カテゴリ:歴史ウォーキング鎌倉
ぶらり鎌倉一人旅
鎌倉一人旅の最後は“鎌倉五山”を巡ります。 京都歴史ウォーキングでは京都五山を巡りましたが、この鎌倉五山にはどのような歴史が刻まれているのでしょう。 そもそも五山とは、禅宗で最高の格づけをされた五大寺ということです。鎌倉時代に中国の五山制度にならって、鎌倉の禅寺に設けられたのが最初です。 京都に五山に列せられるものがでたのは建武の中興からで、さらに室町初期には鎌倉・京都それぞれに設置されました。その後たびたび改定されましたが、1386年足利義満のとき、五山の上に南禅寺がおかれ、京都五山として天竜寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺、鎌倉五山として第一位建長寺・第二位円覚寺・第三位寿福寺・第四位浄智寺・第五位浄妙寺の順と定められ、現在に至っています。 まづは、第三位寿福寺に向おうとしたのですが、少し道に迷ったようです。スマホのナビに頼って目指していると写真のような岩をくりぬいただけのトンネルに遭遇しました。 この近くは源氏山公園があり、このトンネルも源氏山の一部ではないかと思います。 平安時代の、後三年の役(1083~1087)に源頼朝の先祖である源頼義は、陸奥の豪族・安倍氏の討伐に出陣しました。その時、ここの山上に白幡を立てて、氏神の岩清水八幡宮に戦勝を祈願し、出征したといわれています。また、源頼朝もこれに習って、平家追討の時、山頂で源氏の戦勝を祈願したといわれています。 ここをくぐって左が源氏山公園、右が寿福寺方面になります。 寿福寺は、鎌倉駅から見て扇ヶ谷の始まりに位置するため、鶴岡八幡宮の西になります。鎌倉宮からは一旦鶴岡八幡宮に戻って、さらにJRを横切ります。 寿福寺総門前に立っている源氏山の碑に、源頼義、義家親子が旗を立てたことで「旗立山」といわれたが、 寿福寺周辺に源氏の館があったので、「源氏山」というようになったのかもしれない、と書かれてありました。 【寿福寺】 この場所にはかつて源頼朝の父、源義朝の邸宅がありました。そのため鎌倉入りした頼朝が自分の館を、ここに建てようとしたことがあります。 しかし、土地がやや手狭である上に、すでに義朝の菩提を弔うお堂が建てられていたため、ここには建てなかったということです。 総門を入って、参道を歩いてゆきます。この参道は鎌倉で最も美しい石畳とも言われています。向こうに見えるのが中門です。 私が訪れたときは、二人ずれの女性が中を覗いていましたが、話し声も小声になってしまうほど静かでした。拝観はできなかったので、中門の外から境内や仏殿を拝見しました。 源頼朝が没した翌年の1200年、日本に臨済宗をもたらした栄西が、その著書『興禅護国論』の中で、禅宗をさかんにすることが国家の隆盛に重要であると書いたことから比叡山により圧力を受け、鎌倉にのがれてきました。 寿福寺は、北条政子がこの高名な僧を喜んで迎えて、夫頼朝の菩提を弔うため、父義朝ゆかりの地に建てた寺院ということです。 中門の正面に非公開の仏殿が見えます。江戸時代中期から後期にかけてつくられたものです。 寿福寺の奥には、たくさんのやぐら(横穴墳墓)があり、その中に北条政子の墓があります。 この鎌倉にはいろんな場所にこの“やぐら”があります。 決して大きくはないですが、鎌倉五山第3位の名にふさわしい風格を感じました。 《続く》
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Last updated
2015/03/27 07:28:36 PM
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