テーマ:中学校って・・・(601)
カテゴリ:育児は育自~共に学び共に生きる~
昨日の日記 に書いた通り、 うちの少年たちは、カエル、クモ、昆虫類が大の苦手であった。 で、水田に囲まれるこの地は、当然の如くカエル天国である。 啓蟄を過ぎ、田んぼが耕され、水を張る頃になると、 カエルの声で眠れない。 そして夜も更けた頃、遠くの方で、 「んもーぅ、んもーぅ」というウシガエルの声がする。 昔は随分居たらしいが、ここ10年でも、めっきり聞かなくなってしまった。 この地への転居にあたり、心配のひとつはカエルだった。 昨日コメントいただいた、たかなさんのメッセージに、 『 カエルの大合唱のために中古住宅が大幅値下げしないと売れない 』とあった。 情けなくとも、我が子でもそうだった。 そういう時代なのである。 10年を経過し、さすがに少年たちもカエルには慣れ(慣れるしかない)、 先日、小さなアマガエルを手の上に乗せていた下の少年を見て驚いた。 かくも少年を取り巻く環境とは、凄いもの? 放っておいても子は育つ? ◆◆◆◆◆◆◆ さて、今春大学生となった上の少年が中学生時代、 彼が最も恐れていた、伝統のカエルの解剖のときを迎える。 うちの中学では、理科の時間に、必ずウシガエルの解剖を行っていた。 毎年、この解剖授業は、保護者をも巻き込んで多大なる悲喜劇を生むのである。 何故なら、子どもたちが解剖するウシガエルは、 解剖の日までに、子どもたちの各班で調達しないとならないからである! 田舎町故、昔は、何処にでも居たらしいのだが、 この地でも休耕田が増え、少しずつ「マチ化」していくにつれ、 さすがに近年は、めっきり数が減っている。 また、この町は、農業区ばかりではなく、 漁業区、商業区、山林区を抱えている。 そうそうウシガエルは入手できない。 夜中にウシガエルの鳴き声を聞き、だいたいのあたりをつけていても、 昼間に運良く遭遇できるかどうかは判らない。 子どもたちは、班でまとまって、 放課後・土日を駆使し、ウシガエル捕獲に駆けずり回る。 とはいえ、放課後・土日のクラブ、塾。 いまどきの子どもたちは忙しく、なかなか全員での行動はできない。 かくて、保護者をも巻き込み、当然の如く苦情も殺到し、 いつの頃からか、ウシガエル相当の大きさがあれば、 トノサマガエルでもOKということになった。 うちの上の少年も同様に、ウシガエル捕獲に毎日悩むこととなった。 最初の日は、班員全員が情報を持ち寄りって、 泥だらけの汗みずくで探し歩いたようだが、 そうそう見つかるはずもなく、翌日からは班長である上の少年ひとり。 半ベソをかきつつ、毎日カエルを探し歩いて2週間。 余りに可愛想で、私も重い腰をあげる。 灯台下暗しで、夫の実家の庭の池に、巨大なトノサマガエルが棲みついており、 最悪な場合は、そのカエルを持って行くことになって一息ついた。 結局、ウシガエルは見つからず、 その巨大トノサマガエルを持って行くこととなり、 3日間ほど、自宅玄関で飼った。 倉庫で埃を被っていた大きな水槽の出番である。 夜中になると、カエルが暴れる。 大きな水槽が動くほど、跳ねて身体をぶつけるのである。 1度、勢いで蓋を外して、出てきたので、 玄関で大騒動しながら捕まえ、また水槽にもどして、 蓋の上に大きな石を置いた。 それでもカエルは、自分の運命を諦めきれないように、 水槽のなかで大暴れをする。 我が家の少年たちは、最初は見るのも嫌がっていた。 が、夜に何度も何度もカエルが水槽に身体をぶつける音を聞き、 その音に身を竦ませながら、段々とカエルが可愛想になり、 逃がしてやりたい、と思うようになったようだった。 しかし、逃がせば、上の少年の2週間の苦労は無に帰し、 班長としての務めも全うできず、解剖学習ができない。 彼らは、相反する感情を持て余しつつ、 網を持ってハエを捕まえて来ては、 おそるおそるカエルに餌としてあげていた。 いよいよ、解剖学習の朝。 学校に持って行くために水槽を持ち上げた上の少年。 それを見上げる下の少年。 2人は声をあげて泣いた。 私まで、目頭が熱くなる。 蒼ざめた少年たちにかけてあげられる言の葉もない。 ---------------------- その日。 帰宅し、ぼんやりした様子の少年に声をかけると、 同じ班の子がめでたくウシガエルを捕まえて来ていた、と。 「 じゃぁ、うちのトノサマガエルは、助かったん?! 」 思わず、喜んで声をあげた私に、 「 捕まえられなかった班があったから、その班にあげた 」 世にも暗い声で少年が言う。 「 …んでも、たっくんがうちのカエルを解剖しなくて済んで良かったね? 」 「 …ぅん…… 」 カエルたちは、解剖されたあと、お墓に埋められる。 骨は漂白され、黒の厚紙に、きれいに貼り付けられて骨格標本として、 文化祭で展示される。 ウシガエル解剖について、 毎年毎年、夏のPTA地区懇談会で話題にのぼる。 捕獲が大変なこと。 やっとのことで捕獲できたのに、夜に脱走され、 また探さなくてはならなかったこと。 解剖の日までの世話、特に活餌をあげるのが大変なこと。 保護者まで多大な負担である、なんとかならないのか、etc. しかし、理科の先生の一声で、みんなの顔が笑顔に変わる。 「 子どもたちは、解剖前に自然と手を合わせます 」 「 殆どの子が涙を流します 」 ----------------------------------- 私の子ども時代は、フナの解剖だった。 小学校のときか中学校のときか、記憶も定かでなく、 理科の実験室に用意されたフナを、ただ気持ち悪い、生臭い、と思いつつ、 嫌々解剖した記憶しかない。 うちの中学の子どもたちは、一生忘れられないだろう、と私は思う。 彼らは、「教材」として予め用意されたものを 機械的に解剖したのではない。 「 いのち 」を学習したのだ、と思う。 ウシガエルを捕獲するための班行動のなかで、 自主的班行動のしんどさを始め、様々なことを学び、 ウシガエルの生息地を掴むために、自分の町を識り、 地域のひとびとに聞いて回り、 ウシガエルを飼い、そして解剖した。 自分たちの手でカエルのいのちを摘み取ったことを、 決して忘れないだろう。 そして、この学習を決して、無為にはすまい、と 幼いこころに誓ったのではないだろうか。 賛否両論あるだろうが、 私は、生きた、いのちの総合学習をさせていただいた、と思う。 ------------------ その後、理科の先生が異動となり、ウシガエルの解剖はなくなった。 下の少年に訊ねると、 「 ○○先生は、解剖、嫌いなんだって 」 うちの中学の解剖学習は、ビデオになった。 減りつつあるうちの町のウシガエルにとっては僥倖だろう。 しかし、なんだか、途轍もなく、 大切なものを失ったような気がしてしまったのは、私だけだろうか。 # この日記を書くきっかけとなった あそびすとさん にトラックバックさせていただきます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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