カテゴリ:単なる愚痴……ダメぢゃん!
稲刈りが終わると、翌年の田植えの時期まで、 うちの地域班では、毎月第一日曜午後1時より、 各世帯から1名を出して、皆で溝掃除をするのが決まりとなっている。 男性と女性の比率は、ちょうど半々。 溝掃除といっても、我が家の周りをちょちょいとやって終わるのではなく、 皆で1列に並んで、川からの農業用水路の取水口から、川への排出口まで。 ざっと400m位の長さの溝を、長靴を履き、軍手をし、 草を取り、砂利を浚い、竹箒やデッキブラシなどで、 底面までこすってきれいにしていく。 これが、ずっと中腰。 蟹の横歩きをしながら行うため、なかなかキツい。 腰に来る。 膝に来る。 力を入れてこすり続ければ、眩暈がしてくる。 終了したときには、膝はわらい、汗で背中にTシャツが張り付く。 年配の方々が多いため、若い者が頑張らねば、と思い、 (…私と班長の彼女が1番【若い】(爆)) いつも頑張るのだが。しかし。 私たちの次に若いはずの50代のおふたり。 シャカシャカと、いつも箒の音だけさせて、上手におサボりになる。 その技術は、真横の位置に来ないと判らないほど。 この方々を目にする度に、 「 ズルい! 」 と感じて、不快になる自分が嫌で、 月1回のこの溝掃除の日は憂鬱である。 60代の方々が、額に汗して、息を弾ませていらっしゃるのに。 私だって、膝を固定して。 終了後にはアイシングが必要な膝で頑張ってるのにな。 などなど。 でも、もう考えない。 思わない。 いいもーん。 その分、私は汗かいて、脂肪燃焼だもーーーーん。 ◆ ◆ ◆ うちの地域班の方々からも、お香典をたくさんいただいていたため、 前日に香典帳をチェックして、それぞれにご挨拶をする。 極力目立たないようにしたつもりであったが、 が、「 知らなかった! ご無礼しました 」 等々と 後から、自宅へお香典を持って来られた御方がおふたり。 う"~ん。。。 義父の葬儀以後、初めてお逢いする方々に 何もご挨拶しない訳にはいかなかったのだから、 いじいじ気にするのは、、、、やめよう。 ◆ ◆ ◆ うちの地域班は、元々山のふもとの川沿いの水田地帯で、 分家筋のものたちが、田を自宅用に宅地に造成しては、 少しずつ住み着いていった地域だと聞いている。 かくいう私たちも、同居からの独立にあたっては、 町と地域の「農業委員会」の承認を受けた後、 近隣の方々の承認印をいただいてから、 義父母の田を百坪ほど造成し、家を建てさせていただけたのだった。 我が家を取り囲む東西南北のよそさまの田に蔭をつくらないよう、 配慮して設計し、塀や車庫も諦めた。 下水道はともかく、上水道が来ていないことを知ったのは、 いざ、家を建てることが決まってからである。 「井戸掘り名人さん」を順番待ちしてお呼びして、掘っていただくことになり、 これにも目を見張って驚いたあの日が、遠い昔のことに思える。 この地域班では、各家庭の汚水は、農業用水路を使用させてもらっている。 だもんで、田に水が張られないこの時期に、 自分たちの汚水の流れる溝を感謝を込めて掃除するのである。 この期間は、汚水はそのまま、川へと流れて行く。 お米つくりの期間は、自分たちの流す水がそのまま、 目視できる形で溝を流れ、隣の田へと流れ込んで行く。 でき得る限り、水を汚さないよう、心掛けて来た。 合成洗剤は決して使わない。 食事を残さないよう。 汁物類は1滴たりとも残さないよう。 この地に転居してより、排水というものに対して常に向き合わされ、 神経を遣う日々で、慣れるまでは、正直キツかった。 それまでも、ずっと心掛けて来たつもりだった。 でも、下水道の存在は、やはり有難かった。 こころの何処かで、「これぐらいなら」という甘えがあった。 それに気付けたこと。 常に自分に厳しくあれること。 有難いことだった、と思う。 水を守ることは、まわりまわって、自分たちを守るということ。 私たちのいのちの水は、地球と雨雲の間を循環しているだけなのだから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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