手塚治虫と聾唖者
手塚治虫先生は生前に聾唖者に出会っていました。聾唖者が手塚治虫先生からサイン色紙を頂いた事がありました。どういう関係があったのか言いますと聾唖者の父は手塚治虫先生と同じく医学の関係でもあり、知人だった。作品2作目の「流線型事件」は印刷はなんと聾口話学校印刷部であった。手塚治虫先生でなく片岡敏夫という人が漫画の原稿を持って、聾口話学校へ訪ねて印刷を依頼したと思われます。大手印刷会社でなく、聾口話学校に依頼するとは極めて珍しい事です。片岡敏夫は漫画家でもあった。聾口話学校とは現在の大阪府立生野聴覚支援学校である。1948年10月10日発行された「流線型事件」