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日本史雑学発掘の館

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2008.12.27
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カテゴリ:安土桃山時代
関が原の合戦において、東軍に内通していた小早川秀秋が裏切り西軍は総崩れになりました。
合戦当時、西軍でまともに戦っていたのは、石田三成・小西行長・大谷吉継・宇喜多秀家の4武将だけでしたが、形勢劣勢となった西軍の小西行長は伊吹山中に逃走します。

山中をさまよっていた行長ですが、そこで林蔵主という僧に遭遇します。
林を呼びとめた行長は、自らを西軍に通報し褒美を取れと伝えます。逃れよという林に対して行長は、自分はキリシタンゆえに自害したくてもできない、と伝えます。
そこで仕方なく林は通報し、行長は東軍の竹中重門に捕縛されることになります。
キリシタンは自らの命を自らで絶つことは禁止されているんですね。
その後まもなく行長は、石田三成・安国寺恵瓊とともに西軍の首謀者として処刑されてしまいます。

行長は朝鮮の役でも先鋒を務めるなど、秀吉天下統一後はいくさで出兵することが多く、キリシタンゆえにその生き方に疑問を感じていたのかもしれませんね。
行長の死後、ローマ法王がその死を嘆いたという逸話も残されています。
秀吉に見出され秀吉の恩に報いなければならないという使命と、キリシタンという自らの信仰とのはざまで様々な葛藤があったのかもしれませんね。



  


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最終更新日  2008.12.27 13:16:12


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