テーマ:政治について(19816)
カテゴリ:育児は育自~共に学び共に生きる~
教育基本法改正・愛国心、でググってみると、実に21600件がヒットする。 1番上にヒットした YAHOO!ニュース のリンク先を読むだけで、 今現在抱えてる問題が浮き彫りにされている感がある。 『 サンマ 』に舌鼓を打ってる かいちょーさん が、 皆さんからのコメントへのメッセージで、 > 学校で愛国心を教えるより、サンマ+大根おろし+醤油、 > そしてほかほかご飯の幸せを何度も何度も味わうほうが、 > よほど「ニッポンを愛するこころ」に目覚めるよなぁ、とか思うのでした。 と書かれた前夜、我が家でも同じようなことが起きたので、 深く同意し、トラックバックさせていただく。 深夜、お風呂上りの下の少年が何気なくTVをつけたとき、 外つ國々のシェフさんたちが集まり、 『 日本料理のここが許せない 』というテーマで勝手に喋っていた。 曰く、「 醤油 」の味が既に許せない。 曰く、スシネタの卵の甘さが許せない。 曰く、そもそも、卵焼き、煮豆など、デザート紛いの甘いおかずが許せない。 曰く、松花堂弁当に象徴される、ちょこまかちょこまかした惣菜類は、 何がメインか判らない。 またその全てが大して美味しくもないのが許せない、等々。 和食よりは洋食大好き。 お寿司や丼物、天麩羅は大好きだが、煮物などには眉を曇らせ、 侘び・寂びもの?の和食を好まない下の少年が、突然、烈火の如く怒ったので、驚いた。 、、、どうも、それは、 母が普段から「 醤油・味噌 」を発明した日本人を褒め称えていること。 塩分にさえ気をつければ、和食ほど素材を大事にし、そのパワーを取り込み、 バランスのとれた栄養食となっている食は、他にない、と言っていること。 それに配慮したか、刷り込まれてたか、の反応であったようではあるのだが。 少年は、「日本食」を頭からバカにされ、罵倒されたことに立腹した。 「和食」の良さを識らん奴が、日本に来て、食の産業で飯を食うな、とも言った。 「醤油」を判らん奴の味覚を信じない、とまで言った。 私は、目を白黒させて彼の怒りを聞いていた。 少年の怒りの大半は、外つ國のシェフさんたちからは 「 互いの良さ、違い 」を認め合いながら、なお、こう思う。 といった姿勢が感じられなかったことによるのではないか、と感じながら。 下の少年も母同様、「愛国心」の強制に、強いアレルギーを持っている。 だいたい、「愛国心」とは何のためのどんなようなもののことを言うのか? そんな定義も何もしっかりなされていないような曖昧模糊としたものを、 いったい、どうやって子どもたちのこころに刷り込み、教育する、というのだ。 そして、どうやって【 評価 】しようとするのか。 うちの町の小中学校で行われたように、入卒式の日の丸・君が代で、 姿勢、声の大きさ、などをチェックし、ABCで記載していくのか。 私たちは、「愛国のこころ」を形で表明し、評価され、 義務として、「愛国のこころ」を担わなくてはならないのか。 誰だって、自分が生まれ、自分が育ったふるさとを愛したい。 ふるさとの山、川、町並み、自分を育んでくれたひとびとの笑顔。 余程の辛い想い出がなくば、 それは無条件で懐かしく、恋しく、愛しいもの ではなかろうか。 大事にしたい。 守りたい。 できれば、それに誇りを持ちたい。 県大会なら、おらが村、おらが町の学校やチームを自然に応援するだろうし、 地方大会や全国大会なら、自分の都道府県がやはり身近で、応援するだろうし、 国際大会なら、自然に日本を応援するひとが殆どである、と思う。 それは、強制されたからでもなく、義務だから、でもない。 ひととして、本当に自然な感情だと思う。 少年が、和食を貶されて怒ったのは、 彼が、和食を身近なものとして、 誰に言われなくとも、自分たちの「食文化」だと認識・自覚していたからこそ。 自分の好き嫌いは別にしても、それに何らかの誇りを持っていたからこそ。 「 愛国心 」 も、そんなひととしての自然な感情のものでありたい。 そうなっていくためには、 例えば、自分たちが今、生きて在る土地や國に対して、 自然な感情であるはずの愛情を抱けないひとも在る、ということ。 複雑な事情、複雑な想いを抱え、今なお苦しんでいるひとも在る、ということ。 それを忘れてはいけない、と思うし、 それは何故か、ということも置き去りしてはならない、と思うし、 そこを放っぽいたままで、「 國 」という大きなものに対する愛、こころである 「 愛国心 」を押し付けたり、強制したりしてはいけない、と思う。 場面場面で、私たちも子どもたちも興味をもって学び、識り、励み、 ことさら「(上から)自分の國を愛そう」などと言われなくても、評価されなくても、 (誰もが)自然にこの國そのものを愛せるような素敵な國にしていくこと。 それが、私たちの務めである、と思うのだけれど。 少なくとも、障害者自立支援法、介護保険法、 長期リハビリ者切り捨て法のありさまだけみても、 國のあからさまな弱者切り捨て姿勢に、私は、なかなか愛せそうもないが。 ひとりひとりが、國を愛する、ということはどういうことであり、 具体的にはどういう行為、言動をいうのか、を、 しっかりイメージし、考え、想いを交わせるまで成熟していないと、 『 愛国心教育 』を義務化する、ということは、非常に危険なような気がする。 どんな國なら「 自然に 」愛せるか? 例えば、民草に「選挙」によって選ばれたひとたちが、 いつもいつのときでも、國を想い、ひとりひとりの民草を想い、 現場を飛び交い、何の誤魔化しもなく真摯に頑張って頑張って。 ひとりでも多くの民草が倖せであるように願い、 より良き方向と思える政策をガラス張りにし、その実現に向けて努力し。 何故、どうして、そうしようと思うのか、 ひとりでも多くの民草に理解して貰おうと、丁寧に説明し、 呼びかけ、最大限努力し、積み上げていく。 ことある毎に、 そんな政治家さんたちの努力に胸つかれるような想いができるなら、 私たちひとりひとり、自然に、意気に感じて 私たちひとりひとりが、政治家さんを積極的にフォローし、 きっと私たち同士で互いに助け合う。 無私のこころでひたすら頑張る、そんな政治家たちが 引っ張っていこうとするこの國に誇りを持ち、 胸を張って愛していけるのではないか、と夢見たり、する。 この夏休み、上の少年に、 国家公務員になって、文科省に入り、 潰されないようなエラいひとになって、現場に直結した教委をつくらんか、と 冗談交じりに言ってみたら、 文科省よりは外務省に入りたい、そして北朝鮮の実情、現状を識りたい、と抜かした。 そして憲法を学べば学ぶほど、 9条云々以前に真の意味での憲法の見直しが絶対に必要である、と感じている、と言った。 あれこれとショックを受けつつ、母は母なりに懸命にまた考えるよ>上の少年。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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