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2008.12.21
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カテゴリ:安土桃山時代
まだ信長が存命だった頃、信長の世は長く続かず、後に秀吉の世になると予言した人物がいます。その人物は安国寺恵瓊といい、僧侶にして大名にまで登り詰めた人物です。

安国寺恵瓊は外交術に長けており、毛利の外交僧として本能寺の変後、毛利と秀吉の和睦を取り仕切り、後に秀吉から領地を与えられ大名にまで昇進しました。
直接軍を動かす才能よりも、軍師としてやその交渉術により出世した人物でした。
そして、大名になりなりながらも僧という地位は保ったままでした。

秀吉死後の情勢不安定の中、主君である毛利輝元をその交渉術により石田三成方の西軍の総大将に仕立てることに成功します。
しかし、家康寄りであった毛利一族である吉川広家と対立し、関ヶ原の合戦では兵を率いて出陣しますが、家康と内通していた吉川広家により毛利勢を率いていた毛利秀元が戦闘に参加することができずに、安国寺自身も兵を動かすことなく、西軍の敗北が決まると逃走します。

その後京都に潜伏しますが、やがて見つかり安国寺の家臣が敵の手にかかるよりもと、安国寺に切りかかりますが、逃げまどい、その家臣たちも切られついに捕まってしまいます。
そして、石田三成・小西行長と共に西軍の首謀者として処刑されてしまいます。

その類い稀なる外交術で、僧から大名にまで登り詰めた男も、家康の外交術には敵わなかったわけですね。







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最終更新日  2008.12.21 20:47:39


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