テーマ:40代の視点と日常(771)
カテゴリ:育児は育自~共に学び共に生きる~
ここのところ、ドタバタしてニュースも余り観ていなかった。 ひとつには、あの列車事故のその後を観るのが辛かったのもある。 だが、今朝、ニュース特集で列車事故の総括をしていたのを目にし、 やはりその悲惨さに涙が出た。 そして、昨日の私のブログの無神経さに思い至った。 あのニュースを毎日観てたら、 この時期に「 何も想い遺すことはない 」なんて、 傲岸不遜には書けないのではないか、と。 削除した方が良いかも知れない、、、と慌ててアクセスしたら、 皆さんのあたたかなコメントに救っていただいた。 いつもいつも有難うございます☆ 心から感謝しております。 で。 2通ほど、匿名の方よりメールが届いてたので、 こちらにお返事したいと思う。 2通ともに、要約すれば 「 想い遺すことがない、なんて、きれいごとにも程がある 」 というものである。 でも。 私は心底、そう思っている。 そしてそれはきれいごと、なんかではなく、 私の汚さ、醜さ、ズルさが、大いに介在している。 何故か。 自分のこころを深く深く覗いてみる。 理由は多々あるように思える。 1) 我が家の少年たちは、大学1年、高校1年となり、 いわゆる「 幼子 」ではなくなった。 下の少年は、まだまだ精神的に幼くはあるが。 少年たちは、とても幸運なことに いわゆる「 五体満足 」な身体に生まれついた。 そのことに感謝できるこころも持っている。 私は、彼らが支え合って生きて行けるであろう力を疑っていない。 2) 少年たちは「 男の子 」である。 これが「 娘 」であったなら、私はなんとしてでも生き抜いて、 娘の出産時には傍らにあり、励まし、出来うる限りのことをしてあげたい。 母が私にしてくれたように。 だが、私に授けられたのは「 少年たち 」であり、その心配は不要である。 むしろ、私のように、出産や授乳、育児、食について、 一家言を持ち、頑固でこだわりを持つ者は、 若い夫婦にとって邪魔、障害でしかないこと、火を観るより明らかである。 3) 19年前。 最愛の父を失い、近年は、相次いで大事な友人を失った。 以来ずっと、死と向き合ってきた。 一昨年は、夫の母が難病に罹患し、四肢麻痺という状態となって、 義母も私も毎日泣いていた。 同時期に夫の父のアルツハイマーの病状が進み、 日々人間が壊れていくさまをただ見つめるしかない毎日を過ごした。 私自身、介護生活のなかで自動的にステロイド離脱状態となり、 四肢がドロドロに溶け、腐っていくような状況に陥った。 布団から蒸気が噴き上げるような熱と痛みと痒みに、 発作的に死を選ぼうとしたことも何回かあった。 今現在も、綿100%のものしか着用できず、 下半身には、包帯代わりのドビー織のオムツを当てている。 その年の冬。乳癌と甲状腺癌の疑いで細胞診の段階まで行った。 このとき、性根を入れて、覚悟したように思う。 4) お蔭さまで、義母は奇跡的に回復し、リハビリの毎日。 義父も投薬が合ったと見え、進行がゆるやかになり、 義母の傍にあって小康状態を保っているが、これは時間の問題である。 また2年前の介護生活に突入していくのが、はっきりと分かっている。 5)「余所者」に厳しいこの地になんとか10年も在れたのは、 何より、地域のバレークラブに所属でき、良き仲間ができたからである。 毎年県大会優勝、全国大会出場を狙える高レベルのチームで、 共に汗を流し、笑い、泣き、励まし合って来た。 小中高大とバレーを続けてきた私が、 初めて自分がバレーを心から愛していると感じることのできた、 大好きで大切なチームである。 が、右膝の前十字靭帯損傷・再建手術により、復帰はほぼ不可能となった。 随分泣いたが、これも2年前に、とりあえず心の整理をつけた。 6) PTAでは7日の総会で一段落となり、現在燃え尽き症候群? 7) エンディングノートには記入を終えている。 こんなところかな。 なんだかんだと言いながら、 やはり私は4)から逃げたいのだ、ということが良く判った。 あのときの義母や義父の姿が目から離れない。 毎日毎日泣きながら、明日は我が身だと思った。 義母や義父の尊厳。 そして介護する側の私自身の尊厳。 私は、自分自身が病や怪我で寝たきりになることを1番恐れる。 私は、私が私でなくなってしまうこと、を1番恐れる。 とりあえず、そんなこんなで、今現在の私には「 想い遺すことはない 」。 あるとすれば、母より先に父のところへ逝ってしまうこと。(怒るだろうなぁ) 少年たちに伝えたいこと、語りたいことは、きりもないが、 大事なことは伝えてきたつもりでいるし、語って来ている。 エンディングノートに、ここのアドレスを書き足しておこうかな? ------ #追記) 大事なことを忘れていた。 ノー天気だと叱られても仕方がない。 私が居なくても、うちの家族は経済的に恐らく困らない。 これはきっと大きいことですよね。 所詮、恵まれた倖せものの、傲慢な戯言ではあるのです…。 私の知人のひとりは「障碍」を抱えるお子さんがおられ、 「私が死ぬ訳には行かない! 私がこの子を看取らねば!」と 泣き叫びつつ、病で逝ってしまった。 この知人を想う度、 自分が今生きて在ること、生かされて在ることの意味を想う。 全てのことに感謝し、自分のできること、しなくてはならぬこと。 しっかり向きあい、 いつもいつのときでも、 歩を前に進めて行こう、と想う私も、また私、である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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