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2011.07.09
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人間は毎日何を経験しているのでしょうか

人間は毎日、新しい命を経験しています。ところが、新しい命を経験していながら、自分の気持ちが古い経験に基づいているのです。今日は、今日という新しい命なのです。人間は今日の命を経験していながら、昨日の意識で生きているのです。これが間違っています。
 魂の目を開くのです。魂とは、人が肉体的に生きている状態です。肉体的に生きているというコンディションが魂です。コンディションということが、現在の唯物主義、物質主義の感覚では分からないのです。
 現在、自分でコンディションを経験していながら、分からない。状態が、本当の生、聖書で言うと、霊なのです。これは、霊友会とか霊法会等で言う霊とは違います。日本人が考えている先祖代々の霊とも違います。
 本当の霊とは、太陽が輝いていること、地球が自転、公転していること、人の心臓が動いていることです。この霊を命の基準にすることです。そうすると、生が分かるのです。生きるということは、霊の働きです。肉体が生きていること、肉体的に精神が作用していること、肉体的に五官の働きとして生きていることが、魂です。この魂の目を開くと、永遠の命が分かってくるのです。
 花を見ると美しいことが、誰にも分かります。花を見て美しいと思えることが、魂の命になっているのです。美しいということが、キリストの命の反映になっているのです。だから人は、自分の行いとか身なりを、美しく見せようという気持ちが、本能的にあるのです。本当の正しさは、美しさと大きな関係があるのです。
 俗に、初物を食べれば、七十五日命が伸びると言います。旬の初物を食べると、おいしいと思う。おいしいと舌で感じることは、その人の魂の未来の命に、大きい係わりがあるのです。七十五日命が伸びるのではありませんが、おいしいとか、美しいとか、気持ちがいい、楽しい、うれしいと感じることが、そのまま、永遠の命の入口になるのです。
 ところが、今の文明は、欲望を果たすことばかりしている。欲望による満足を果たそうとすることは、逆に、自分の魂を殺すことになるのです。魂を殺す生き方と、魂を生かす生き方とがあるのです。実は、魂を生かすことが本当の学なのです。養魂ことです。簡単なことです。これをイエスは教えているのです。そうしてキリストになったのです。
 キリストとは、世界全体を完成する責任者のことです。物理的にも心理的にも完成する責任者です。地球存在が、キリストのテストケースなのです。
 魂とは、生まれながらの命です。甘いものを甘いと感じ、辛いいものを辛いと感じるのが魂です。
 この目を開くのです。魂の目を開かないと、生きていても命の値打ちがさっぱり分かりません。
 欲望的に生きることをやめて、自分の本心が何を求めているか、いつわらない本心が何をねらっているかを考えるのです。
 自分の本心は、おいしいものを食べたいと思っている。だから、人においしいものを食べさせてあげるのです。そうすると、自分がおいしいものを食べたと同じ効果があるのです。善事善行とは、自分が好きなことを人にしてあげればいいのです。これが、その人に、とこしえの命の香りを与えることになるのです。
 人は生まれながらにして、とこしえの命を持っているのです。常識にごまかされて、分からなくなっているだけのことです。だから世間の常識を信じないで、本心、本願を信じるのです。そうしますと、とこしえの命を見つけることができるのです。
 魂の目を開くとはそのことなのです。生まれながらの五官が、肉体的に生きていることが魂ですから、目を開くというのは、世間の常識に引きずられないことです。世間の常識は死の理屈ばかりです。それではなくて、自分の本心の願い、本心の気持ちにできるだけ順応しようと思うのです。
 おいしいものを食べて、おいしいと思う気持ちは、生まれる前の気持ちです。これは魂が感心しているのです。人間とは違うのです。魂の生活がそこにあるのです。それをつかまえるのです。そうすると、自分の魂の目が開くと同時に、他人の魂の目を聞かせてあげることもできるのです。
 この世で見ること、聞くことは、皆食物です。女性は男の食べ物です。逆に、男は女性の食べ物なのです。食べることによって、一つになってしまうのです。これが恋愛というものです。
 物の味とは、霊魂の命を知る初歩的なもので、魂の悟りとはこういうことなのです。人間は毎日、こういうことを経験しているのです。




ユダヤ人はどのように考え違いをしているのでしょうか

ユダヤ人問題は、現代文明の中心テーマでありまして、これが分かる人は、日本では非常に少ないのです。日本は文明国の中で、一番遅れていた国であって、日本がようやく世界の仲間入りをしたのは、日露戦争が終わってからなのです。それまで、日本は、ほとんど、白人社会の中では、問題にされていなかったのです。今でも、ヨーロッパでは、経済的問題をのぞくと、日本をあまり重要視していないようです。 日本の歴史が、非常にたち遅れていたこと、又日本が地理的に、東のはてに位置していたことによって、外国の影響を受けることが少なかったので、ユダヤ人についての見解が、非常に狭かったのです。
 ユダヤ人は、現代文明をリードしている民族です。現代文明を承認して、讃美するような立場で考えますと、ユダヤ人ほど傑出した民族は、他にいません。現世で、一番すばらしいのが、ユダヤ人です。ところが、聖書的に見ますと、一番悪いのです。
 現世をひきずり回しているのが、ユダヤ人なのです。現世をひきずり回していることが、人類に、永遠の命の理想を示していないことなのです。つまり、現世に生きていることだけが、人間のすべてだと思わせているのです。
 この世で王国を造ることが、ユダヤ人のねらいです。この世で生きていることだけで考えますと、ユダヤ人ほど立派な民族はいないのです。日本人など問題にならないのです。
  イエス・キリストは、ユダヤ人です。世界歴史の流れで、良い意味で特筆大書されているのは、ほとんどユダヤ人です。又、一番悪いのも、ユダヤ人です。
 どう悪いかといいますと、生活主義、肉欲主義、欲望主義をまきちらしているのです。これが、現世のユダヤ人の特徴です。これは、一種の陰謀であって、そうすることによって、彼ら自身が儲けなければならないから、しているだけのことなのです。
 私は、ユダヤ人に反省をうながすことが目的で、この本を書いているのです。ユダヤ人さえ良くなれば、世界は良くなるにきまっています。
 ユダヤ人が、祖先のような状態に返れば、世界は長くなるにきまっています。世界は、驚くべき平和な状態になります。ユダヤ人が一番大切な民族であるから、私はユダヤ人をぼろくそに言うのです。
 ダヤ人に反省をうながすことが、全世界に平和をきたらせる、唯一無二の方法なのです。日本が、いくら経済的に有力な国になった所で、とてもユダヤ人のまねはできないのです。
 ユダヤ主義は、現世に生きている人間の欲望主義であって、ユダヤ人は現世的にはすばらしく傑出した、大民族です。ところが、人間は、命が中心であって、現世の生活が中心ではないのです。人間の本質は魂ですが、それを、生活が中心であるように言いふらして、その方向へ世界全体をひきずっていったのは、ユダヤ人なのです。ユダヤ人の考え方が悪いために、全世界が物質文明にひきずり回されているのです。
 この物質文明は、やがて、大混乱をきたらすにきまっているのです。要するに、人間は、般若ハラミタをすること、彼岸へわたることが、目的なのです。現世で生活することが、目的ではありません。日本も、経済大国になることが目的であってはいけないのです。
 日本には、二通りの種族があるといえます。天皇の一族から分かれた一族と、日本に土着していた一族です。
 ユダヤ人も、現世主義のユダヤ人と、神の国の実現をねらっているユダヤ人と、両方あります。ユダヤ人がねらっている神の国とは、全世界の完全な平和を意味するのです。戦争をなくすことだけではだめなのです。ただ、核兵器をなくせばよいというのは、非常に安直な考えで、戦争はなくなっても、人間の中にある泥棒根性は、なくならないのです。本当の平和は決して実現しませいるのです。刑務所が繁盛するようでは、本当の平和とはいえないのです。やくざがいるようでは、本当の平和とはいえないのです。
 本当の平和とは、神の国を実現することなのです。最も優秀なユダヤ人が、それをねらっていることが分かるのです。ところが、今のユダヤ社会の中で、それをいうユダヤ人は、ほとんどいないのです。
 ユダヤ人は話せば分かる民族です。般若ハラミタの本当の意味が、分かる民族なのです。日本人は、般若心経を読んでいますが、その意味が本当に分かって、生活で実践している人は、めったにいないのです。文字の意味さえも、充分に分からない状態になっています。ところがユダヤ人は、命のルーツが分かるのです。
 ユダヤ人は、決して悪い民族ではないのです。現在の物の考え方が悪いのです。ドイツのヒットラーによって、六百万人のユダヤ人が惨殺されました。ところが、この大事件が、世界で問題にされていないのです。一人や二人の人間を殺しても問題になるのに、六百万人の人間が殺されていながら、いっこうに問題にされていない。これはどういうことなのか。ここに、ユダヤ人問題の秘密があるのです。
 ユダヤ人は、骨身にしみて残念無念だと思っていますけれど、世界でそれを追及しょうという空気はありません。ユダヤ人社会だけで文句を言っているのです。なぜそんなことになっているのか。これを、日本人は、ほとんど知らないのです。
 要するに、ユダヤ人さえまともになれば、アブラハムの思想に立ち返れば、世界は、見事に立ち直るのです。人間の考え方のどん底が、すっかり変わってしまうこと、神の国を実現することが、本当の平和なのです。これは、ユダヤ人でなければ、実行できないのです。
 だから、ユダヤ人問題は、大した問題なのです。世界が腐っている原因は、ユダヤ人です。しかし、全世界を腐らせているユダヤ人が、まともな根性に立ち返れば、世界に完全な平和が実現するのです。
 一人の人間を立ち直らせようとしたら、歴史全体を立ち直らせるような方法がいるのです。だから、宗教ではだめなのです。宗教では、これができないからです。
 一人の人間は、全世界の人間の命と、同じ意味があるのです。同じ値うちがあるのです。65億の人間と、一人の人間とは、本質的には同じものなのです。だから、魂が、本当に、命を見つけるためには、全世界の歴史の流れの中心をつかまえなければ、だめなのです。
 全世界を良くするのでなかったら、一人の人の魂を、本当によくすることはできません。人間一人を広げると、世界全体の歴史になるのです。世界全体の歴史をしぼると、一人の人間になるのです。一人と全体は、同じなのです。ユダヤ人問題が分からなければ、実は、本当の般若ハラミタもできないのです。






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Last updated  2011.07.09 08:52:50
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