私に取っとって必要なものは
もし、今現在の私に取って一番必要なものは? と尋ねられたらとしたら、正直、その返答には困る私がいます。少し前、そうそれが数年前の私なら、特に仕事や生活等に必要なものというのは十分間に合っているし、足りなかったり、不足しているものや、あれがあったら、それがあうったらという様な要望も特にないという言ってみれば恵まれた状況でした。では、今の現在の状況はどうなのかという事ですが、今すぐに必要とされるものや、あるといいなというものは幾つかあげられますが、それとて絶対的なものではないのですが、その事に関連した一番の不安は、今現在のところはまだ足りていても、この先の事はどうなるかが全く先が読めないという事です。座して食らわば・・・と謂われますように、今現在は不足のないものでも、将来に渡っての保証は何もないというのが現実です。不慮の事故やアクシデントに備えての保険を掛けておけば安心かと言っても、現在の保険会社によるその保証の内容は名ばかりのものであるという事は、此れまでの体験でも十分に分かっている事であり、保険会社による責務逃れや出し渋りの例は日常茶飯事の様になっております。しかし、その様な事例は民間に限られた事ではなく、年金等の公的な機関に於いても、その基盤となる政府の財政自体の雲行きが限りなく怪しくなっている事も事実です。政府の国民に対しての一番大きな社会保障である健康保険制度にしても、その財政破綻が明らかになって来ている事から、自分達の将来に対する懸念を持つ者は私だけではないのは間違いのない事と思われるのですが、皆様はどの様にお思いになられているでしょうか?7年前の東日本大震災とそれに伴う原発事故の時には、事故原発近隣の当地も大変な状況に置かれ、その時に体験した政府や地方行政の対応の不味さや不手際を嫌という程実感し、市民同士やボランティアの温情や誠意ある行動を目の当たりにして来た私としては、その時の様な最悪とも感じられた政府と自治体の姿勢が、今も尚その当時と全く変わっていない様に感じてならないのです。熊本地震の際には、その懸念されていた事が再び繰り返される事となったのですが、7年前の震災の事後処理に付いての大きな問題を残したままで、更なる大きな負担を抱えてしまう事になってしまった政府の対応の不味さが見て取れる様に、結局は、被害に遭った国民が自分の身やその周囲の事を自身と周辺住民とで何とかしていかなければならないという事でした。その復興予算にしても、その財源は毎度の事となった赤字国債頼りの大判振舞いのばら撒きに他ならず、コンクリート造りのイミテーションの熊本城の石垣の修理に数十億円等という巨費を費やすなど、肝心かなめな処や住民対応は後回しにしての政府行政のやり方には、またかと呆れ果てるだけです。