていくのは容易ならざることだろう。 そして会社を終えて帰宅すると自分で買ったとはいえ、 一人暮らしの一人だけの部屋。 休みの日に近所を歩いても、挨拶を交わすような人も居ない。 忙しく、絶好調の時には気が付かなかった現実を目の当たりにしたのかもしれない。 とにかく、私に会いたいなんて言うこと自体、 友人は相当参っていると想像するよ。
今日は久々に社宅時代に一緒だった、 リー君のママNさんとランチをした。 Nさんには男の子が二人いて、 長男リー君は、うちの長男壱男と同級生で幼馴染。 幼稚園まで一緒で今年から小学校はそれぞれの学区域に通う。 次男はタックンでリー君とは年子。 今日はタックンのおはなし。
タックンは幼稚園就園前から、 ちょっとほかの子とは違っていた。 まず、言葉が遅れていた。 あとはなんとなく、みんなと違うという印象を誰もが感じていた。 当時のNさんはなんか心が荒れていて、 社宅でも近所でトラブルを抱えていた。
その後社宅が取り壊しになって、 うちは子供たちの通う幼稚園のあるS町に引っ越して、 Nさんは同じ幼稚園だったので、 やはり幼稚園の近くのN町に引っ越していった。 その後も幼稚園が同じだったこと、 共通の友人がいたことで私たちの交友は続いていた。
そのNさんと今日久しぶりに再会した。 そして次男のタックンについて語った。 タックンは3歳児検診で言葉の遅れを指摘され、 行政の開く育成室に通っていたこと。 そこでタックンのIQが平均的な子供のIQにわずかばかり届いていないこと。 その育成室で発達に問題を抱える子供の教室を知り、 そこにずっと通っていたこと。 そこでIQが伸び始めたこと。 タックンは来年度就学予定だけど、 育成室に通っていたことが原因で普通学級か特殊学級か、 を決めるために何度も医師の診断やカウンセラーの診断を必要とされていること。 そういう、3年近くに渡る苦しかった胸のうちを語った。
Nさんは言った。 「うちはものすごい財産をタックンに残してあげられはしない。 だからこの子が自立できるように育てて生きたい。 多くを望まなければ、それはできるはず。 親が諦めてしまったら、この子は伸びていかない。」と。 Nさんはどうしてもタックンを普通学級に入れたいと、 望んでいるワケではなかった。 どちらでもいい。 最終的にタックンが曲がりなりにも自立出来る道を望んでいる。
Nさんは凄く落ち着いて地に足が付いていた。 「子供がどうであれ、 親がどうどうとしていれば何も問題は起きない。」と、 御自身を確立され立派に成長されていた。 この誰にも語ることのなかった数年間の間に、 悩み傷つきながらもそれだけでは留まらずに、 タックンには教材を買い、それを工夫し、 タックンとの取組みを毎日こなしてきて、 それが年少のとき話せなかった子が、 卒園を迎えるにあたりひらがな、カタカナの読み書き、 そして10までの足し算もこなせるまでに至った。 それと同時に長男とはやはりその成長の速度の違いについても、 冷静に受け止めていた。
今日のNさんには何か一区切り付いたというか、 何か一山超えた、そういう感覚を私は感じた。 そして人というのは変われる、変わるものだと思った。
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