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小さなkitchen-Garden

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2016/11/06
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大河ドラマも最後の大阪冬の陣、夏の陣が迫り盛り上がっている“真田丸”
その戦に出陣するまで真田幸村が生活していたのが和歌山県の“九度山”です。
九度山駅は南海電鉄の高野線にあります。高野山に電車で行ったことがあれば、必ず九度山駅を通っています。
乗換駅の橋本駅のホームは人出溢れかえっていました。これも真田丸ブームの影響でしょうか・・・
九度山駅に到着。そこは真田幸村ゆかりの地であることを演出していました。




真田の六文銭をあしらった赤い暖簾や幕で彩られていました。
隠れ里のイメージはありません(笑)
紀の川と丹生川に囲まれた九度山町の真田ゆかりの地を巡りました。

せっかくなので“真田のみち”を歩きました。

しばらく歩くと古民家を再利用したという“いこい茶屋”
町を一回りしてから、ここで一服することにしました。



主目的である『真田庵』が見えてきました。



戦乱の世を生きた真田親子がかつて隠棲し、再起を誓った場所。



豊臣側が関ヶ原の戦いに敗れたことで、幸村が父とともに隠れ住んだ屋敷跡に建てられた寺院といわれています。



何故隠棲場所がこの九度山だったのでしょう。
実は、真田親子が家康から命じられたのは高野山で蟄居せよということでした。
しかし、幸村の妻をはじめ数名の女性が一緒だったことで、女人禁制の高野山に入ることができず、高野山への登り口にある九度山村で隠棲することになったという説があります。



この九度山で亡くなった父のために、息子幸村は父の供養のために森の中に宝篋院塔(ほうきょういんとう)を建てました。そして、その後大安上人がこの森に来たときにここ真田庵の地に善名称院を建立したといわれています。
真田幸村がここでどのような生活をしていたのでしょうか。






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Last updated  2016/11/06 01:24:00 PM
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