細かい説明が必要な人と論理的な思考力
最近は論理的な思考力の勧めが目に入ります。確かに論理的思考力は、子どもにも付けたい能力でも有ります。 これは赤毛のアンのエピソードでよく分かります。 誤解から仲を裂かれたダイアナの悲鳴を聞き、喉頭炎にかかった赤ちゃんを間一髪のところで助けるアン。何人もの子どものお守りをしてきたから咄嗟に判断できた処置でした。 しかし処置の途中でアンは感じています。 「お湯を沸かして蒸気を出すくらい、誰でも考えればできることでしょう」何でみんなはそんなことも気づかないのか?友達たちの想像力の欠如をそんな風に思い浮かべましたが、それをなじらず指示を続けました。細かい動作の隅々まで指示されないと動けない人とアンの違い。 大人でも助けられなかっただろうという状況の中、現実を検討する能力や判断力と処置をみた医者が言いました。「とても思考力があって、あの子は恐ろしいほど頭がいい」と。 不幸な生い立ちからの体験が役立っていることも一理ありますが、いつも想像力を発揮しているからこそ間一髪に処置の方法に繋がった頭。 最近、とっても細かいところまで指示語や言葉を出さないと分からない、何かの理論を持ち出さないと理解しようとしない、そんな大人が多いのが気になります。 本で言えば行間を読もうとしない。考えようとする人が少ない。 数学のような論理的な展開を求めるような話をよく聞きますが、殆どは離乳食が必要な幼児のごとく、大人の会話がまだまだ無理で、 自分に感性が育っていないこともあるかもしれません。 アンのように目いっぱい苦労もしていないし、相手の要求に添うしかない生活なんてしていないからでしょうか、満たされすぎの怖さと、満たされすぎでは磨きにくい能力があることを実感する毎日です。 「人生、無駄な経験はない」という言葉を思い出し、様々な試練も学びの瞬間と捉えたいと思います。 輝くあなたの種を蒔くコーチング SERERE 共育力×脳力×親子力=答えhttp://blog.livedoor.jp/ciie/ 答えは 9月23日(日)共育コーチング研究会第5回研究大会にあり