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自然堂~幕末史蹟訪問~

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2008年11月09日
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カテゴリ:鹿児島
薩軍本營跡.jpg2008.10.11

明治十年戰役薩軍本營跡
 大正十二年三月十日 鹿兒島市


お昼だ「ドーン!」 -城山に舞い散る紙吹雪-
「ドンが鳴った、ヒィ(昼)がなった、メス(飯)食ぶろ」と大正時代を鹿児島で生きた人は囃すそうです。「ドン」とは明治30年以来、正午の時報がわりに撃たれた空砲の音のこと。当時は市役所の職員が時計とにらめっこしながら、正午キッカリに点火、その瞬間「ドーン」という轟音とともに、紙の弾が破裂、あたり一面に紙吹雪が舞い散りました。ドンが撃たれたことから「城山ドン広場」と呼ばれた。この一帯は、島津氏入府以前の豪族、上山氏の城(砦)のあった場所で、周辺の土塁が、今もその名残をとどめています。さて午砲ドンは、昭和12年、市役所のサイレン時報にその役目を奪われましたが、終戦後「サイレンを聞く度に、空襲警報を思い出しゾッとする。やめてほしい」という声が相次ぎ、サイレン時報の中止が決まると、今度はお午のドンの復活を望む声が殺到したということです。鹿児島市観光課


城山は鹿児島市街地にせり出した高さ107メートルの丘。姶良カルデラの外輪山の一部とされ、そのほとんどが火山噴出物のシラスからできています。高さ数千メートルにも達する噴煙を上げる桜島を真正面に、晴れた日は南に開聞岳、北に霧島連山がそびえ、鹿児島市街地、錦江湾を一望する雄大な眺めは、鹿児島第一の展望と称えられています。城山といえば西郷さんと言われるほど西南戦争の激戦地としての印象が強い城山。明治維新の英雄・西郷隆盛をはじめ桐野利秋、別府晋介ら多くの薩軍将兵が壮烈な最期を遂げた1877年(明治10)の出来事は、あまりにも有名な歴史の一こまとして語りつがれています。更に歴史をたどると、中世南北朝時代に上山氏がこの山に城を築き、以来島津氏の治世になっても山城として守備にあたったことが、ドン広場の土塁や空濠跡からうかがえます。城山のもう一つの魅力は、全山を覆う珍しい植物群です。この展望台に至る遊歩道は、照国神社横と岩崎谷の2つの入口から、国の天然記念物に指定された自然の森へ分け入ります。樹齢400年にもなる巨大な楠の群落、シロヤマシダ、シロヤマゼンマイと城山の名を冠した暖地性シダや亜熱帯植物など約500種もの植物が生い茂り、たくさんの野鳥や珍しい昆虫も生息しています。


明治23年、鹿兒島市最初の公園として開設されました。公園面積は展望台(高さ107m)から東側斜面を含む15.6haです。緑豊かな遊歩道や雄大な桜島、美しい錦江湾、市街地を望める展望台、林間で遊べるドン広場、鶴丸城の二の丸庭園であった探勝園などがあります。この「城山」は14世紀(南北朝時代)豪族上山氏の山城の跡で、明治10年西南戦争の最後の激戦地となったところです。また、樹齢約400年にもなるクスの大木など常緑広葉樹やシロヤマシダ、シロヤマゼンマイなどのシダ類等、約600種余りの植物が密生しています。市街地にあって南九州特有の照葉樹林を保ち、数多くの野鳥や昆虫が生息する自然の宝庫です。このため、約10.9haが昭和6年6月「史跡・天然記念物」として国の文化財指定を受けています。

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城山ドン広場の奥に、ひっそりと建つ





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最終更新日  2009年08月26日 07時24分19秒
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