|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
イスラーム神秘主義・神秘詩
(@・`ω´・)みてね。 クリックで救える命がある(写真展はこちらから)
RETIRED WEAPONS
![]() retired weaponsとは電通のアートディレクターをつとめる徳田祐司氏を発起人としたプロジェクトだそうです。 retired weapons ピストルに咲いた花は世界に広がるか?
HeartSupportSystem(お友達の老舗フラワーレメディのサイト)
![]() とても素敵なトルコ雑貨やキリムのお店。お気に入りのトルコ在住のAyturkさんのサイト
Morgan's Tarot英字のみ
オーラソーマボトルで無料の心理診断できます。今日の気分は何色?私はこれ、25番 メヴレヴィーオーダー(アメリカ)のホームページです。 トルコで滞在中にお会いして大変お世話になった、ジェラールディン・デデのメヴレヴィー支部のサイト。 Suleyman Hayati Dede の息子さんにあたるJalaluddin Lorasをシャイフとしていろいろなイベントを行っています。 英語のみですがアルバム見ごたえありますよ。アルバムは こちら |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
るうのひとりごと日記 [全375件]
http://www.youtube.com/watch?v=s63r-8t2ugA Mercan Dede mercan dede - TRT semazen gösterisi 今年も12月17日がもうすぐですね。 メヴラーナの入滅、神との結婚(合一)の日、とされる17日です。 盛大なお祝いと感謝の日です。 今年もあわただしく過ぎた人、 ただボーぜんと月日を費やした人も、 愛する誰かと時をわかちあった人、 愛する誰かを失ってみえない道を進もうとする人も Merry X'smas And Wish u Spend Happy Greatful Day. 最終更新日時 Dec 13, 2006 01:49:51 AM
スーフィーでは、よく使われる言葉に Remembrance というのがある。 Sufi Remembrance 訳せば、記憶、思い出、記念 と辞書にはあるけれど、 私はこのSufi Remembranceというのは 「想起すること」「思い出す事」 だと思っている。 ただ、私達は忘れてしまっているだけなのだ。 だから、それを思い出せばいい。 赤ん坊のころの、まだ何にも染められていない 純粋無垢なままの、自分自身を思い出すこと。 それは、呼吸法や、マントラ瞑想など、 単純な修行法で、想起を呼び覚ます。 スーフィーで使われるZIKRという呼吸と マントラを使った瞑想法では、ある独特なサウンドと動き、 また、マントラを使うけれども、 ここでも私は禅や仏教の念仏などと、たいへん手法が似ていることがあるなぁ、などと思う事がある。 ただ坐って呼吸を見つめる禅や、念仏、 また、ハラ、腰、足先など、意識を保つ、など。 ちょっと、無理やりかもしれないけれども。w トルコでのデルガーでは、男達はみな正座して円陣を組んで坐る。 音楽と経典の祈りがはじまると、 ハラの中心に向けて呼吸をはじめる。 ハイハイハイ、というサウンド。 イスラムの言語でハイとはLIFE「生命」という意味だ。 「ハイ」というサウンドをハラに打ちつけるように響かせる。 吸う息と吐く息で独特のサウンドが派生し、大きくうねりを響かせる。 片方の手は始終胸に置かれ、 ハラとハートと、そして体の中心部分、尾てい骨から頭頂 それが一本につながるような、激しく太い呼吸だけのサウンドが生まれる。 そののちの静寂。 音楽が鳴り止み、そして沈黙する。 以上が呼吸を使ったZIKRという修行法の簡単なあらましだ。 しかし、その場の雰囲気というのには、まさに圧倒される。 日本のお寺などでも、経典を読みあげるその声が一種独特で 崇高な感じがあるけれども、そのような雰囲気と一部似ているような気もする。 マントラを終始唱えているとある種のトランスに入り込むのだろうか。それはよくわからないが、 人々が集い、呼吸を見つめ、個々それぞれに静寂のスペースに落ちていく時、まるで大海に漂う、一滴のしずくのように、 それは全体に帰し、存在と溶け込む。 禅でも言われることがあるように、 ただ、あるがまんまでなにもない。 まったく自分がなんにもない。 だが、あるがまんまのうまれたてのそのもの。 そのものであったまんまのものをただ差し出せ、と。 (たしかこんな風ないいまわし?)'-'*? なんにもない、まっさらなその無の空間になげだされ、 境界もなく、分節もなく、ただあるがままで息をつく。 呼吸はなんとはぜずとも呼吸であって 心臓はたんに動く、 それすら認識することなく、 ただそれはたえず流れる 思い出すこと 人はもとあるそのものそのまんまを たんに思い出しさえすれば それは変わりなくそこにいつまでもあるのだと すでに知っているのだ。 それが、愛、というものであれ 悟り、というものであれ、 定義など必要もない 愛など知らない、なのではなく、忘れてしまっているだけ 悟りなど知り得ない、ではなく、たくさんのガラクタで埋まれているだけ・・・ 私たちは、分かり得ない、のではなく すでに「知る者」「そうであるもの」なのだと思う。 たんに思い出せばいいのだと、 私はスーフィーの実際(もしくは禅)において、 いつだってそう思うのでした。 思い出す事。 Remembrance PS (((禅を語れるほど精進はいまだしておりませぬが。。。))) 敬具 はい、思い出すために坐ります。じゃあ、またね。 最終更新日時 Jun 16, 2006 01:25:31 AM
STOP ROKKASHO 六ヶ所村の燃料再処理工場の問題を、 世界的な著名人達が、黙ってられずに作品を通して これだけの行動をして広めようとしています。 これは大きな力ですよね。 [STOP ROKKASHO] http://stop-rokkasho.org/ ↓友人の日記から引用 ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ 坂本龍一です. 本日、みなさんの貴重なお時間を頂戴して訴えたいのは、 青森県六ヶ所村にある核燃料再処理工場による、 甚大な放射能汚染についてです. なんと、この再処理工場からは通常の原発から出る 放射能の一年分が、一日で出るというのです. 美しい縄文の地と恵みをもたらす三陸の海が汚され、 その被害は何百世代先にまで及びます. こんな異常なことがまかりとおっていることが、 にわかには信じられません.しかし、もっと問題なのは ほとんどの人がこの事実を知らないということです. これは大手メディアに責任がありますが、PSE法については あれほどリアクションがあったのに、もっと重大で 命に関わるこの問題については、社会全体が奇妙なほど 静かなのです.そこでぼくはインターネットと音楽をもって 世界にこのことを知らしめようと思いました. ぼくと、若い友人である日本人ラッパー、shing02は今、 音楽を制作中です.ぼくたちはその音楽をwebに載せ、 人々がそれを自由にダウンロードし、リミックスし、 サンプリング、リサイクル、リモデルなどをして、 再処理工場のことが世界に広まるように、クリエイティブ コモンズのライセンスを取得するつもりです. 幸い、友人のクリスチャン・フェネスが賛同し、音を ダビングしてくれましたし、また英国の有名なデザイナー であるジョナサン・バーンブルックはwebサイト (www.stop-rokkasho.org)のデザインを引き受けて くれました.そこでは、人々が音楽を聴き、ダウンロード をし、またビデオを見たり、六ヶ所再処理工場について もっと情報を得ることができます. みなさんにもぼくたちと共に、音楽、写真、動画、 美術作品、詩など、どんなジャンルでもけっこうですので、 寄付していただくことを呼びかけたいのです.そうする ことによって、世界がこの問題を知ることになり、ひいては 危険な再処理工場が止まることを願って.ちなみに、ぼく たちにはどんな財政的な基盤もありません.これは人々に 気づいてもらうことを目的とした、100%ボランタリーな 活動です. みなさんの貴重なお時間をさいて、これを読んでいただき、 またこの問題を考慮していただいたことに感謝して. 坂本龍一拝 stoprokkasho@gmail.com -- +++++++++++++++++++ s a k a m o t o www.sitesakamoto.com/ blog.sitesakamoto.com/ p e a c e この惑星は愛されなければならない。 この惑星は喜ばれなければならない。それは贈りものだ。 この身体にはあまりにも多くの神秘が含まれているから、 ブッダですらこの身体がなければありえない。 この身体はもっとも大きな可能性― ―ブッダフッド、ニルヴァーナの寺院になる。 この身体は愛されなければならない。 この地球は愛されなければならない。 ―Osho ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ また、どうか、GREENPEACE JAPANの活動にも ご支援ください。 GREENPEACE JAPAN 最終更新日時 Jun 04, 2006 00:09:05 AM
長いタイトルの日記になりました。ww 昨日買った本達と、いろんなこと、日常のこと、 その他多くのことがシンクロしているように感じます。 集合意識的なにか、、、連動でもあるんでしょうか? 不思議なものですね。 苦について、語った柳沢さんのDVDを観たあと、 トールの本をめくると、そこにもおなじようなことが書いてありました。 「万物は内面で互いにつながっている」 トールはいいます。 レッテル貼り、それが分裂をおこします。。。と この新しい本は、「本ではない本」と書かれていました。 スーフィーの「白い本」を思い出しますね。 なにも書かれていない真っ白のままの本。The Books トールのこちらの本にはもちろん活字が印刷されてはいますが、 注釈したり、説明したりすることは無意味のような気がします。 すべてはひとつにつながって、 なにひとつわかたれていない、、、という感覚がさらに深く 言葉ではない沈黙の言葉を導きだします。 うん、うまくいえない。 いまや、全世界が、いえ、全宇宙が、、、 なにかみえない糸で紡がれる一枚の布 そんな感覚。 あるがままにただうけとめる、ということ、、、 そんなこと。 最終更新日時 May 27, 2006 0:35:40 PM
柳沢桂子さんの、新訳 般若心経を読んでいて 付属のDVDを観た。 参考HP 科学者であり、生命学者である筆者と、その闘病生活のうえでみつけた 「空」の境地。。。 本は美しい絵でちりばめられて、 見てるだけでもほっとする ![]() DVDを見ていて、すこしうごかされられるものがあった・ しかしながら、生命学者的な見解にいささか惑わされたり ふしぎな感覚だ。 苦も苦のままうけとめる 空をしれば、すべてのものはひとつだとわかる そんなこと、つらつらかんがえる。 最近のわたしには、富に「境界」というものがあいまいだ。。。 これは別に今にはじまったことではなく、 いつだって、境界などなく、あいまいだったのだが。。。 これでもなく、あれでもなく、それでもなく、、、、 というのと、 これもそうで、あれもそうで、それもそうだ、、、 ということに、わたしのなかではさほどの違いがない。 映像のなかで、柳沢さんが、 あの雨の激しくふる中で、樹が雨に溶けてひとつになっていたとき、 この宇宙はすべて粒子でできていて、ああ、ひとつ、みな同じなのだ、と 実感した、と語っていた。 そう、 そんな感覚、 そうなのだ。 夕暮れの散歩道、 ちいさな黄色い野の花を見る。 朝焼けの美しい湖岸のほとりに 白くちいさな花を見る。 コンクリートジャングルの乾いたアスファルトに ピンクの美しい花を見る。 その花の名前はなんという? それらはすべて人間がつけた単なる名前だ。 もし、その花々に共感共鳴するのなら、 名も無く 実体もなく わかたれてもいない。 それはそのまま私であり、 私でないものだと、、、 誰が知る 知る人もいなければ 知られるものもない さらさらと さらさらとながれるもの 自我を削る そこにただよう あるがままで。 最終更新日時 May 26, 2006 9:08:54 PM
愛する人はだれですか というある詩の紹介がまわってきました。 とてもいいお話しなのでこちらにもリンクを貼って見ました。 こういうバトンなら、いいですね。 心を伝える事や、想いを表現することって、案外うまくできないものです。 でも、ただ一言でもいい。 想いを伝える事、大事なことだな、と思います。 友人や、家族や、恩師、その他、ただの通りすがりの見知らぬ人であっても、 伝えたい気持ち、素直な気持ちは伝えていきたいものだなぁ、と思います。 愛する人はだれですか、 大切な人はだれでしょう。 なんだか大切なことを教えてもらったようなきがします。 どうもありがとぅ。 *・゜゚・*:.。..。.:*・*:゚・*:.。. .。.:*・゜゚・**・゜゚・*:.。..。.:*・*:゚・*:.。 ある詩 通りをへだてた、すぐそこに友達が居る この果てしなく広い大都会では、一日はあっという間で、毎週は駆け足で通り過ぎ、気が付けば一年が過ぎ去っている。 すぐそばに居る、昔の友と合うことのないうちに、人生はこのひどい競争社会のなかで飛ぶように過ぎ行く 彼は、私がよく電話していた頃と変わらず、彼のことを気にかけていることを知っているだろう 私たちがまだ若かった頃、彼も私によく電話をしてきたものだ そして今、私たちは忙しく、疲れきった、ただの男だ おろかなゲームを続けるのには疲れたよ 名声を得ることにもうんざりだ 僕は言う“明日!そうだ!ジムに、僕が彼のことを気にかけていると伝えるために電話しよう!” しかし、明日が来て、明日が去り そして、僕たちの距離はどんどん開いていくばかり 彼は角を曲がればすぐそこにいるけれど、実際は何マイルも離れているようだ “電報ですよ”“ジムさんは今日お亡くなりになりました” そして、それが私たちが最後に直面する結果なのだ すぐそこの街角に居たはずの友達は、今はもう消えてしまった・・・ いつも、あなたの心にあることを伝えてください もし、あなたが誰かを愛しているのなら、その人に伝えてください 自分の想いを伝えることに臆病にならないで 手を伸ばして、あなたの大切な人に、あなたにとって彼らがどれほど大切か伝えてください なぜなら、あなたがそうしようと決心したときには、もう遅すぎるかもしれないから 一日が終わるときに、後悔のないように そして一番大切なことは、家族や友達を大切にして、彼らの日常に関わってください 彼らこそが、あなたが今のあなたになるために、存在して貢献してくれた人達なのだから 最終更新日時 May 25, 2006 2:13:59 PM
ラビア・アル・アダビアは言う。 愛するものと愛されるものには一切の隔たりはなく・・・・ ![]() わが師(メブラーナ)ジェラールッディンルーミーは言う、 それは、すべて私だ。 キリスト教徒、無神論者、偶像崇拝者、学問の徒 すべての善と悪と、天と地と、 それらが抱くすべてのもの、 それは、私だ、と。 観るものと観られるものにも一切の隔たりはなく、 そこにはなんの違いもないのだろう。 スーフィーはすべてを包括し、なおかつ超越する。 そこに一切の我が入り込む余地などなく、 瞬時にそれと同化し、消滅する。 と、同時にそれを認めるもの、識別するもの、観察者が同席し、 そしてその観察者も入り込む余地などないほどに、 一瞬にして、その対象物から消滅する。 まさに、真我のみがそこに存在し、我の入り込む余地など認めないのであろう。 ![]() あなたは白い薔薇を見て、我を忘れるほどに見つめたことはないだろうか、 そのたぐい稀なあまりの美しさに一瞬我を忘れ、 白薔薇と共にあり、白薔薇そのものになる、 そこに一切の隔たりはなく、なおかつ、我欲を越えている、 白薔薇は自分そのものであり、自分は白薔薇そのものである、 まさに、観るものは観られるものである、とでもいうように。 だが、スーフィーはその特異の修練によって、通常の意識を毎瞬一定のレベルに導くように習慣付けられる、そうした時に初めて、すべてのものが同一であり、また超越し、消滅する、という境地を体得するのである。 それもこれも、否、そして私である、と。 (それもこれも私である、そして否、を同時に含む) すべての愛するもの、それはスーフィーである。 *・゜゚・*:.。..。.:*・*:゚・*:.。. .。.:*・゜゚・**・゜゚・*:.。..。.:*・*:゚・*:.。 今や、探求者は、霊的な体験のわかりにくさを垣間見ている。 もし、彼が、創造的な活動家ならば、 彼は時折不意にインスピレーションが心に浮かんでくるような段階に入っている。 もし、恍惚的体験への傾向がある人ならば、 意味に満ち、喜びに溢れた完全感が、間欠的に起こり、 またそれを自分では制御できないことに、自ら気づくだろう。 秘密は自己防衛するのである。 つまり、「あなたの想いのままに霊性に注意を集中しなさい。 もし、あなたがそれに値しない者ならば、、霊性はあなたを避けるでしょう。 それについて書きなさい。それを自慢しなさい。それについて注釈しなさい。 そうすれば霊性は、あなたに利益をもたらすことを拒絶するでしょう。 それはたちまち消えてなくなるでしょう。 しかし、もし霊性があなたの集中力に眼を止めるならば、 それは、よく馴れた鳥のように、あなたの手元にやってくるかもしれません。 孔雀と同じように、それは価値のない場所には止まろうとはしないものです。」 ![]() こうした発展段階を経て始めて、スーフィーは道についての何がしかを他者に向かって伝達できるようになる。もし、それ以前に行おうとすれば、「それはたちまち消えてなくなる」だろう。 ここでもまた極端なものの間の絶妙なバランスは、必要不可欠である。 さもないと、すべての努力は、水泡に帰してしまうかもしれない。 あなたの心というネットは、極めて傷つきやすい、とルーミーは言う。 それは、その獲物を上手に捕らえるように調整されていなければならない。 もし、不幸があれば、そのネットは破れる。 もし、ネットが破れていれば、それは役に立たないであろう。 あまりに大きな愛は、激しい対立と同じように、ネットを傷つけてしまう。 「そのどちらも行ってはならない」 ルーミーは言う。 「もし、ある人が、隅々まで智恵に満たされていて、無知なところが全くないならば、 彼はそれによって破壊されてしまうだろう。 したがって無知は、賞賛に値する。 というのもそれは、存続を意味しているからである。 夜と昼が互いに補完し合っているように、この交替という意味で、 無知は智恵の協力者である。」 *The Sufis 著 イドリスシャー より一部を抜粋 *・゜゚・*:.。..。.:*・*:゚・*:.。. .。.:*・゜゚・**・゜゚・*:.。..。.:*・*:゚・*:.。 すべての二元的対立は、それによって得られうる恩恵のためにある。 対立するものは、同時に補完するものであって、敵ではないのであろう。 スーフィー的に言うのなら、それはすべて我が内に内包されるものである、と。 ただ一度でも、なにかに魅せられ没頭したことがあるなら、 あなたはスーフィーである。 ただ一度でも、だれかを深く愛したことがあるならば、 あなたはスーフィーである。 しかし、スーフィーがスーフィーたるためには、研ぎ澄まされた修練の賜ものである、 知覚の扉を叩かなければならない。 知覚の扉は研ぎ澄まされ、徐々に神秘の階梯を進む。 その時、観るものは観られるものであり、 観られるものは観るものだと知るだろう。 ![]() ああ、そして朝がやってくる。 その朝は、いままでのどんな朝とも違う、 まったく新しい朝だ。 最終更新日時 Apr 17, 2006 05:51:27 AM
Osho講話を聴いていた。 その中で、このワンフレーズが耳にとまった。 「Jesas says , Come and Follow me,,,but buddha says, Come and see...」 [ジーザスは言った、おいで、そして私についてきなさい。 だが、ブッダはこう言った、おいで、そして 観なさい。」 ![]() ああ、そうだな。 その二つは、明らかに、ちがう。 ブッダの言った言葉のほうが、もっと実際的だ。 突き放した感はあるが、 "来て、そして 観ろ、" と、ただそれだけの言葉には力がある。 もし、これが、スーフィーだったら、一体なんと言ったのだろう、と ふとその時、思った。 私なりに、思い出したのは、、、 間違っているかもしれないが、 もしかしたら、Come, and be かな、、、 それとも、、、?? と、思っていた。 いろいろ思い浮かんだけど、やはり、真っ先におもうのは、 Come and be. おいで、そして、在れ、もしくは、為れ。 スーフィは皆一様に、それと同化しそして一瞬にして消滅する。 アラビックでいえば、KUN だ。(BE) 同化といっても、ありきたりの同化とはわけが違う。 なににも隔たれていない、分かたれていない、という意味での同化だ。 汝まさに鏡のごとし、というわけである。 クン(Be)、というマントラの強烈さは、 体験してみると実感できるだろう、と思う。 一晩中、クン、クン、クン、クン、、、クン、、、と唱える。 すぐさま、消滅さながら、なにかに消え行く感覚がやってくるだろう。 そして、それとともに力強い、Willness, 選択することの自由を知るだろう。 スーフィーは分かたれていない。 すべてがそのひとつに、含まれるのだ。 なんでもかんでも、それもそれ、これもこれ、とひとつに統合する。 ん、ん、、、うまくいえないけど。 そんなことを思いおこしていると、おなかが鳴った。 ああ、そういえば、なにも食べていない。 断食していた時の記憶がやってきた。 病気をわずらっていたとき、断食を10日間したことがある。 とは、いっても、重湯とお茶と梅干を取っていた。 半断食法である。 あの時に感じた、あのすばらしい感覚は、 いままでのどんな修練ともちがう、特異な感覚だった。 お酒を飲んでハイ!になっている時とも、 何かに撞かれて感情がハイ!になってる時の、どんな感覚ともちがう。 お酒やダンスに酔いしれてるときの、熱狂的な感覚では、それはまるで内側のなにかが一杯で溢れだし、乱舞したくなるようなエナジーだけれども、 断食の時の感じは、ちがうのだ、そう、まるで、何かがTOPからひっぱりだされるように、限りなくクリアーで、そして広大な感覚。 まるで、ほとんど宇宙と交信できそうなほどだ。 研ぎ澄まされていて、ツン、としている。 鮮明で、かぎりなく透明な、ふしぎな感覚だった。 スーフィーの修行僧は、月に何度か、本格的な断食をする。 独房に入って、マントラを日がな一日中唱えて、そして、祈る。 そして、旋回する。 回り続けるその姿には恍惚とした、笑みがたずさわるのは、 そのあまりの美しさにあらがうことができないからだ。 Come, And be... そんな単語がやはりぴたりと、くるような、 なんだか、やっぱり、そんな風におもう。 ![]() Be という単語も、西洋的解釈で理解すれば、 たちまち、堕落するものなんだけれども。 あるがまま。 ひとつ、 ただ、在る。 どんな風に言葉にすることが、できるものだろうか。 人は、ゆっくり、ゆっくりと、知覚の扉を研ぎ澄ましていく。。。 カラスはかぁ、かぁ、 雀はちう、ちう。 それはそうなのだ、と知るのだろう。 ![]() 寓話 『文法学者とダービッシュ』 ある夜のこと、ダービッシュが道を歩いていると、井戸の中から助けを求める声が聞えてきた。 「どうしたんだ?」 とダービッシュは井戸の底に向かって叫んだ。 「私は文法学者なのですが、このあたりの道をよく知らなかったので、不運にもこの深い井戸の中に落ちてしまい、まったく身動きができないのです」 「はしごと縄を取ってくるから、’それ’に掴むんだ」 とダービッシュは言った。 「ちょっと待ってくれ!」 と文法学者は言った。 「あなたの言葉使いは間違っている。もう一度、正確に喋ってくれ」 「言葉使いが命よりも大切なら、俺が正確に話せるようになるまで、そこに居続けるがいい」 そう言って、ダービッシュは去って行った。 ![]() 最終更新日時 Mar 29, 2006 02:20:06 AM
内側の世界 「内側の世界はいつもすばらしく平安で、どんな外側の世界より美しい」 と、言った。 あの当時は、そんな彼にいぢわるばかりしてたのを 思い出した。w そんなわけない、内側は雑念と欲望ばかりが渦巻いてるんじゃないのっっ と、ジャマばかりしてた。w そんな外側の一部でもあった私のような、こうるさい存在がいても かわりなく、美しい、静かなる平安、沈黙が、保たれるのなら、 それは、なんと、すごいことだ。 残念ながら、 今の私はそういった、雑多な外側の世界が、人より多少、少ない。 なので、いったって平安なのであるが、 それでも、訪れる波のような感情の起伏は、いまだあるもの。 で、 こんな小春日和、とりたてて、雑多な外側とは一線を画してあれる スペースがあることが、なにより、である。 内側のスペースは、いつでも、なんてうつくしい。 ああ、今頃そんなこというなんて、ほんとごめんね。 そういいながら、 となりの壁から声がする。 「なんだって、そんなに世界はいろいろなものに分かたれたんだろー?」 ってさ。 宗派、分派について考える。 でも、鳥は たんに 鳴いてるだけ。 ![]() 木蓮も満開で いまにもこぼれそうだ。 最終更新日時 Mar 28, 2006 02:45:17 AM
動画でみる、もし世界が100人の村だったら お友達の日記でみました。 絵本もいいけど、動画でもいいです。 ぜひ、皆さんにもみてもらったらいいな、と思いマス。 じゃあ、またね。 最終更新日時 Mar 18, 2006 00:52:55 AM |一覧| |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Powered By
|