先日のブログの中で、ダーリンが脳神経外科の部長から「車椅子の人生を受容すべき」と言われたことを書きましたが、医療関係者の大多数がこういう反応です。実はダーリンが受傷してすぐ、私も同じ脊髄損傷者の体験記を読んだり、ホームページを読んだりして、「車椅子の人生」を前提としたダーリンのこれからの人生を考えていました。ダーリン自身には本当のことは言えずにいたのですが。実はダーリンは受傷前は京都の老舗のコーヒー専門店に勤務しており、20代の頃から喫茶の修行をしていたので、この際喫茶店を自分で経営させてみよう、車椅子でも動けるように工夫して店を開こうとか、リハビリセンターに何年か入れ、ITの勉強をさせて在宅でできる仕事を受注してやらせよう。。等々。医師の説明を受け、ネットサーフィンを繰り返しても「脊髄損傷は損傷したところ以下は動くことがなく、回復はありえない。」という回答しか帰ってこず、私の頭のなかにも次第に「あきらめ」と「あきらめた上での別の道」をダーリンに歩ませることが当然のことのように染み透っていったのです。でも、ダーリンの本当の望みはそこにはなかったのです。しかし、最初に入院した病院での日々も3ヶ月を過ぎ、脊髄損傷のためのリハビリ病院を探さなければいけないという状況になってきました。治療のための病院には、回復不可能な患者のいる場所はありません。そこで、いくつかのリハビリ病院に出向き、受け入れてくれるリハビリ病院を見つけました。公営の施設で、最長3年までいることができ、車椅子での社会復帰を保証してくれるというものでした。そんなある日、いつものように「脊髄損傷」をキーワードにネットサーフィンをしていると、「立った、歩いた」という文字が目に飛び込んで来ました。脊髄損傷者が「立つ?」「歩く?」私は目を疑いました。そして吸い込まれるように、北海道のU先生の、友人Mさんに施した6年間のリハビリの記録を読み始めたのです。Mさんは頸髄の2-5番を損傷し、まばたきしかできない状態でした。
そんなMさんが、U先生のリハビリにより、立ち、歩いているのです。すぐに
U先生にメールを出し、すぐに返事をもらいました。U先生の返事は、とにかくこちらに来なさいということでした。リハビリ病院への入院が決まっていたので、「リハビリ病院を退院してから行かせていただいてもよろしいでしょうか?」と聞くと、「リハビリ病院を経てからでは受け入れない」ということでしたので、悩みましたが、ダーリンも「U先生に賭けたい」ということでしたので、入院中でしたが、とにかく北海道に行くことに決めたのです。ダーリンも部長先生の言葉から「ずっと車椅子なんだろうか?」と思いながら、毎日を過ごしていたのですが、U先生の記録をプリントアウトして持っていったところ、始めは興味なさそうでしたが、読み進めて行くうちに「歩けるようになるかもしれない」という希望を持ち始めていたのです。北海道での訓練の日々についてはまたおいおい書きますが、もし主治医が、障害の受容を強制するような人だったら、そしてもしU先生のことを知らずにリハビリ病院に入れていたら、きっと「立ち」「歩く」ということは全く考えずにただひたすら障害を受容する(させる)ことにのみ心を砕いていたことでしょう。進行性の病気の患者で、否応無く障害を受容せざるを得ない人々もいます。しかし、年間約5000人うまれる脊髄損傷者はなんら下肢のリハビリによる回復を試されることなく、「障害の受容」を余儀なくされているのです。障害を受容するにはみな3年ほど苦しい葛藤の日々を過ごすといいます。その苦しみは本当に必要なのでしょうか。本当の望みをかなえる可能性は本当にないのでしょうか。「障害の受容」は下肢のリハビリを試してみてからでも遅くはないのではないのでしょうか。「あなたは一生車椅子です」と宣言する前に、その人の本当の望み-「歩きを取り戻すこと」-の可能性を考えてもらいたいと思うのです。その可能性がたとえわずかだと思われたとしても。
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Last updated
2005年10月09日 21時06分24秒
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