カテゴリ:育児は育自~共に学び共に生きる~
rain27jpさん、ひろ子・Kさん、あそびすとさん トラックバックさせていただきます。 なんとも切ない事件が続きます。 一時は脳が考えることを拒否しました。 TVの情報番組の取り上げ方には、多々思うところがありますが、 それはまた次の機会に。 福岡のケース。 学年主任でもある担任教師が、「いじめ」に大きく介在していたことに驚愕し、 事件後の校長先生の姿の後ろに教委の動きが垣間見え、とても不快です。 文科省のデータでは、 ここ何年も 「 いじめで自殺のケースは0件 」となっているそうで、 何年も、それでよし、としてきた教委、現場の見識を疑いたくなりますが、 各都道府県の教委が率先して、そういう報告をしていたのでしょうから、 いじめに喘ぐ子どもたちは救われない。 人事が絡んで、現場の先生方が首根っこを押さえつけられているのなら、 その先生方に子どもたちをお預けする、私たちはどうしたらいいのでしょう。 まして、子どもたちを いじめ、暴力から身を挺して守り、 社会のルール、いのちの尊さを日々教え導かねばならない「先生」が、 先頭に立って、子どもたちを無神経な言の葉の刃で斬っていくのだとしたら。 ひろ子・Kさんは、『 親はいじめに気づかない 』とタイトルに掲げられ、 ご自身の体験、親に決して気取られないようになさったことや、 実際に息子さんが通っておられる中学校のいじめのケースを書かれた。 そして、 > いじめをなくすことは出来ないけれど、 > でも、いじめが犯罪に変わる前に、 > とことん誰かを追いつめてしまう前に > 保護者も、先生も、出来ることがあるはず。 > > 今、ここから、出来ることがあるはず。 と結ばれている。 私も、いま、この時代に、我が子を守り、育てていくのに、 夫と私とだけではどうしようもないことを痛感している。 放任でなく、過保護でもなく、過干渉でもない、 見事な適正距離を、どうやって測るというのだろう。 そして、こと起きたとき、 どうやってその距離を保ち続けられるというのだろう。 親が、我が子の置かれた状況を、如何にして正確に、公平に識ることができるのか。 識ることができたとして、子どもたちの世界の何処まで踏み込めるのか。 直接踏み込んでいって、それが根本的な解決になるのか。 子どもたちの間で起きた事件に対する、 子どもたちの自己解決の力は、どのように培われるのか。 そして、何より、親は我が子のこころの何処まで寄り添えることができるのか。 頑張っていつかきっと乗り越えよう。 死ぬほど辛い学校なんて、行かなくてもいい。 いつまでも、何処までも、あなたを信じ、あなたを愛してる。 あなたはあなたのままでいい。 決して死なないで。 そんなような想いを言の葉に乗せて、本当に我が子に届くのか。 自分は、そんな関係性を我が子と築いて来たのか。。。。 どんなに想い惑い、どんなに自問自答を繰り返しても、 自分たちの(狭い見識の)なかでぐるぐる舞い踊っているだけ。 我が子の事情。 ほかのお子たちの事情。 お子たちが遭遇する事件も、その背景も、克服しようとする力も、 お子たちそれぞれに違う、から、本当に難しい。 だから。 保護者は学校へ足を運ぼう。 忙しくても。 例え子どもたちが嫌がっても。 参観日、懇談会、講演会、学習発表会。。。。 機会逃さず、学校へ足を運ぼう。 自分の眼でしっかり、我が子を観、我が子の友だちを観、先生を観、授業の進め方を観、 我が子をとりまく空気を肌で識ろう。 毎回、毎回、全保護者が学校へ足を運び、 お子たちを学校を先生を観、三者三様の様々な情報を受け取り、 様々な傾向、様々なシグナルに気付こう。 そして、保護者同士が顔見知りになろう。 懇談会やPTA活動に参画し、親しく情報交換ができるようになろう。 先生の悲鳴を感じたら、動けるような保護者であろう。 お子たちの悲鳴を感じたら、動けるような保護者であろう。 それをいち早く感じられるのは、日頃からアンテナを張っているものだけだ。 日頃から、口先でない、 「 しっかり観てるよ 」 「 応援してるよ 」「 愛してるよ 」 というメッセージを行動で示そう。 それが子どもたちに伝わるだけで、随分と違うのではないだろうか。 まだ幼い自我を振り回しているだけのお子たちの絆。 思春期のこころ揺らぐお子たちのこころもとない絆。 毎日毎日の日常のなかで育まれるそれ、を 先生方には、何より大切に見守り、育んで欲しい。 そのために、保護者は、学校へ足を運ぼう。 保護者同士に絆を生み育て、先生方とも絆を生み育て、深めていこう。 お子たちが、伸び伸びと健やかに育つよう。 そのために、PTAでできること、山ほどある、と思う。 そのための、PTAだと、私は思う。 ここにこそ、PTAの意義も意味も在る。 ひとりでも多くの保護者に足を運んで貰えるよう。 そんな雰囲気づくりを、学校と共に。 仕事を持つおかあさん方も、みんなが 参観日や懇談会、PTA活動に参加できる職場=社会に私たちが変えていく。 そんな決意や気概を持とう。 PTA会長さんである、あそびすとさんの言の葉をお借りします。 > 誰かがほんのちょっと気がつけば、 > つなぎ止められたかもしれないのに。 > 気づきの連鎖が、 > 別の結論を導いたかもしれないのに。 > だれもが、悲しい。 > 誰もこんな結末を望んでいたはずがないのに。 > いまはただ、失われてしまった命と、 > 命を失った想いのために、哀悼を。 10月24日、トラックバックしました。 本文は改訂しておりません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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