2007778 ランダム
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今日も元気で

今日も元気で

▼ ステロイド離脱に関して




    ▼ 恐怖の、いわゆるリバウンド。(泣)




      生来の肌の弱さから、今でいうアトピー症状で、
      母は、幼い私を抱えて途方にくれていた。


      あそこの皮膚科が良い、と聞けば、何時間掛かってもそこへ私を連れていき、
      ここの皮膚科が良い、と聞けば、また何時間かけてもそこへ私を連れて行く。


      幼稚園までは包帯だらけの私であったが、
      お蔭で幼稚園から大学までは、カサカサ体質、何にでもカブレやすい、
      汗疹や蚊に刺されると腫れあがり、時には膿んでしまう、
      台所用洗剤などが使えない、という程度で過ごせて来た。


      常にハンドクリームを塗っていなければ、
      指先からすぐにひび割れてきて、関節部分がぱっくりと口を開けてしまう。


      皮膚科から処方される塗り薬を片時も手放せず、異常を感じれば、
      すぐに塗っていた。 それを怠ると重篤な湿疹状態となり、
      膿んで、じくじくリンパ液がたれるという、悲惨な状態になるからである。
      ( ここで、それは何故か、と気付かねばならなかった! )


      要は、水仕事等を一切せず、ハンドクリーム( 保護剤 )をすりこみ、
      「 お姫さま 」でいれば、私の肌は安泰だった。


           ◆   ◆   ◆


      しかし、結婚してから、そうは行かなくなった。

      台所用のゴム手袋やビニル手袋にもかぶれてしまうので、
      いつも綿100%の手袋をしてから、ゴム手袋をはめる。

      洗物はそれで良い、としても、料理を作るときにはそんな訳にいかない。

      野菜ものを洗い、ゆでこぼし、切ってお浸しにするだけでも手が腫れあがる。
      魚のシゴ、エビ殻のシゴ、、、1週間は腫れが引かない。

      台ふきを濯ぎ、テーブルを拭くにも、綿手袋+ビニール手袋。
      「 いいや、これくらい 」と素手でしようものなら、
      2時間後くらいから、指の間に水泡ができて痒くなり、
      指先が割れ始め、関節部分に亀裂が入り始める。

      綿100%以外は身に纏えず、
      肌着類は、縫い代に負けるために裏返して着用する。
      ブラジャーは、Tシャツの上から着用する。
      ガードル、ストッキング、一切ダメ。


      一時が万時こんな風で、
      「 膠原病では? 」という診断もなかにはあったが、
      だいたいが、「 主婦湿疹 」 「 アトピー 」という診断。

      お医者さまの言われる通り、処方される皮膚科の薬をずっと塗り続けて来た。


      しかし、この薬は、症状を抑える薬であって、「治す」薬ではない。
      使えば、魔法のように効いてくれて、楽になるのであるが、
      常用すれば、段々と、段々と効かなくなってきて、
      どんどん強い薬になってくる。 そして、当然、副作用、がある。



      この地に来て、
      激しいストレスと、農作業が加わり、私の肌は荒れていった。

      皮膚科から処方される薬をネットで調べると、
      副腎皮質ホルモン(ステロイド)の最強クラスのものだった。


      噂では、これは怖い薬なのだ、と知っていた。
      でも背に腹をかえられず、使って来ていた。

       「 毎日、ではないから、いいよね 」
       「 少量だから、いいよね 」

      自分 「 が 」 コントロールすれば、イイのだ、と。
      ステロイドを「 上手に使いこな 」せれば、イイのだ、と。

      そう、自分自身に言い聞かせて。




      しかし、「最強」クラスのステロイドがあまり効かない、となれば、
      いったい私はどうなるのだ?


      愕然として、それからネットで随分と調べ、恐怖におののいた。
      自分で塗る回数を減らし、量を減らし、ワセリンを足して希釈した。

       「 毎日、ではないから、いいよね 」
       「 少量だから、いいよね 」


      呪文のように繰り返しながら。


         ◆   ◆   ◆


      2年前、夫の両親の介護生活突入と同時に、自分の通院どころではなくなり、
      義母の退院を機会にと、ステロイド離脱をはかった。
      実際、通院はおろか、自分に薬を塗布する時間もなかった。

      したらば、あっという間に「 リバウンド 」がやってくる。


      下半身中心に、皮膚がなくなり、赤身の出たゾンビ状態で、リンパ液まみれ。
      包帯ではどうにもならないため、
      少年たちのときに活躍したドビー織の布オムツを
      ガーゼがわりにあてて、テープで止める。

      特に 病院で、最強ステロイドを数ミリの厚さに塗り、
      ラップをし、その上から光線を数10分あてられた治療をした部分が酷い。

      布オムツが、すぐにぐっしょりと浸出液で重たいほどに湿り、
      日に何枚も取り替えるほど。

      身体は灼熱感に覆われ、痒く、痛い。
      熱も40度を超える。 ガタガタと震えが来る。


      ぞわぞわと全身の肉を蛆虫が這いまわり食いちぎっているような感触と、
      落雷のような、脳を突き破るような痒み。
      肉を抉り出し、骨に爪を突き立てて掻き毟りたい――。


 
       「 もう、殺して 」 転げまわりながら、泣く。



      真冬にアイスノンを2つ抱えて横になる。 布団から蒸気があがる。
      半年間、リンパ液と血液でドロドロ生活で、その後の半年は一進一退。


      1ヶ月単位で「良くなってる」感じに支えられ、
      シャンプーや石鹸とも縁を切り、
      塩浴・にがり・竹酢液療法で頑張って来た。



      そうして2年を経過し、
      肌身につけるものを綿100%にしておくことと、
      未だ、ドビー織りのオムツをあててショーツを履いておく以外は、
      ほぼ日常生活に戻っていたのだった。


      リンパ液の浸出が停まり、ドス黒い皮膚が何度も剥がれ、
      最後は、粉のような皮膚が動く度に剥がれ落ちる。

      私の歩いた後が、白い粉の道になるほどの量。


      それがやっと落ち着き、粗大ゴミの日に、
      リンパ液と血液でドロドロになった汚い布団を処分でき、
      ひとりで祝杯をあげてから1ヶ月半を経て。


           ◆   ◆   ◆


      日焼けの後が少し腫れ、痒くなっていた。
      汗疹のようになった手の甲を掻いたら。
      皮が ずるっと 剥ける。

      衝撃に身が竦み、あっという間に、首に、耳に、顔に。

         、、、、顔!!!

      ゾンビ状態で転げまわっていたときも、
      私がなんとか正気を保っていたのは、顔にだけは出なかったから。

      患部は、下半身中心に「隠れた」ところだったために、
      発熱と腫れが引いてからは、ガーゼや包帯代わりのドビー織のオムツを当てて、
      ミイラ状態でも外出できた。
      買い物にも出掛けられた。
      泊り込みの温泉治療にも出向くことができ、
      半年間休ませて貰った、PTAにも復帰することができた。




      ここへ来て、第2次リバウンド。 2年も経過していたのに。
      それも、ついに、顔。


      顔のダメージは大きく、

      前日に左目が腫れた上下瞼のため、潰れ、
      翌日は、右目も潰れて行く。。。。


      痒くて痛くて、つゆだく状態の顔では、一歩も外へ出られない。

      左手もパンパンに腫れあがって、指があまり動かない。

      右手でぽつぽつとキーボードを叩く。

                 

              、、、、そんな「 リバウンド 奮戦記 」




      ● 恐怖のリバウンド '05/07/04

      ● トンネルは長いけど、出口の光が見えてきた。 '05/07/14

      ● 第2次リバウンドって? '05/07/16

      ● お買い物のできる喜び '05/07/27

      ● 塩の効用( 塩浴のすすめ ) '05/10/26


      ● 起き上がれない! '07/07/23
          親の因果が?? 下の少年が肌の不調に沈む――





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