新聞配達の経験が、私の宝物です。
おはようございます。私は、子どもの頃から早起きでした。早起きは三文の徳。ーと父親から教わりました。男3人兄弟の次男坊です。晩御飯はいつも,食べ物の取り合いでした。私は、子供のころから、慌てるクセがありました。落ち着きのない子だね~。・・・・と近所のおばさんたちにも、言われていました。でも、人間誰でも、欠点がある。声が大き過ぎる。その欠点を笑いに変えて、人間掌握術のヒントにしようと、考えたのが、大学生時代の新聞配達のアルバイトです。(新聞奨学生)。貧乏学生でした。本当に、貧しかった。奨学金だけでは、生活できません。収入を増やすために、営業活動をしていました。新規客獲得のため新聞拡張の営業です。当時は、読売、毎日新聞が、ライバルでした。私は、朝日、東京、サンケイ、日経新聞を配っていました。1968年ごろ(昭和53年)の夏? 秋ごろ、学生の中で、拡張NO1に選ばれました。コツが見えたのです。それは、相手が、今何を欲しがっているのか?・・・・これを把握することだと。起床は、毎朝3時30分でした。夜8じごろ~9時ごろには、床に入っていました。そんな生活をしていました。学校には、ほぼ毎日通っていました。あるお宅に新聞拡張に出向きました。「オレは、自宅を朝5時には、出る。新聞の銘柄は、気にしない。朝4時半まで、投函できるか?」という質問を受けました。そのお客様の家への配達時間は、それまでは、通常6時ごろでした。ライバルの読売新聞も、毎日新聞も、ほぼ同じ時間でした。私は、その方が、朝日新聞を読んだことのない方で、サンケイ新聞、東京新聞を見たこともない。・・・・・・・という情報を武器に、新しい角度で、新聞を読まれたら、どうですか???・・・・という提案をしました。見事に、成功。サンケイ新聞の内容の面白さを薦めました。朝は、4時半に配達を続けました。投函する時は、「おはようございます。朝刊です~」と玄関の前で、声をかけて、配達をしました。しかも隣り近所の家迄聞こえる声で。大き過ぎる声を活かそうと考えました。すると、近所の家からも新聞を配達して欲しい。ーと言われました。そして、昭和54年 最終日3月31日付けで、退職する時、そのご主人様が、玄関前で、立っているのです。「おはようさん~、 学生さん。よく、オレの為に、朝刊をいつも、いつも4時半に届けてくれた。ありがとうね~。餞別だ。 」と封筒に3,000円入っていました。新聞代金が、2,000円ぐらいの時代の3,000円です。最初は、ご丁寧にお断りしました。でも、あまりにも熱心に勧められたのです。「ありがとうございます。」・・・・と言いました。人間関係のまったくない街に住んで、信用を得る。ただひたすらに、ただひたすらに、毎朝、新聞を読みたい人の為に。