カテゴリ:安土桃山時代
秀吉栄華の象徴である聚楽第に関するニュースが配信されました(↓のアドレス参照)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081207-00000514-san-soci 産経新聞 信長の後継者として、天下統一に突き進む秀吉が京都に造った大邸宅である聚楽第・・・。 当時、宣教師も感嘆し、天皇までもが行幸した聚楽第・・・。 しかしこの後わずか8年で秀吉自らの手で取り壊されることになります。 原因は、秀吉の甥である秀次が切腹することになり、その住居であった聚楽第までもが秀吉の命により取り壊されてしまいます。 秀次は殺生関白といわれるなどの素行の悪さや、謀反の疑いがあるという理由で高野山に追放され、切腹させられました。 しかし殺生関白などは、当時の資料から真偽に値するものはなく全くのでたらめだという説も多く、また謀反の疑いなど実際はなく、秀頼が生まれたために邪魔になったために粛清されたという説も多いです。 この秀次の死により、秀吉の死後、豊臣一族は秀頼のみとなり、後の豊臣家の滅亡を導いたという考えも浮かんできます。 自らの栄華の象徴を自らの手で壊してしまった秀吉の姿に、後の豊臣家の破滅を感じた人もいたかもしれませんね。 豊臣秀次の研究 ブログランキングに参加しております。よろしければクリックお願いいたしますm(_ _)m お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.12.07 21:05:26
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