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ほとんど日記を書いていないので、のんびりした夏を過ごしたと思われそうです。ですが、個人的には怒濤の8月が終わり、やはり怒濤の9月の中頃なのです。
小津安二郎映画のように、かすかなさざ波が立っても、いろいろあって、そしていつものような穏やかな日常に戻るという、素晴らしい平穏に憧れる日々なのです。 ですが、上を見たらきりがなく、下を見てもきりがなく、そこそこの幸せとほどほどのスリルとを味わえる今日この頃です。ともかくそこをよしとしなくてはなりません。 わかってはいるのですが・・ 昨日は久しぶりの秋晴れです。 早朝、スーパーにいきましたら(近くの西友は24時間営業なのです)、林檎や梨や葡萄がたくさんありました。 ああ、いつのまにか秋真っ盛りなんだな〜と感じ入った次第なのです。 ふとみれば ススキしげりて 風の吹く 思ってみれば不思議なのですが、今年は8月の終わり頃から秋が来たとわかっていました。なのに、自然の変化に疎かったのです。 いつのまにか秋の花が咲き始めていました。そしてわが町は秋祭りになりました。 空は高く澄んでいます。そういえば一月以上カメラを持って出かけていませんでした。 そうだ写真を撮りに行こうと思い立ちました。赤い彼岸花が咲き初めていました。 赤いヒガンバナと白のヒガンバナ、センニンソウ、ヒヨドリジョウゴ、コスモス、ツルボ、夏の花ですが、秋空に冴える向日葵、カンナ、 地元の秋祭りの神輿です。 ![]() ![]() ヒガンバナ ![]() ![]() 秋空 ![]() ツルボ ![]() センニンソウ ![]() シロヒガンバナ ![]() ![]() 名残の向日葵 ![]() 銃弾の墓 ![]() コスモス ![]() 最近は昼でも咲いている朝顔の種類が多いです。 ![]() 犬だって祭りディ ![]() かわいい子供神輿 ![]() いよいよ神輿巡行出発、先頭はお囃子 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 昭和の思いで 昭和の接客法 有楽町のガード下の写真をよく撮ります。わざと古くしているのかもしれませんが、不思議に心地よい空間です。 このような薄暗いゴミゴミした雰囲気を今の若い人はみたこともないでしょうに、案外若い人がお客さんになっています。 まんぷく食堂 http://www.cinema-st.com/food/shoku001.html ネットで調べますと、朝食だけが安いようです。ランチや夜はファミレス程度の価格帯みたいですが、量はたっぷりあるようで、まんぷくになるみたいです。 問題点は接客態度らしいです。それは昭和三〇年、四〇年代の再現らしいのです。 それで思い出しました。 昭和の買い物です 当時の東京では買い物にいきますと、店内に誰もいません。性善説の時代だったのでしょう。レジもそのまま、商品も取り放題状態で誰もいません。客が信用されていた時代です。 大きな声で「すみませ〜ん〜」と何回も大声で言います。いえ、「すみません」より「くださいな」だったかもしれません。 大声で「くださいな〜」とか、子供は「ちょうだいな〜」とか、変なイントネーションで叫びます。何回も怒鳴らないと誰も来てくれません。 やっとお店の人が出てきます。大抵、そんな大声で言わないでも聞こえるよ、というような雰囲気を表情に漂わせています。 まず第一に「いらっしゃい」と言ってくれることは少ないのです。たまにはありますが・。下手をすると「なんですか!」という第一声です。ここでひるみますと、お使いが果たせません。 「あ、あの醤油を一合ください(ここは酒屋さんです)」 と、そっと空き瓶を出します。そして夏ですと、もう一つ買い物があります。 「あの、冷えたビールありますか」 「冷えたの、何!」怖いです。 「あ、あの、いつものキリンビールを二本ください」 「キリンビールは一本だけ! サッポロビールがよく冷えているからね」 「あ、そ、それでいいです・・・」 お店の人は怖かったです。 「何を差し上げましょうか?」なんて聞いてくれたら、宝くじに小当たりしたようなものです。 そのうえ、昔はビールの冷やし代をとられました。幾らだったか? 五円かな? 井戸に吊せば只です。ですが共同井戸なので、西瓜を吊してたらなくなった、なんて裏のケチおばさんが叫んだこともあったので、井戸では冷やせません。 当時の買い物はお店屋さんが売ってやる! という時代でした。そう言う風潮はいつからだったのでしょう。江戸時代、大店の経営者はお金持ちで庶民より一段上だったのでしょう。貧しい庶民がやっと溜まった小銭をもって買い物に行くと、けんもほろろだったかもしれません。士農工商なんて嘘です。商士工農・・ですかね。 昭和の終戦直後時代は品物を持っている人が威張っていて、欲しい人は頭を下げて言い値で買っていた時代がありました。そのときの感覚がまだ残っていたからかもしれません。 昭和の買い物は、お客が「すみません」とか、「お願いします」とかいって品物を出して貰い、お金を払ってお釣りと品物を渡されると「どうもありがとうございます」と頭を下げて感謝いたします。運が良ければお店の人が会釈を返してくれるます。 個人商店で買い物をすると、お店の人とのコミュニケーションが楽しいと言われますが、当時は楽しくなかった。友人関係のお店なら楽しいでしょうが・・。今、思い出してみますと、いつもドキドキして買い物していました。お釣りがたりないなどといいますと、こっちが悪いみたいに言われて、もめることもあります。 幼い頃から暮らしている町で、買い物にいきますと、大きくなったわね! などと、普段愛想が悪いのに、突然言われることもあります。幼いときのあまりうれしくないエピソードを話してくれたりします。自分が年をとってくると、顔見知りの子供が成長するのを見て、つい懐かしくなって、あれやこれや話しかけてしまうことがあります。 ですが、言われる方はうれしい話題ではないのです。 やがて昭和四十年代ごろからスーパーが次々開店してました。人々がスーパーに流れていくのも、個人商店の接客法に問題があったからだと思われます。 買い物依存症気味の私はこう思うのです。物を買うのは何が楽しいのか、それはお金を支払うときに、快感を感じるからではないでしょうか。 財布の中の福沢諭吉が減っていくのは寂しいですが、支払う度に私は買い物したのよ。王侯貴族よ! ちょっと大袈裟です。でもたとえ十円でも支払うときにふっと快感を感じませんか? 「すみません」とか、「どうも有り難う」とか、自分から言っていたら、この快感は感じられないのです。お金を払うときに、すまなさを感じるほどです。 最近強く感じますのは、日本のメーカーの電話対応が悪すぎることです。とくに大メーカーは、お役所のように融通が利きません。そのうえ自社の商品知識がなさすぎます。 PCの故障をメーカーに問い合わせた中で、対応が良いのはDELLだけでした。 やはり顧客対応のよさが物を売る、買っていただくということに繋がっていくのでしょうね。
昭和の思いで 友人の渡った踏切
人生を60年以上過ごしてきました。 いつから幼児ではなくなり子供になったのか。いつから子供ではなくなり少女になったのか。私はそれが何歳の頃だったか覚えています。 でも大人になったのは何時でしょうかね・・。 細かく言えば、結婚したとき、子供が生まれたときなどかもしれません。そのような経験をしますと、今まで見えていなかった物が見えるようになりました。物の感じ方が変わったり、理解できなかった事が理解できるようになりました。しかし、大人になったのとは違う感覚です。目が悪いので眼鏡を掛けたような感覚です。 それで、経験が人を大人にしていくのではないのだろうと思います。 人が何かを超えたとき、変化を感じたときを、そこを人生の踏切と考えることもできます。 踏切は渡ると景色が一変することがあります。 商店街から住宅街へ入り込むこともあります。町から田園風景に変わることもあります。 大きな団地の中に迷い込むこともあります。寂れた町から盛った町へと変貌することがあります。 踏切は時に命を落とすこともあります。 此岸から彼岸へ渡る橋のようです。 昨日、昭島に行ってきました。何故出かけたかは月曜日以降に写真でお知らせするかもしれません。ちょっとした思い付きだったのです。ですが、私はまたあのことを思い出してしまいました。もうあれから40数年経っているのに、その思い出のために出かけたわけではないのに、やはり思い出してしまいました。 昼頃、駅頭に降りたち、見た昭島の町は初めて訪れた町のようでした。北口駅前にはモリタウンという大きなショッピングモールができていました。この変貌ぶりは驚きました。 実は忘れられない記憶がこの町にあったのです。 それは40年以上も前のことです。高校三年生でした。私たちの仲良しグループに昭島に住む友人が参加しました。私たちの仲良しグループは5人になりました。1年の頃から仲良しだった私を含めた三人組に昭島の友人ともう一人が合流したのです。私たち五人はいつも仲良く群れている、そう言う関係でした。そのときまで、後から合流した二人は卒業して別の大学に進めば、自然に疎遠になっていくような関係だったはずです。 そのような友人関係でも彼女は昭島で、私は国分寺に住んでいました。二人は同じ方角なのでいつも一緒に帰っていました。たわいない話をして笑いながら帰りました。時々みんなで昭島の彼女のお宅に遊びにも行きました。 当時はまだ立川は米軍の飛行場でした。拝島駅近くには今でも横田基地があります。昭島は基地近くの町として有名でした。白ペンキの米軍住宅が建ち並んでいた頃のことです。 その友人は卒業間際の3月のある日、踏切を渡りました。 此岸から彼岸に渡ったのです。 それは大学受験の最中でした。学校は卒業式まで休みに入っていました。1回だけ登校日がありました。卒業式のリハーサルがあったのです。登校しなくてはいけないのに、私はさぼって行きませんでした。誰もが受験勉強のためだろうと気遣い、何も言われませんでした。当時の私はクラス委員をしていました。昔で言う級長です。ですから級友を式場へ誘導する役目があったのです。が、さぼりました。 私が登校しなかったその日に、友人は踏切を渡ったのです。日を待たずに葬式が執り行われ、出席できる友人は参列していました。私は葬式にも行っていなかったのです。 それは、昔のことです。我が家には電話がありませんでした。私の家はそれほど裕福ではなかったのと電話をかける必要性も少なかったからです。急用の電話は隣の瓦屋さんが取り次いでくれました。急用ではなくとも取り次いでくれましたが・・・。緊急の時には電報が来ました。ですから私に知らせることはできたのです。でも、受験でナーバスなのだろうと担任の先生も友人も気遣ってくれ、知らせがきませんでした。 葬式の2日後、受験会場で隣のクラスの子に逢いました。その時、事件を教えられたのです。新聞にも載っているといわれました。 昔は新聞記事になったのです。そのうえ当時は顔写真まで載っていたのです。しかし私は新聞も読んでいませんでした。なぜ新聞も読まなかったのか。今となっては悔やむだけです。帰ってから、教えられた日の新聞を開きました。記事と写真をみました 私はパニックに陥り大泣きに泣きました。 私もその日、何かの踏切を渡ったのです。 その後、残された四人は初七日にいきました。それからも法事で何回かお線香を上げに行きました。3回忌の次の年の命日にも行きました。友人の母親は線香を上げに行った私たちに形見分けをしてから、もう来ないで欲しいと言いました。 その頃の私たちは若すぎたのです。子を失った親の気持ちを理解することが出来ませんでした。 友人の死を共に悲しみ、共に語り合うつもりだった私たちは、冷水を浴びた思いでその家を後にしました。もちろん、母親の気持ちはなんとなく判ってもいたのですが・・。 私達残された四人は生きているので、それから大いに青春を謳歌しました。それぞれ希望の大学に進み、勉強も恋もしました。お酒の味も覚え、よく遊びました。ディスコで踊ったりしました。後悔するようなこともありました。後悔も失敗も青春のスパイスです。苦い味、辛い味、どれもが生きている証です。 踏切を渡った友人はいまも18歳で、あの一瞬どのような痛みや苦しみがあったのか、誰も推し量ることはできません。その決意をする前に何があったのかどんな悩みがあったのか、誰も知らされていませんでした。 青春の甘さも苦さも辛さもしらないままに彼女は踏切を渡ったのです。 あの日、彼女が私と帰っていたら、踏切を渡らなかったと思います。彼女の渡った踏切は東小金井から武蔵小金井の間の無人踏切でした。 ちょうど東小金井駅が開通して数年ぐらいの頃です。線路の周囲は植木の畑が続き、家も何もない状態でした。開発のためなのでしょうか空き地も広がっていました。新駅ができて大きく発展するかと思っていましたが、何年も駅周辺も線路沿いも空き地ばかりが目立っていました。土地価格が高騰したからです。 高級な空き地に中央線が東西に横切っていました。その空き地にほとんど人も車も通らない道が南北に線路を渡っていました。 踏切に電車が近づくと赤の電球が上下に点滅しカンカンと音がします。いつまでもカンカンと警笛が鳴り響いています。 友人はその警笛をききながら踏切へと入っていきました。 両親は国鉄(当時)から悲報を聞かされます。飛んでいきますと係員の悼むような様子は形ばかりで、即バケツと石炭ハサミを渡されます。現場に連れて行かれ、悲惨な現場の後かたづけをするように言われます。 遺体は形をとどめていなかったそうです。枕木の下の石や線路脇の草むらに張りついた遺体の小さな破片を石炭バサミで、はがしてはバケツに入れていきます。泣いている暇もありません。かがめた姿勢の腰は痛くなるし、その脇をひっきりなしに猛スピードの電車が走り抜けていくし、何時終わるともしれない辛く悲しい作業なのです。 このような思いをした母親の目に娘の友人達が青春を謳歌している姿が写って、どう感じていたでしょう。何回も娘を思い出し、何回も苦しみ、何回も自分自身への怒りの思いがこみあがったことでしょう。 気遣わなくてはいけないのは私たちだったのです。 前にも一度同じことをブログか日記に書いていますが、もう一度書きます。 死は自分だけの責任ではないのです。周囲の人も、ある意味での命の踏切を越えさせているのです。 私はそれから10年以上も毎日現場の踏切を越えました。踏切の上を電車が通り過ぎるとき線路の境目なのでしょう。ガタンと体が揺れます。朝はまだいいのです。帰りの電車がガタンと揺れるとき、彼女の事を思い出すのです。なぜあの日一緒に帰らなかったのか・・。踏切に佇む彼女の姿を思ってしまいます。辛くなって反対側の窓外に視線をそらすと、暗くなりかけた外には、深い闇に沈む草むらがあります。あそこに拾いきれなかった彼女の破片がまだ残っているのではと、必ず思うのです。その草むらから目を離すことが出来ません。一瞬で通り過ぎる踏切ですが、いつまでたっても忘れることが出来ないのです。 他の友人達も悔やんでいます。当日は卒業前の最後の日だからと、暫く教室に残り、みんなで馬鹿話をしたそうです。記念にと誰かがテープレコーダーにその馬鹿話を録音しました。馬鹿話の内容は楽して金儲けをする方法がないかと話したそうです。若い頃よく話すようなことです。たわいのない事を話して大笑いをして、まさかその帰りにそのようなことになるなんて、誰も思っていませんでした。なぜあの日そのようなつまらない話しをしてはエキセントリックに笑ったのだろう。なぜ、そのとき彼女の心に気付かなかったのか・・。私もその録音をあとで聞かせて貰いました。なんとも感想を言えませんでした。 彼女に悩みがあるとは誰も思わなかったのです。進路も系列の短大に進む予定でした。入学は決まっていました。家庭も我が家と違って裕福でした。恋人がいたかどうかは知りません、憧れの彼はいたらしいですが・・。 いつまでたっても、なぜ、なんで、と思います。 誰にも、悩みを話せなかったのでしょう。私たちはそれぞれ高望みの受験先で頭がいっぱいだったのも事実なのです。何故悩みを聞いてやれなかったのか。何かしらサインは出ていなかったのか? どうしてサインに何故気付いてやれなかったのか? 友人も家族も一生背負う悔やみなのです。 残された四人はトラウマを抱えたまま生きてきました。 18歳のままの友人がいるので、いつまでも大人になりきれないのかもしれません。 置き去りにした何かが、残された私たちを引き留めているのです。 東小金井から武蔵小金井間は線路が2階に上がりました。踏切や草むらも見えなくなりました。ガタンを感じないまま通り過ぎました。 私にとっては心の痛みをあまり感じずに故郷に帰れるようになったのでしょう。
金八先生で、全国区になったでしょう。
堀切菖蒲園駅から徒歩10分ほどのところにある堀切菖蒲園に行ってきました。 6月5日から菖蒲祭りが始まっています。 昨日は好天に恵まれ、綺麗な菖蒲が見られました。 ここは入場料無料です。 無料大好き! ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 堀切十二支(天祖神社にありました)
朋有り遠方より来たる。
亦楽しからずや。 マイミクさんが九州より上京されました。 神保町をぶらつきたいとのことで、神保町駅前で待ちあわせをしました。 いつもながら、おっちょこちょいの私は、一緒に逢うマイミクさんと打ち合わせの際、地下鉄神保町駅のA8番の岩波ホールね・・といいました。 10時前に九州からいらした方はご近所にお住まいで道に詳しい友人といっしょにやってきました。岩波ホールを目指してきたので私にあえました。ところがA8番と聞いた人は正直にA8番にずっと立っていたので逢えません。岩波ホールはA6番だったのです。 また、やってしまいました。私に道を聞いたり待ち合わせ場所をきいたりしてはいけません。と開き直る私なのです。えへ、御免ね。 やっと全員集合しまして、久しぶりの神保町散歩です。 でも女性ばかりの集まりですから、まずは、おしゃべりをしたいですよね。それで、喫茶さぼーるに入りました。さぼーるはいかにも学生街の喫茶店です。薄暗く狭い店内に小さめの机と椅子。体型に不自由のある私はなんとか転ばずぶつからず、その小さな椅子に座ることが出来ました。 この喫茶店では関西のようにコーヒーにピーナッツがつきます。ちょっと得した気分になれます。 レンガの壁には落書きがいっぱい。 学生時代に戻っておしゃべりをいたしました。 それからは水道橋まで歩き、後楽園ドームホテルの3階でバイキングをいただきました。 http://www.tokyodome-hotels.co.jp/news/restaurants_fair/lalachina.shtml#0905_1 一人2500円ですが、ソフトドリンク飲み放題でデザートもついていますし、なによりも感動しましたのは、ローストビーフを厚めに切ってくれることです。 中華のスペアリブも肉が軟らかく美味しかったです。 デザートのプリンがとくに美味しかった。ちょこっとビールをいただき、おしゃべりに花が咲いた半日でした。 先の言葉は論語の一文でした。全文? 子曰はく、 「学びて時に之を習ふ。 亦説ばしからずや。 朋有り遠方より来たる。 亦楽しからずや。 人知らずして慍みず。 亦君子ならずや。」と。 この朋は友とはちがうのだそうです。 どちらにしろ、一緒に楽しくおしゃべりをしてバイキングを食べれば、亦たのしからずや ![]() 道路の騒音を計っているのだそうです ![]() 古本屋さん ![]() 運送やさん ![]() 学生時代、教室よりよく通った路地 ![]() 教室より長く座った喫茶店跡 ![]() ミロンガ 入ったことがない・・ ![]() 紫陽花 ![]() 世界のビール ![]() ラドリオ。。シャンソンがいつもかかっていた。アンニュイだった私・・ ![]() 喫茶「さぼーる」
メル散歩 いきあたりばったり2 大森編「二つの貝塚」
京浜東北線大森駅で降りました。なんとなく目的はあったのです。「馬込文士村」探訪・・ですが、さっそく方向音痴ですし、特に地図ももたず、あっちかな〜と歩き出しました。 ![]() 駅前のゴミゴミした感じ・・後ろの山は「天祖神社」 ![]() 途中で見かけた木造住宅 小学校か中学校のころ社会科の授業で、モース博士が品川を列車で通り過ぎたとき線路の脇に貝塚があるのを発見しました。と勉強しました。日本の貝塚発見の始めてです。 貝塚は縄文時時代からそこにずっとあったのに、だれもが縄文期のゴミ捨て場とは気付かなかったのです。ゴミ捨て場だからかえりみられなかったのかな? モース博士は大森貝塚の住所をしっかり記録していなかったのです。それで、後世、どこが貝塚なのか正確な住所がわからなくなってしまいました。 大田区の大森駅近くのNTTビルの敷地に大森貝墟という大きな碑があります。そこから数百メートル離れた品川区に大森貝塚史跡公園があります。こちらは貝の層が見られますので、こちらが発掘された大森貝塚の場所というのが現在の通説です。ただし両方とも大森貝塚として国の史跡になっています。 どちらも線路がすぐ脇を走っています。 モース博士が列車の中から貝塚を見つけた話しを習って、私はモースおじさんも電車に乗ると外の景色ばかりみていたのだな〜とちょっと親しみを感じました。ですが私が外を見ていても、世紀の発見は出来ないのです。残念。 ![]() モース博士 ![]() 史跡公園内にある貝殻が見える土壌 ![]() もう一つの貝塚の碑 ![]() 電車がすぐ目の前を猛スピードで! 昨日は雨ですので、散歩はどうしようかと思いながら、電車に乗りました。大森駅で降りまして、思い付きでぶらぶらしたのです。 まず駅前の天祖神社に行ってみました。急な階段を上がり神社を撮影しようと思いましたら、怖そうなおじさんが煙草を吸いながら裏から出てきました。カメラを向けることができず、社殿は撮れませんでした。 うろうろするばかりで、なかなかいい被写体に巡り会えません。 ![]() やっと花が咲いた可愛い紫陽花 アジサイが少しづつ色づき始めています。 街路樹の根方にも綺麗なアジサイがありました。写真を撮っていますと、そのアジサイ綺麗でしょう。と声がかかりました。 「はい」と振り返りますと、前のお店から、ちょっと美人の奥さんが出てきました。 「それね、鉢植えで景品でもらったの。そのときは咲いていたけれど、次の年から花がつかなくて、それでも一生懸命水をやったりして育てていたけれど、何年も葉っぱばかり立派で花がつかないのよ。そうしている打ちに大きくなったので、その街路樹の所に植え替えたの。そうしたら去年1つ花がついて、とてもうれしかったの。今年は4つもついて」 「本当に綺麗な色ですね。来年はもっと咲くでしょう」 「もう、うれしくて、うれしくて」 誰かに喜びを話したかった野でしょうね。それからも延々花の話しが・・、仕舞には道路の向こう側に咲いている紫陽花よりこっちが綺麗だと言い出して。花も自分の家の方が可愛いのですね。 散歩をしていますと時に一期一会の出会いがあります。 その他に訪れた場所は品川歴史館、日枝神社、大森不動尊(円能寺)、鹿島神社、と神社仏閣ばかり歩いてしまいました。貝塚を二つ。アジサイ。 鹿島神社は品川区100景に選ばれています。緑が多く区の保護林となっています。 鹿島立ちという言葉があるそうです。筑紫に派遣される防人が鹿島神社で祈願したことを現しています。そこから交通安全、旅行の安全に御利益があるといわれています。 鹿島神宮でお宮参りをしている一家に出会いました。写真に入らないよう気をつけて神社を撮りました。本日はどうも人に出会います。昼ご飯を藍屋という和食のファミレスに入りました。すると、そのお宮参りの一家が後からやってきました。縁ですね。この一家は赤ちゃんをなぜか若いパパがずっと抱いていました。普通はお嫁さんのお母さん、もしくはママが抱えていますよね。まあパパが育児に参加するのはいいことですが、慣れない抱き方にハラハラしました。 品川歴史館にもよりました。まあなんというかそれほどでもないかな・・という展示でした。建物は立派ですね。 成田山大森不動尊ともよばれている円能寺はこの辺りの地名の元である(山王様)日枝神社の隣にあります。 目的を定めず、曲がり角をみれば曲がりまた元に戻りと同じようなところをグルグル歩きました。雨でしたので、いまいち盛り上がりに欠けましたね。 カメラも一眼レフは濡らしたくないので、雨用のカメラを持っていきました。こちらのカメラはシャープに撮れません。雨の日はこのぼんやりもいいかなと思います。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
![]() 谷津駅 ![]() 京成谷津駅前 ![]() 谷津バラ園への道 ![]() 巨人軍発祥の碑 メル散歩 行き当たりばったりの旅 方角だけ決めて家を出ました。日暮里から京成線にのりました。何処に行こうか、市川の先まで行こうか・・ 八幡でおりました。先日来たところでした。また電車に乗り船橋競馬場でおりました。競馬を楽しみたい訳ではなく、快速の停車駅だったので降りたのです。昔は近くに谷津遊園があったはず。遊園地は無くなったが、バラ園があるはずだ、と思い、線路際を歩いて谷津駅まで行きました。 谷津駅前からバラ園まで遊歩道になっていました。雰囲気は世田谷の私鉄駅前に似ています。緑したたる並木の遊歩道の両側には古着屋さんやカフェがあり、お洒落な雰囲気です。そして安い八百屋さんもありました。心引かれるお蕎麦屋さんもありました。でもここはぐっと我慢。はやく綺麗な薔薇をみたいのです。 暫く歩きますと京葉道路の下をくぐります。そこから公園になっていました。公園をなおも行きますと谷津バラ園がありました。360円払って中に入りますと、意外に狭いです。入り口から、ぐるりとバラ園全体が見渡せるほどの狭さです。しかし薔薇は多いです。びっくりするほど沢山咲いていました。今が満開。見頃ですね。 ![]() ![]() ![]() いろいろなバラ園に行きましたが、狭いがこれだけ見事なバラ園は初めてでした。 次回は京成バラ園にも行ってみようと思います。もっと見事でなことしょう。 正直、薔薇はもう結構というほどでした。沢山見まして写真も撮りました。 ![]() ![]() ![]() バラ園の後方には谷津干潟が広がっています。時期が悪いのか、水鳥は少なく、水も少なく、厭な匂いがしていました。 早々に駅に戻りました。もう帰ろうかと上野行きに乗りました。のってすぐ、大神宮下という駅につきました。大神宮というぐらいだから立派な神社があるのだろうと思い、思い付きで降りてみました。 降りましたらすぐ近くに大きな鳥居が見えています。船橋大神宮(意富比神社(おおひじんじゃ)という神社でした。 新緑が溢れるほど多くて静かな神社でした。 日本一小さい大神宮とも言われているそうです。 延喜は古く、日本武尊が東征の折、祈願をしたのが始まりといわれています。 ゆきあたりばったりなので、境内には灯明台(灯台)があるそうなのですが、気付きませんでした。残念! ![]() ![]() ![]() ![]() そこから駅に戻り海側へと歩いて行きました。橋を渡り、なおも海へ海へといきました。そこは船橋港です。船橋港親水公園になっています。船橋港親水公園の左側は船橋ララポートです。以前は船橋ヘルスセンターといっていた所です。 小学生の頃、谷津の浜辺で潮干狩りをして、帰りに船橋ヘルスセンターでお風呂に入った記憶があります。もしかしますと、さきほどみてきました、あの干潟が昔は遠浅の海岸だったのかもしれませんね。 懐かしいですが、ララポートにはよりませんでした。 ![]() ![]() 船橋港から左側へ京葉線の線路にそって歩いていきますと船橋オートレース場が見えてきます。オートレース場の隣はIKEAです。 IKEAに入ってみました。2階のレストランは楽しそうな所です、私は谷津バラ園でお弁当を使ってきたので、食事はしませんでした。フリードリンクの200円を支払い、たっぷりアイスティーやペプシコーラを飲んできました。 南船橋駅から京葉線で帰りました。 ![]() ![]() ![]() ![]() 南船橋駅前の空き地にチガヤがいっぱい、風に揺れ光っていました。
荒川の河川敷で標題の駅伝大会が開催されました。
私も出ました・・思いっきり嘘です!! 見に行きました。 応援するつもりでしたが、沢山の人が出場されて、わかりませんでした。 写真を撮ってきました。 10時出走ですが、会場のアナウンスでは、32℃は超えているとのことでした。 日向はとっても暑かったです。 コスプレランナーもいらして、ほとんど拷問じゃないかという衣装の人もいました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
昨日は5月4日みどりの日ということで入園は無料でした。
只ほどうれしい物はない〜♪ 子供連れがわんさかわんさか・・ 私たちも只に釣られて、やってきたのでした。 いい大人が動物をみて楽しいか! という意見もあるかもしれません。 しかし好奇心旺盛の精神年齢10歳の私は面白いです。 ちょいと臭いことを我慢すればいいのです。 もし町で出会えば、心臓ぱくぱく、腰抜け状態になるほど怖い野獣たちを間近に観ることが出来るからです。 多摩動物園ではライオン園の中をサファリバスで巡るライオンバスがあります。 私たちは柵の上から眺めることにしました。広いので始めはライオンたちが何処にいるのか見えません。 目を懲らすと木陰の下に寝そべっているのが見えます。丸太の台のようなものがあり、そこで寝そべっているのもいます。そのうちあちらでごろごろ、魚河岸ののマグロ状態でゴロゴロいるのを発見しました。 バスでライオンを観る楽しみはガラス一枚隔てたすぐ外でライオンが牙を剥いてみせることです。 昨日は暑いためか、ほとんどのライオンが日陰でゴロゴロ・・ 一匹狼的に群れない奴がところどころにゴロゴロ・・ 丸太の台でバスのお客にせっせとサービスするのは、若い雌ライオン1頭だけでした。立派なたてがみの雄はちょっとサービスすると、日陰に入ってごろり・・ だらだらゴロゴロ・・休日の午後ですね・・ 動物占いではないですが、種固有の性格というものを、動物園で諮り知ることが出来るようです。 百獣の王、ライオンは怠けられるものなら、怠けて暮らしたいという性格みたいです。共感する人多いのではないですか? あ、かくいう私もですが・・ 狼の所に行きました。狼たちは互いに喧嘩することもなく行ったり来たり・・、寝ていたり。その中でボスなのでしょうか。一匹だけ、ほぼ中央で人間達をしっかりと見つめて居るやつがいます。目つきは睨んでいると言うより、人間を観察しているというのでしょうか。 縄張りを侵してこないように見張っているのかもしれません。 ですが、狼も人間に飼われる環境の中では、目つきが柔らかいような気がします。 虎はライオンのように寝そべっていません。柵の中を割に素早くいったりきたり。人間を睨むことも忘れません。目が笑っていないのは虎だけかもしれません。 繊細かもしれませんね。虎とライオンとでは狩りの仕方が違います。ライオンは犬に近く、数頭で協力して狩りをします。虎は猫に近く、一頭で狩りをします。獲物を見つけると、猫は体を低くして前足を伸ばしながら前進し、パッと飛びかかります。 虎も草の茂みに潜んで獲物の隙を狙っています。虎は目の前に美味しそうな獲物が一杯いるのに飛びかかることも出来ず、イライラしているように思えます。 美しいのはユキヒョウです。白い豹です。 ユキヒョウも柵の近くで見物の人たちにサービスしてくれます。 金網一枚で隔てられています。注意書きに「手を出すとかじられるよ!」とあります。手をかじられる近さでみられます。 オランウータンは午前11:30からスカイウォークをするそうです。その時間にはライオンを観察していたので、残念ながら観られませんでした。 高い鉄塔に貼られたワイヤーをつたって移動する所が観られるのです。オランウータンの所に行ったときは、すでに終わって疲れていたところらしく、子供が一匹遊んでいるだけでした。 アフリカ象は太い竹を牙や前足、鼻を器用に使って割ります。細く裂いて食べています。 歯堅めなんでしょうか。バリっとかみ砕く音がします。遊んでいるようにも見えます。 アジア象はアフリカ象より肌が綺麗なように見えました。大きな糞を運動場のヘリにしています。人間との境界にウンコをするのです。もしかしますと人が入ってこないようにバリアをしているのかもしれません・・想像ですが・・ いま、写真の整理をしていたら、あまり撮っていませんでした。 これは一人で行かなかった為だと思います。 だから一人で散歩したいてぇ〜の! 動物園から高幡不動駅まで歩きました。これで8km以上は歩いたでしょう。 高幡不動には時々行っています。それでお参りはせず、門前の蕎麦屋に入りました。ちょっと、入るのを躊躇したくなるような店構えです。小汚いというか、ごたごたしているというか・・。 中に入りますと意外に広い・・それほど汚くはないです。 濡れ落ち葉氏は三昧蕎麦(蕎麦、うどん、ヨモギうどんの盛り合わせ)、私は地蔵蕎麦です。 蕎麦に大根おろしや貝割れなどがのっており、たれを掛け回して食べます。 ここの蕎麦屋さんはネットでみますと味の評判はあまり良くないですね。 でも、思ったより美味しかったです。うどんもツルツルシコシコ・・。たれも甘くなく、こんな感じかなと。 ビールものみました。エビスビールです。これもよしといたしましょう。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
春の花々です。
写真をご覧ください。 ![]() 藤 ![]() 石楠花 ![]() 八重桜 ![]() クマガイソウ ![]() バイカイカリソウ ![]() シラン ![]() メダカ ![]() ハナイカダ ![]() ツルジュウニヒトエ ![]() ハナミズキ ![]() ハナヤツデ ![]() エビネ ![]() ミヤコワスレ │<< 前のページへ │一覧 │ 一番上に戻る │ |
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