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きてもいいということ。もうひとつは、そのときに自分が父親であるという事実を娘には明 かさないでほしいということ。 自分が父親だということを言えない。それは私にとってつらい決まり事ではあったが、娘に とってはそれが最良の選択だあることもわかっている。年に一度、娘の誕生日を一緒に 祝えるだけでも感謝しないといけない。 にいった。 元妻は私のことを「遠い親戚のおじさん」と紹介した。娘も冗談なのかなんなのか私のこと を「見知らぬおじさん」と呼んだ。 例年通り私がスーツを着てプレゼントを持って母子のもとを訪れると、元妻から「もう会い 来るのは最後にしてほしい」と言われた。 そろそろいろんなことを理解してしまう歳だからと。 それが理由だという。 私にはわかっていた。 新しいことがはじまろうとしているのだ。 娘にもやがて一緒に誕生日を祝う同級生ができるだろう。 元妻は、再婚を考えているかもしれない。 そんなところに "見知らぬおじさん" がいてはいけない。 だが娘の誕生日だけはどうしても忘れられず、毎年プレゼントだけは贈り続けた。筆箱や 本などささやかなものを、差出人の欄になにも書かず送った。 それを元妻が娘に渡してくれていたかどうかはわからないが、ただ「娘の誕生日を祝う」と いう行為だけが小さな楽しみになっていたのだ。 娘からすれば私は知らないおじさん、こうしてずっとプレゼントが届いても迷惑だろう。 娘には新しい未来がある。私も別の道を歩まなければいけない。 ただ娘の幸せだけを願い、英語の辞書を送って最後にした。 メッセージカードを開くとそこには初めて見る可愛らしい文字が並んでいた。 私もお返しをしようと思ったのだけど誕生日がわからなかったので(汗) 今日送ることにしました! 気に入るかなあ……見知らぬ子どもより>
楽曲のみならずトークへの注目度が高く、特にライブ終了間際に語 られる“心温まる誕生日エピソード" は多くのファンの涙を誘う。
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Last updated
2011/05/15 06:33:23 PM
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