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オリーブの木

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ルイコスタ






☆ 鰐部哲也さん、尊敬します ☆


鰐部哲也 スポーツナビ



チーム愛を貫いて(1/2)
ルイ・コスタ、ベンフィカに魂を宿し続けた18年間


2008年05月15日


現役最後の試合に、息子2人とともに登場したルイ・コスタ【 Photo:ロイター/AFLO 】
 ルイ・コスタはいつも列の最後尾についてピッチに入場してくる。これは彼の試合に入る前の言わばジンクスである。「サッカーを始めた幼いころ、僕のアイドルはベンフィカのカルロス・マヌエルだった。彼はいつも一番最後にピッチに出てくるんだ。それがとてもカッコよく見えてね。だから僕もまねするようになったんだ」
 しかし、“現役最後の日”となった5月11日に万雷の拍手の中、ピッチに最初に姿を現したのは、2人の息子の手を引いた赤い背番号「10」のユニホームだった。
 最後の最後で自らの試合前の“儀式”にまでもピリオドを打ち、真っ先に、愛してやまない「ルス・スタジアムの住人=ベンフィキスタ」たちに手を振った。
 相思相愛のクラブも最高にエモーショナルな舞台を演出した。ホームのルス・スタジアムのバックスタンドには、1階席すべてを覆い隠す「OBRIGADO RUI(ありがとう。ルイ)」と書かれた横断幕、サポーターもいつもの「ベンフィーカ!」の代わりに声を枯らして「ルイ・コースタ!」と叫び続けた。
 この日の主役、ルイ・コスタの胸に去来するものは果たして何だったのだろうか。

■最後はベンフィカでキャリアを終えたい
 ルイ・コスタはつくづく運のない男だと思う。愛して止まないクラブに戻ってきた最後の2年間も、やはり「サッカーキャリアの最後の花道を飾る」ものとは程遠い2年間だった。
 2006年5月25日、ルイ・コスタは「最後はベンフィカでキャリアを終えたい」という約束どおり、自身がプロデビューを飾ったクラブへ12年ぶりに戻ってきた。
 入団会見で「12年間“家”を留守にしてごめんよ。12年前と変わらぬルイのプレーを見せることを約束するよ」と切り出したルイ・コスタだが、すぐに「ただ、僕はベンフィカの救世主になれるとは思っていないし、ポジションを約束されているわけでもない。だからチームの勝利のために戦う一選手に過ぎないと思っているよ」と謙遜(けんそん)している。
 さらに「(ベンフィカに)戻ってきたのは、ポルトガルが恋しくなったからでも、ポルトガルの太陽を浴びたくなったからでもないよ(笑)。とにかく自分の“家”であるベンフィカで最後はプレーしたかったんだ。だからここでは、プロとして自分のすべての情熱を注ぐし、歓喜もたくさん味わいたいと思う。だから、ファンのみんなもスタジアムに来て応援してくれるなら、僕と同じ情熱で応援してほしいし、僕と同じように歓喜を味わってほしい」と、ベンフィカ愛を吐露した。

 引退を考え始めたルイ・コスタにとっては、やはり「最後にひと花咲かせたい」と期するものがあっただろう。実際、同年8月22日のチャンピオンズリーグ(CL)本戦出場を懸けたオーストリア・ウィーンとの予備戦3回戦では、豪快なミドルシュートで先制ゴールをたたき込み、ポルトガル国民はルイ・コスタが「まったく輝きを失っていないこと」を再確認することになる。ホーム、ルスでの1994年5月21日以来、12年ぶりのゴールに、翌日のポルトガル紙上では「魔法が戻ってきた!」の文字が踊った。
 ところが、この試合でルイ・コスタは右足太ももの筋肉を傷めてしまう。さらに2週間後の国内リーグ開幕戦となったボアビスタ戦に、けがを抱えたまま強行出場したことが裏目に出てしまう。10月1日、約1カ月ぶりの復帰戦となったアベス戦でもやはり試合後に右足太ももの違和感を訴えたルイ・コスタ。それ以来、彼はピッチから姿を消すことになる。

 そもそもこのルイ・コスタの負傷離脱が長引いた原因が、チームドクターと理学療法士の初診の誤診によるものだというのだから、ベンフィキスタのみならず、ポルトガル国民、国内メディアの怒りは爆発した。さらにその怒りの矛先は最初にルイ・コスタを診た理学療法士をブラジルから連れてきたポルトガル代表監督のスコラーリにまで及んだ。本人の心の内は推して知るべしである。
 それでも、ルイ・コスタはこのことをメディアに黙して語らず、シーズンの大半を退屈で辛いリハビリに費やした。


■サポーターによる引退撤回の署名活動
 そして、開幕前に「90%、僕のラストシーズンになるだろう」と語り、新たな気持ちで臨んだ今シーズン。やはり前年と同じく、ホームスタジアム、ルスでのCL予備戦3回戦コペンハーゲン戦で2ゴールを決めると、リーグ開幕4試合でも2ゴールをマークし、公式戦6試合を消化して4ゴールと、イタリア時代も含め過去最高の滑り出しを見せた。

 しかし、今度はチームが崩壊してしまう。ルイ・コスタが2ゴールを決めたコペンハーゲン戦の直後に監督のフェルナンド・サントスが解任。新たにホセ・アントニオ・カマーチョを監督に迎えたが、カマーチョも今年3月9日のウニオン・レイリア戦の試合後に辞任した。1シーズンで2回の監督交代劇という失態を演じてしまったベンフィカは、リーグ、UEFAカップ、ポルトガル・カップと、“お家騒動”と並行するようにひとつ、またひとつと狙えるタイトルを失っていった。

 それでも、今シーズンは最後の試合を前に、国内リーグでは28試合、2297分にわたって住み慣れた「10番」のポジションでタクトを振るい続けた“マエストロ”(ルイ・コスタの愛称)。これは今シーズンのベンフィカのフィールドプレイヤーでは最多の出場時間である。
 引退を決めた選手とは思えないハイパフォーマンスを見せ続けるルイ・コスタに対して、今年2月21日には「ルイ・コスタはいつもベンフィカのカリスマ。“マエストロ”、僕らにあと1年音楽を奏でてくれ!」というメッセージがベンフィカのサポーターグループのサイトに掲載され、このグループのリーダー、ロウレンソ・メンデスを中心に「引退撤回」の署名活動がインターネット上を中心に高まりを見せた。
 それでも1週間後のベンフィカの創立104周年の記念パーティーで、初めて「今シーズン、ベンフィカでキャリアを終えることを許してくれたすべての人に感謝したい」と、あらためてルイ・コスタの口から「引退確定」のコメントが聞かれた。


■誰からも愛されるルイ・コスタの魅力
ベンフィカへの愛情を持ち続けたルイ・コスタは、現役最後を愛するクラブで終えた【 Photo:なかしまだいすけ/アフロ 】
 1994年夏、熱望していたバルセロナ移籍の思いを心に閉じ込めて、当時財政難だったベンフィカにより高い移籍金のオファーを出したフィオレンティーナへ、「僕をここまで育ててくれたベンフィカが困っているのだから助けるのは当然」と移籍したルイ・コスタ。7年を過ごしたフィレンツェではビッグタイトルとは無縁だった。バルセロナ、レアル・マドリーというビッグクラブへ移籍し、世界的名声を手に入れていった同郷のフィーゴと、ポルトガル国内での名声やステータスは完全に逆転してしまった。その後、移籍したミランでは、伸び盛りのカカにポジションを奪われ、可能性を求めたボランチのポジションでも希代のレジスタ、ピルロとのレギュラー争いに敗れベンチを温める日々が続いた。
 そして、ベンフィカに戻ってきた最後の2シーズンは、チームが足を引っ張ってしまった。やはり、ルイ・コスタは最後まで運のない男だ。

 しかし、ひとつ言えることがある。ルイ・コスタはどのクラブのサポーターからも絶大な支持と寵愛(ちょうあい)を受けた。それは、まずクラブのため、ファンのために己をささげるというルイ・コスタの“仁義”とも呼べる清廉潔白な優しい心がそうさせるのではないだろうか。
 ラストゲームの前日、10日にはミランの副会長、アドリアーノ・ガッリアーニから「ミラノ市民、そしてイタリア国民は決してルイ・コスタの名前を忘れることはないだろう。君はいつまでも“ロッソ・ネロ”(ミランの愛称)の家族の一員だ」とルイ・コスタをたたえる手紙がファックスで届けられた。ミランのシンボル、パオロ・マルディーニは「ルイ・コスタがまだまだ僕らのスポーツ界(サッカー界)で活躍できる一流の選手であることは僕が一番よく分かるよ。偉大なる男、そして友人だったルイにありがとうと言いたい」とメッセージを寄せた。
 ルイ・コスタはこの古巣ミランからのメッセージに「感動して泣いてしまったよ」とラストゲーム後の記者会見で語っている。



■偉大なマエストロの感動のフィナーレ
 ルイ・コスタのラストゲームとなったセトゥバル戦、最後の最後まで背番号「10」はピッチで躍動した。前半25分には右に開いてニアサイドのカツラニスの先制ゴールをアシストし、その3分後、ゴールマウスを完ぺきに捉えたミドルシュートが相手GKにはじかれると、ピッチを手でたたいて悔しがった。何度も何度も得意の柔らかいクロスと絶妙のタイミングでのスルーパスを出した。
 そして22時02分、試合時間では87分に第3審判が「10」番が点滅したボードを掲げ、交代を告げると、ルイ・コスタは手を振りながらゆっくりとピッチの外に出た。オーロラビジョンに映し出されるその顔は今にも泣き出しそうだった。

 こうしてルイ・コスタの“ラストダンス”は終わりを告げ、ピッチを出たルイ・コスタは、この日ボールボーイを務めていた2人の息子、フェリペとウーゴを呼び寄せ抱きしめながら、タイムアップの笛の音を聞いた。

 試合後にスタジアムを1周しながら、ユニホームを観客席に投げ入れていくルイ・コスタに、逆に観客席から無数の花束が投げ込まれる。この日、0-3で負けたセトゥバルのサポーターからもマフラーがルイ・コスタに手渡され、拍手で敵の偉大なる司令塔をたたえた。それはこの日、ルスに足を運んだ人たちにとって最も感動的な瞬間だったに違いない。
 ルイ・コスタは最後、四方のスタンドに向かって深々とお辞儀をしてピッチを去っていった。



■一番の思い出はワールドユース優勝
 試合終了から約1時間して会見場に姿を現したルイ・コスタには笑顔が絶えなかった。それは泣き出しそうになるのをこらえるためにわざとそういていたのかもしれない。
「このベンフィカのトレーニングウェアを着てるってことはまだ選手ということだよね。じゃあ、僕のサッカー選手としての本当に最後のプレー(会見)を始めようか(笑)」とおどけた調子でマイクの前に座ったルイ・コスタ。
「僕の18年間のサッカー人生において、関わったすべての人に感謝するよ。僕に敬意を払ってくれて本当にありがとう。今はゆっくり休んで頭の中をクリアにしたい。僕にとっては素晴らしいサッカーキャリアだったと思う。1番良い思い出として残ってるのはここ(ルス)でワールドユース(現U-20ワールドカップ)優勝を決めたことだね。僕のこれまでのチームメートの中で世界最高の選手だと思うのは、バティストゥータとマルディーニの2人だ。彼らと一緒にプレーできたことを誇りに思う。今、サッカーを“捨てる”ことは幸せではないだろうけど満足はしてるよ。最後にこれしか言えないんだけど、本当にありがとう」
 ルイ・コスタのラストメッセージである。

 ちなみに「あなたのサッカーキャリアにおいて運がなかったとは思いませんか?」との質問には「最後の試合に5万4000人のファンが集まってくれて僕に声援を送り続けてくれたんだよ。こんなに幸せなサッカー選手はいないんじゃないかな? 僕は十分運が強いと思っているよ」と返したルイ・コスタ。いかにもルイらしい答えだ。

 23時54分、ルイ・コスタが会見場を後にしようと立ち上がると、記者もカメラマンも一斉に立ち上がって拍手で送り出した。
「誰からも愛される男=ルイ・コスタ」を最終確認したほほ笑ましい瞬間だった。この「最後の場」に立ち会うことができたことに感謝したい。

 フェスタ(お祭り)から一夜明けた翌12日の昼過ぎ、いつものトレーニングウェアではなく、黒いスーツに身を包んだルイ・コスタは、セイシャルにあるベンフィカのオフィスに姿を現した。すでに用意されたオフィスでのスポーツディレクターとしての仕事を早速始めたルイ・コスタ。彼の「第2の人生」は間違いなく始まったようである。

 こうしてピッチを去ったルイ・コスタ。しかし、ジョゼ・モリーニョが「ひとりのスーパースターが、一流選手のまま、トップフォームのままキャリアを終えたんだ」と賛辞を送った“マエストロ”ルイ・コスタの名前は、公式戦通算776試合132ゴールの記録とともに、永遠に私たちの記憶に刻まれるだろう。



  以上、最後の思い出に抜粋させていただきました。



 □私なりの思い


07.11.06

セルティック対ベンフィカ 
 ベンフィカ、アウェイで熱烈なセルティックムードの中でも、前半は攻めてました。きれいにパスのまわる、惜しい場面も何度かあるそのうち1点が入りそうな試合でした。ルイ様のパスもちょうどいいところに行くのだけど、セルドーソがうまく決められないだけ?なのに終了間際でセルティックに決められてしまいました・・・。後半は、前半の勢いなく攻められてばかりだったような・・・。スタミナが続かないのかなぁ・・ショックだ・・・




07.10.24

 ベンフィカ対セルティック 実はまだ全部見ていないのだけど、ベンフィカがなんとか勝っているようでほっ。
 試合前、ピッチに出る瞬間、ルイ様は連れて出る子供になにか声をかけているらしい様子でしたが、その後、他の選手の後からあわてて出てきたときには子供を連れていませんでした。CLのあの曲が流れている間もルイ様は子供なし・・。こういうのもめずらしいよね。なんだろ連れてでるはずの子供がだだをこねたのかな?もったいない!
 この試合は、ルイ様CL出場50回目の試合だそうで・・うん立派じゃ~



07. 9.18

もう夢のようなカートです。チャンピオンズリーグ1レグ ミラン対ベンフカが18日、ミランの本拠地サンシーロで行われました。もちろん2年前にミランからベンフィカに移籍したルイ・コスタに注目が集まり、ルイ様に始まってルイ様に終わる、どこかなごやかな試合でした。もうカメラは始めからルイ様をアップで捕らえています。試合は、格下相手ということで、早々にミランが得点しても、アンチェロッティは苦い顔でしたが、その後も前半にミランに1点入りました。ふだんなら、ミランのゴールシーンで喜ぶ私ですが、反対に外れるたびにほっとするという・・・。代わってベンフィカのゴールは外れるとがっかりしてしまいます。
 ルイ様、後半終了前に、交代しましたが、ベンフィカのキャプテンでもあります。試合は、後半入ったヌーノ ゴメスが終了前に押し込んで1点入れました~。この人、以前の試合でもこういうシーン見せてくれましたね。たのもしいポルトガル代表です。

 ルイ様、ベンフィカのピンクのユニも似合ってました。胸の、ベンフィカのロゴを何度も叩いてアピールしてました。
 できれば、ルイ様のゴールが見たいな。2レグまで故障せずにがんばってほしいです。






 8月中旬、CL予選、対バレンシア戦で、ルイさまの2ゴールがでました!そりゃみごとなミドルシュートです。ってyou tubeで見たからはっきりは見えないにしろ、この2ゴールでベンフィカが勝ちました!



6月10日、世界選抜対フィーゴ組?の試合があったようです。TV朝日系列で、フル試合は見られず、ハイライトシーンのみの観戦でしたが、ルイ様を久しぶりに見ることが出来ました!親善試合なので、わきあいあいとして、主審がルイ様にボールをパスする(^。^)シーンもありました。本気じゃないのか世界選抜に負けないフィーゴチーム(何故か後半はフィーゴは世界選抜チームにはいってましたが)、DFのパウロ・フェレイラが得点するシーンもあり、なんとも羨ましい試合でした。


 06-07シーズン

 ベンフィカは、CL出場なりませんでした・・・かわりにUEFAにまわり、ブカレストに勝ちました。ルイ様、スタメン復帰です。しかも、ルイ様のアシストでミッコリがきめ勝ちました。ルイ様果敢にゴールもねらっていたようですし、後半ほとんど最後まででました。この試合をどこでなら見られるのか?スカパーではないの?

 ついでにベンフィカのHPだけど、ポルトガル語さっぱりわかりません(*_*;かなしい・・・




ルイ様2戦目も欠場ですか・・・ベンフィカがんばらないとグループ最下位だー


 今季ベンフィカに移籍して、初ゴールもあったのに、負傷でCL戦は欠場のようです・・・(06.9)


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