カテゴリ:エイジング・バリュー
いくつになっても『欲望』を持つ
人間は一生成長し続けるために努力しなければならない。 と、私は思っています。
昨日よりも今日、今日よりも明日をもっと善いものにしたい。今日の自分よりも明日の自分のほうが一歩でも成長を遂げている。それを求め続けることが人生であり、生を受けた者の使命ではないでしょうか。
「もうこれでいい」「これ以上なにも要らない」そう考えることは、極端に言えば生きることを放棄することと同じです。 現状に満足してしまい、過去の経験でしか物事が考えられず、狭い範囲でしか生きられない。成長を忘れてしまった状況はなんと淋しく、非生産的なんだろうと思います。 特に定年後は、毎日会社に行けば仕事があった状態が終わり、日々やるべきことを自分で考えなければ誰も手助けしてくれない状態に変わります。毎日目の前の仕事をもくもくとこなし、自分が成長することを放棄してきた不幸な期間が長ければ長いほど、自分が置かれた状況の変化に愕然とするものです。
そこで、自らを成長させるために必要なものが『欲望』です。 「何かをやり遂げたい」「何かを手に入れたい」「今よりもっと良い生活がしたい」そういう欲望があればこそ、人はそこに向かって努力をすることができると思います。求めなければ何も手に入れることはできません。
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「お金持ちが幸せとは限らない」と言っても、宝くじを買わなければ5億円は手にできません。
それと同じで、「もう年だし」とか、「今更新たなことはしたくないよ」とか言ってると、あっという間に心身ともに老化していきます。なんせ生きることを放棄したことになるわけですから。
しかし、「欲望」は得てして「悪」であると考えられています。自分の欲を満たすために行動することは品のないことだというふうに。 果たしてそうでしょうか。 もっと大きな家に住みたい。スタイルを良くしたい。もっと知識を得たい。仕事のノウハウを高めたい。高級な料理を食べたい。世界のいろいろな国に行ってみたい。素晴らしい仲間がほしい。そう思うことが、どうしていけないことなのでしょうか。 多くの人たちが悪だと考えているは「我欲」のことであって、他人がいくら困っていても自分さえ良ければいいとか自分の欲望さえ果たせればいいという心です。 しかし、私が考える「欲望」とは、あくまでも“自らを高めるものとしての欲”なのです。
例えば、家が欲しいと思う。それを手に入れるために、一生懸命働いて自分自身を高めていく。その結果、夢にまで見ていたマイホームを手に入れた。一見すると、いかにも物欲が満たされたように思えますが、実はそうではない。
家を手に入れたから嬉しいのではありません。家を買えるようになった自分自身の成長にこそ真の喜びや満足感があるのです。
そして、一度手に入れたら、さらに大きな家が欲しいと思うようになります。それは今の家に飽きたからでなく、今の自分に安住したくないという気持ちの表れだと私は考えます。さらに大きな家がほしいのではなく、さらに大きな家が買える自分になりたい。 つまり、真の目的は自分自身を高めることにあるということです。
「欲望」は、それが叶った時が終着点ではありません。ひとつの「欲望」を叶えた時、そこが新たな出発点になる。その連続が、人生を豊かにしてくれるのです。
新たなことを求め続けながら、第二の人生にふさわしい成長ができれば最高ですね。
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Last updated
2014/02/26 10:12:18 AM
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