古代ローマ遺跡の壮大さと立派さに改めて驚かされます。日曜日の朝はSOTTERRANEI DI ROMAのガイドツアーで、
クラウディウス神殿の地下洞窟にもぐってきました。
懐中電灯持参、動きやすくて履き慣れた靴着用での参加です。
この神殿は、クラウディウス帝の死後、
最後の妻で姪でもあるアグリッピーナの命で
紀元後54年に造られました。
連れ子ネロを皇帝にするため
夫クラウディウス帝に毒キノコを食べさせて殺したと言われています。
殺しておきながら神殿造っちゃうからすごい。
ちなみに彼女自身はのち、息子ネロに殺されてしまいます。
皇帝になったネロは、
黄金宮殿ドムス・アウレア内の神殿としてここを整備しました。
現在もコロッセオを背にしてクラウディア通りを上がっていくと、
右手に神殿の巨大な遺構を見ることができます。
わたしが今回見学したのはこのクラウディウス神殿の地下。
神殿、もしくは他の建物を建築するための石を切り出してできたのが
このめちゃくちゃ長いトンネル状の洞窟なのです。
古代ローマの奴隷たちが付けたであろう
鑿(のみ)の跡が残っているのには泣けます。
近くにあるコロッセオで模擬海戦を行う際の
貯水池としても使われていたと推測されています。
ここにはクラウディア水道が通っていまして、
水をいったん貯めて軽くろ過していたといいます。
洞窟内には確かに小さな沼があって、
水はとても澄んでいたので驚きました。
その他、井戸も発見されており、
これは少し前のアウグストゥス帝時代の
警備隊第五団詰所で使用されていたものと考えられています。
アウグストゥス帝時代の警備隊については以前、
第七団詰所のことを書きましたが、
この第五団はローマを14に区切ったうちの
第2区(Caelimontium)と第5区(Esquiliae)を任されていました。
とてもおもしろい地下探検でした。
2000年前の洞窟の中はとても涼しくて、
現実世界に戻るのは暑くて嫌になります。
ちなみにこの洞窟は第二次世界大戦時には
防空壕として使われていたそうです。
また、ここのことは2007年7月14日
のTBS『世界ふしぎ発見』で取り上げられました。
ここにもぐった日本人第一号になれなかったのが
とても残念でなりません。
ミステリーハンターに遅れをとりました…。
10数人のグループの中に
6歳から12歳くらいまでの3人の子供がいました。
若い両親に連れて来られていたのです。
こういう歴史的な物を小さいうちから見ておくのは
とてもいい経験だと思います。
ガイドさんもわたしがいたからか分かりやすく説明してくれていたので、
きっと子供たちに分かったことも多かったと思います。
なにしろ実際に目で見ることが大切です。
わたしと弟も幼い頃から両親に連れられて
赤穂城や姫路城、岡山城(城ばっかりじゃ)、
後楽園、栗林公園、こんぴらさんなどを実際に見て歩きました。
こうして小さいうちに歴史を学べたことは
わたしにとって本当にいい経験となりました。
このことが今わたしがローマ古代史に惹かれることと
何か関係しているのかもしれません。