074740 ランダム
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鵜沼の山師

鵜沼の山師

訪れた町







マナリ    シムラ    レコンピオ    カザ








【マナリ】



 場所はインド北部、ヒマチャルプラデシュ州北部に位置し、インド文化圏の最北端の中心的な町で、来たのロータン・ラを越えればチベット文化圏に入る。かつての中国文化大革命や中国国境紛争から逃れてきたチベット難民の数も多く、町を南北に貫く道路は、今なお紛争の続くカシミールへ続く軍用道路となっており、町の北には規模の大きな補給基地もある。
 マナリは市街地北部から流れ込むマナス谷(Manalsu nala)により旧マナリと新マナリ(現マナリ)に分かれている。旧マナリへは新マナリ市街地の北の端から西へ緩やかな坂を上っていき、マナルス谷の橋を渡ると部落へ入ることができる。旧マナリにも旅行客(外人)相手の土産物屋や小さな民宿もあるが、緑が多く農村といった感じである。
民家は古いものが多く、一階は納屋、二階はベランダ(廊下)のある住居で、屋根は近くでとれる薄く割れる片麻岩で葺かれている。農地はリンゴの果樹園が多いが、畑も多く、さまざまな野菜が作られている。野菜は毎朝新マナリのバザールへと運ばれている。

マナリの農家


 新マナリは、もとは避暑地であったようであるが、現在は商業・観光の中心地で、小さな商店がびっしりと並び、またチベット人バザールもあり人でごった返している。
 町はバスターミナル付近が中心で、生活に必要なものはたいていそろう。外国人観光客が多いこともあり、土産物屋はもちろん、レストラン、国際電話屋、インターネット屋、旅行社、本屋、等々困ることはない。アルコール類も普通に買うことができる。

バスターミナル付近


 銀行だが、両替の際日本と少し勝手が違う。入り口にはジャバラの鉄扉があり、それも50cmほどしか開かないようになっている。入り口付近にはショットガンを持った警官が2名、中にも見回り役の警官が一人いる。中にいるのはほとんど外国人ばかり。順番待ちのためのコインのようなものをもらい、呼ばれるまで長椅子で待つことになる。ところで換金についてだが、結構大変である。10$札10枚をRs(ルピー)に替えようとしたら、換金書類の一番下に”番号を全て書け”である。中にいた警官が教えてくれたが、偽札が使われることがあるのか、面倒である。お金を受け取るときは特別に作られた”檻”の中からお姉さんが無愛想に渡してくれる。100$を換えて出るのに1時間半もかかってしまった。お金を使うことはあまりないといってもある程度はデリーにいるうちに換えておいたほうがいいと思う。

(マナリの八百屋)


 インドへ行ったら食生活がどう変わるのか、長期間の生活に耐えられる食料が得られるのか、大丈夫とはいわれるものの関心があった。
 私はベジタリアンに近いのでまず青果物店を探した。バスターミナルに1軒、東側の路地に入れば何軒もある。野菜類は旧マナリ地区から毎日朝運ばれてくるので、新鮮かつ豊富である。いくつかの店を観察してみた。
 売られているものはダイコン、ホウレンソウ、ショウガ、ジャガイモ、オクラ、キュウリ、タマネギ、ニンジン、マクワウリ、カボチャ、トマト、長ナス、米ナス、ブロッコリ、カリフラワー、ネギ(アサツキに似る)、サトイモ、ニンニク、トウモロコシ、キャベツ、ニガウリ、カンピョウ、ピーマン、など、日本で見たことのあるものばかりである。調味料さえ日本から持参すれば日本の味はOKである。現地では思いつかなかったが、漬け物もOKである。だが水の問題もあるので注意が必要。

マナリの八百屋



 果物の種類も多い。バナナ(小さい)、パパイヤ、マンゴ、レイシー、リンゴ、プリンスメロン(?)、ココナッツ、ザクロ等であるが、リンゴ以外は南部の標高の低いところから輸送されてくるものであるが、新鮮である。
 どこの店でも必ずおいてあるものはマンゴである。芸術的に商品の積まれた店で最高級の特大のものを買い(日本円で20円)、ホテルで食べてみた。うまいことは確かであるが、完熟ではなかった。残りはザックへ。キャラバンをはじめてからザックをあけるたびに甘い香り。いつ食べようかと考えつつ我慢し、ボロゲン(5100m)まで持ち上げた。表面を押すと少しへこむくらいに熟したマンゴの香りと甘さを山口さんと分かち合った。
 インドの奥地へ入るときはマンゴを持っていこう。



【シムラ】


シムラ


当初の予定では、訪れるはずのなかった街。急峻な土地にある古い街。我々の宿泊したスプリングフィールドホテルも、昔の王侯の別荘だったらしい小ぎれいな建物。庭の花も、手入れの行き届いた雰囲気。シムラの東はずれに位置するホテルから、散歩に出てみると、若い学生の姿が多い。
薬科?のカレッジがある。坂道を登っていくと、ラジブガンジーの像が立つEAST POLICE OFFICEがある。珍しく、石造りの建物で、なかなか趣がある。交通標識一覧の看板があったが、みな手描きで、規格と手描きの妙が面白い。青い天井灯を付けている車(最初はパトカーと 思っていた)が町中を走っているので、えらく警察が頑張っているなと思っていたが、よくよく見るとタクシーであった。斜面の道路にへばり付くように建っている店に、よく見ると地下に降りる階段があって、覗くと、カウンターバーの風情。まだ明るいのに、何処も一緒だ。ラム酒がお薦めらしい。  ホテルへ戻って、裏庭に、廻ってみると、絶景。斜面に展開する街の様子と遠望する風景が素晴らしい。野生の猿が庭にやって来て、芝生の芽を盛んについばむ。人を、恐れる風でもなく、手から菓子類をもらって食べる。その内、隣の家の塀を降りたかと思ったら、ナンをくわえて戻って来て、パクパク。室内は、広々している。ヒーターが置いてあることから、地形もあって、朝晩は冷え込むようだ。室内の暖房というより、部屋中にロープを張り、洗濯物を干して、もっぱら、乾燥用に使った。





【レコンピオ】


レコンピオ

N31゚32.493´、N78゚16.049´(ホテル)にあり、多くの地図にまだ掲載されていないようなかなり新しいこぢんまりとした比較的きれいな町である。 町はサトレジ川の狭い段丘(?)面の上に広がり、中心部より山手では各所で住宅の新築がなされている。普通ちょっとした町では寺院が見かけられるのだが、ここでは見あたらない。人口は1000人前後で、人種はチベット系よりインド系の方が多い。  谷の反対側(東方向)には懸垂氷河のかかるピラミダルな美しい山が見えている。日本の槍ヶ岳を思い出す。鈴木隊長はシムリンと言っていた。  町には物資が豊富である。マーケットの店には日用雑貨がびっしりと並んでいるし、八百屋をみても 多くの種類の新鮮な野菜や果物が山と盛られている。また町の端にあるチベット系の人たちのバザールであるが、屋台か屋台に近い状態の店ばかりなのだが食料品以外の日用品を何でも売っていると言った感じである。装飾品を売っている店も何軒かあり、我々も土産物として少し買ったのだが、外国人相手なのだろうか。我々以外には5人ほど見かけただけである。物資全体を見た感想だが、この町ですべてが消化されているとは思われない。野菜類についてもこの町の周辺に農地がないことから他地域から集積されてきていると思われる。日用品の種類の多さ、野菜類の新鮮さ等を考えると、この町がこの地域における生活物資供給の拠点をなしていると考えられる。
(バザールで見た野菜果物)  バナナ、マンゴ、ザクロ、リンゴ、トマト、ココナツ、ジャガイモ、ナス、タマネギ、大根、キャベツ、オクラ、ショウガ、キウリ、ブロッコリ、インゲン、カブラ(菜)



【カザ】


カザ全景

 サトレジ川遡り、大ヒマラヤ山脈を横断する深い峡谷を抜けると乾いたスピティ渓谷に入る。
 スピティ渓谷は大ヒマラヤ山脈に平行した開けた渓谷で、中央を流れるスピティ川の両岸には見事な河岸段丘が発達している。
この渓谷にははやくから人が住み着き、キ・ゴンパやタボ・ゴンパを代表とした仏教寺院が各所に存在する。特にタボ・ゴンパは9世紀に建てられたもので、貴重な仏教芸術が残されている。
キ・ゴンパ

 村落はスピティ川の氾濫を避けるためと水を確保するために枝谷の出口付近の段丘上にある。人は水の引ける範囲で麦やエンドウを栽培し、ほぼ自給自足の生活をしている。
 渓谷最大の集落はカザである。中央に涸沢があり、新旧二つの市街に分かれている。
旧市街は沢の東側に広がっておりバザールがあり、バスターミナルもあってけっこうにぎやかである。バザールへ行くと日用品店、八百屋、お菓子屋ほかたいていの店がある。トレッカー相手のチベット人の土産物屋も何店もあり、ぶらぶら歩いて見て回るのもおもしろい。大都市にいる物売りのようにしつこくないので気楽である。しかしずるがしこい者もいるので注意が必要。新カザは行政の中心といったところか、病院、銀行、郵便局、ガソリンスタンド、ホテル、そして新しい住宅が整然と並んでいる。商いをする人もなく殺風景である。
 カザのような奥地へきて驚いたことだが、何カ所かの屋根にパラボラアンテナが設置されており、衛星チャンネルで国内のみならず世界各国の情報がリアルタイムで得られるということである。私の予想ではせいぜいラジオくらいまで普及しているのではと思っていたが以外であった。住民は情報をどのように受け取っているのだろうか。



【キバール】


キバール
世界で最も高いところにある村というふれこみの村。カザから、高度順化に一度、訪れていた。
 二回目の順化の際、湿地になっている所で、トラクターが、車輪を空転させて、動けなくなっていた。 高度のことも考えずに、田辺さんと一緒に、現場に駆けつけ、脱出の手伝い。長い木の棒を持って来て、テコの要領で車輪を浮かせて、その下に石を投げ込む作戦。スポンジのような湿地が、なかなか手ごわい。トラクターを切り離し、はまり込んだカーゴの向きを変え、再び、トラクターを連結して、無事脱出 レストランから眺めていた外国人や日本隊からは拍手。トラクターのドライバーや、シャベルで砂を降ろしたり、中心になって動いていたチベット人のドジャールさん、最後に駆けつけたスイス人とも握手。4100mでの力仕事は、順化が充分でない身体には、よくなかったのかも知れないが、気持ちの良い汗であった。





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