カテゴリ:歴史ウォーキング京都
伏見稲荷大社の境内から稲荷山を目指します。
ここから「千本鳥居」をくぐります。 無数に並ぶ朱色の鳥居のトンネル「千本鳥居」が、参拝路を埋め尽くしています。いたるところに鳥居が奉納されていて、その数は約1万基にのぼるといわれています。 途中、三つ辻という別れ道があり、そこを左に行けば裏参道で、帰りはこの道を通るつもりですが、とりあえず上を目指します。
四つ辻には茶店があって、ほとんどの人がここで一休みします。この茶店の右奥に見える階段が、これから登る道で、グルッと回って、左側の垂れ幕のところに戻ってきます。 四つ辻からの眺望はとにかく見事です。 ここから、中社、上社、薬力社、眼力社と一周して、四つ辻に戻ります。
さすがに頂上に来ると、鳥居の間隔もやや広くなります。しかも、昼なお暗く、うっそうとした雰囲気があります。それでも、鳥居は続きます。 眼力社を過ぎるともうすぐ四つ辻に戻ります。 四つ辻に戻って右手にある、この鳥居を上がると荒神峰の神社があります。 ここをを通り過ごしてさらに行ったところの眺望が、四つ辻よりさらに良好です。 ここにはミニ鳥居が奉納されています。 ここから、さらに進むと泉湧寺に行くと現地の案内地図にはありますが、今回はもと来た道を三つ辻まで戻る事にします。 ・・・ 秦氏は5世紀に、まず北九州に渡来し力をつけ、その後京都山城を拠点に、その財力をもって平城京から平安京への遷都のときには大きな影響を及ぼしたと伝えられています。 秦氏は早くから渡来文化の中心にたっていましたが、蘇我氏のように政治に介入し、自分たち氏族のために権力を持とうとしなかったようです。 そのかわり、稲作文化、蚕養・織物・染色の技術を日本に伝え、財を築きました。 そして、秦川勝は大和猿楽の創始者ということで、能楽の祖である観阿弥、世阿弥も秦氏の系統でといわれています。また、四天王寺の伎楽奏者もその多くは秦氏で、このように秦氏は日本の芸能の中に流れ込んでいるのです。 次が、遊行者や呪術、陰陽道の流れです。秦川勝の子孫に著名な秦道満がいるのですが、彼は安倍晴明と並ぶ陰陽師です。陰陽道を代表する呪術図形セーマン・ドーマンは、この二人の晴明と道満に由来しています。 日本の歴史上大きくクローズアップされることはほとんどありませんが、秦氏は日本人の生活や文化に大きな影響を与え、それは現在の私たちの暮らしにまでつながっているということですね。
「はた」ではじまる地名は全国的にみられますが、これは渡来系有力豪族の秦氏によってつけられたものが多いということです。
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Last updated
2015/10/18 02:18:25 PM
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