テーマ:ひとりごと(14994)
カテゴリ:徒然草
子ども時代から、8月に入ると気持ちが落ち着かない。 5日の夜はドキドキドキ。 もうあと数時間後で、あの恐ろしい原爆が落ちたのだ、と思うから。 ------------------- 6月の夜、たまたまTVをつけてたら、 NHK特集「夏服の少女たち~ヒロシマ・昭和20年8月6日~」が 再放送されており、をを、と、懐かしい先生の姿に見入ってしまった。 このアニメのなかの夏服の少女たちの学校は、 実は、私の母校の前身であり、 5月18日の私の日記、『 夕凪の街 桜の国 』 で記したが、 8月6日に、私の母の学校と学徒動員日の入れ替わりの申し出があり、 全滅した学校なのである。 この学校に進学した母の親しかった友人たちは、 みんな死んでしまった。 以来、母は、ずっと自分の生き残った意味。 生かされて在る意味を、自問しつつ、生きて、いる。 常に自分に厳しく、甘えを決して自分に許さない。 そしてひとには、献身的に尽くす母。 50分の放送のなかで、アニメ化された少女たちの様子と、 実際に、その少女たちの遺族が映し出されるシーンがある。 このなかで、娘を亡くされた父親、として出て来られる 故「森脇 中」氏は、上の少年のマリンバの先生であった。 先年、先生も亡くなられたのだが、 テレビのなかの先生は、まだお若く、とてもお元気そうだった。 テレビでも語っておられる、森脇先生の息子さんは、 亡くなった妹さんの日記を'96年に出版される。 『 広島第一県女一年六組 森脇瑶子の日記 』 (細川浩史・亀井博編 平和文化刊 1996年6月発行) そして、この日記は、北海道の帯広緑陽高校の演劇部が脚本化し、 見事に上演されている。 --------------------- 広島市を離れ、 戦争について語ること、 原爆について語ることがタブー視されつつあるこの地で。 小中学校の社会見学で、平和公園見学を外されたこの地で。 修学旅行の沖縄行きが、東京TDLへと変更になったこの地で。 文科省の是正指導以降の、 こういったあからさまな種々の動きに釈然とせず、 おかしい、ヘンだ、と悶々としつつ。 私は。 それでも。 何がどうあっても、 2度とこういった悲劇を繰り返してはならない、と思う。 こうした過ちを決して繰り返してはならない。 そのために、私たちは、学ばねばならない、と思う。 何がどうしてこうなったのか。 2度と繰り返さないためには、 今、生きて在る私たちは、何をどうしていかねばならないか。 忘れてはならない。 風化させてはならない。 そのためには。 ------------------------ そんななかで、『 夕凪の街 桜の国 』に出逢えて嬉しかった。 あれから、何度も読み返した。 でも1番よく読み返したのは「あとがき」である。 言の葉は何も要らない。 この本が、ただひっそりと多くのひとたちの傍らに在れば、、、と願う。 # 追記 正直、私は、ヒロシマ前夜に、 何をどのように書いたものかと思いあぐんでいました。 或る意味、私は皆さんと、 5月18日のブログで語り尽くした感がありましたから。 原爆、戦争に関して語り尽くす?? そんなバカなことは有り得ないのですが、 それだけ私は精魂込めて5月18日の日記と、 コメントいただいた皆さんにお返事を書ききった感がありました。 皆さんからもたくさんの想いを聞かせていただき、 こころを寄せていただきました。 で、今の私にはもう、あれ以上のものは書けない、と。 私の想いは、あれ以上のものでも あれ以下のものでもない。 どうぞ、あれを参照して下さい、、!!という気持ちでいっぱいで。 ↑ だったら、そう書けばいいのにね。 ダメぢゃん>ぢぶん。 【ヒロシマ】を語りたい。 しかし、年を重ねていくたびに、 ひとの営みの重さを知り尽くしていくほどに 【ヒロシマ】を語るに値しない自分を知る、と言われる 弥々さん にトラックバックさせていただきます。 語るに資格はいらない。 真摯な想い だけでいい。 こころ寄せて、想い重ねて。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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