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カテゴリ:世界史リブレット
インドのムガル帝国について始まりをバーブルで、終わりをインド大反乱一八五七年で読んだら欲が出て通史が読みたくなった。
そこでこの『ムガル帝国時代のインド社会』を入手。タージ・マハルが表紙のド直球勝負(笑)。 通史なので当然前掲二書と被っている部分あり。 なじみのあまりない地域なので序章「インド世界の形成」と第1章「中世世界からムガル帝国の確立」で地理的な”インド”の定義と前史を解説。第1章の前半ではラージプートとイスラームの伝播が重要かと。 後半ではムスリム勢力による西北地方のデリー・スルタン朝とそれ以外(?)がバーブル進出以前の状況と思っていれば間違いないのかな。バーブルの後継者フマーユーンも一時インドを追われ、ペルシアの援助で復帰。彼の幼少の息子アクバルは重臣バイラム・ハーンによって支配体制を整える。1570年代終わりまでにはアクバルはラージプート諸王国に至上権を認めさせる。ただし、メーワール王国というところだけは屈せず(グッとくるね)。とはいえラージプートとの関係強化により大幅にパワーアップ。アクバル時代、中央集権化が試みられるが、17世紀までベンガル等の領主層は素直にしたがわず。 第2章「ムガル帝国の支配機構」 基本はイスラーム法で統治する建前だが、実際に異教徒はそれで裁かれたわけでは無い。また独自の官僚制マンサブダーリー制が制定。10位から5000位の位階と聞いて気が遠くなる。位階によってジャーギール地が与えらえるが、現地には赴かず徴税代理人によって収入をえると。但し貴族はこれまたこの限りでないと。構成民族も様々。 第4代ジャーハンギール、第5代シャー・ジャーハン、第6代アウラングゼーブと帝国自体は拡大するが、跡目争いは避けられず。 この間様々な面で中央集権化が進められるが、必ずしもうまくいかず。 アウラングゼーブの頃までにはインド南部の王国まで領域を広げた。だが中央アジアとイランに対しては一進一退以上の結果を残していない。またこの裏で、帝国衰退の種は播かれていた。 第3章「ムガル時代の経済発展と首都建設」 当時の農工商業の状態とデリー(以外に狭い)について。そして進出してくるヨーロッパ東インド会社。 第4章「ムガル時代の社会と文化」 絢爛豪華な建築とあの細密画。イスラーム、ヒンディーの発展。シク教の成立。帝国はアクバル以降、宗教的には寛容だった。しかしイスラーム暦1000年(1591年:シャー・ジャーハンの時代)頃から、イスラーム思想の復古思想が高まっていき。そしてシャー・ジャーハンの後継者争いに勝利したのはこの流れに乗ったアウラングゼーブだった。ただし、これが彼が正統派に凝り固まったことを意味するわけでは無いと。 第5章「ムガル時代の衰退」 アウラングゼーブ時代ヒンドゥー、シク教徒が反乱。デカン西部のマラーター勢力が帝国に大打撃を与えた。ラージプートとの関係も悪化。相次ぐ遠征で財政は悪化し、アウラングゼーブ以降の皇帝が短命な者が多く、体制は混乱。まさに内憂外患。18世紀半ばには事実上デリー周辺の小勢力になっていた。 そしてヨーロッパ勢力の競争を勝ち抜いたイギリスによってとどめをさされると。 なじみがない上に、地名も人名も長いのが多かったが、読み終えるとそれなりムガル帝国の概要は掴めた気になるから不思議。ただし系図はつけて欲しかった。 【楽天ブックスならいつでも送料無料】ムガル帝国時代のインド社会 [ 小名康之 ] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.05.25 00:32:44
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