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知的漫遊紀行

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Ryu-chan6708

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2006.11.09
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カテゴリ:読書感想

私:昨日、静岡のほうに用事があって、日帰りしたよ。
 お昼頃、富士駅を通過したが、富士山が裾野まできれいに見えたよ。
 雲ひとつなく、見事な富士だったね。

A氏:雪はどうだったね?

:五合目くらいまで雪をかぶっていたね。
 ところで、一昨日から三分の一くらい読んでいたので、往復の車中と、家に帰ってからの時間をかけて、この本を読了したよ。
 英語の題名が映画と同じの「父親たちの星条旗:Flags of our fathers」だね。
 文庫本だが、600頁近い力作だね。
 著者は最初、いろいろな出版社にあたったそうだが、断わられ、ようやく出版したら、たちまちベストセラーになったというね。

A氏:11月6日の朝日の夕刊に沢木耕太郎氏の映画「父親たちの星条旗」の映画評があったが、ここで例の星条旗を掲げるシーンは「ヤラセ」だと書いているね

私:俺もこの映画評は読んだが、ちょっと原作とは感じが違うね。
 1945年2月23日朝にアメリカ偵察隊が摺鉢山によじ登って最初にあげた旗があるんだね
 ところがこの旗は記念に持ち帰ることになり、もっと大きい旗に代えることになった
 ちょうど、別なグループが電話線とバッテリーを持って頂上に行くんで、そのグループが代わりの大きな旗を持ってまた登る。
 23日の昼頃、頂上に着く。
 そして旗を取り替える。
 このときの写真が有名になったんだね

A氏:じゃ、最初の旗の写真はないの?

:別な軍のカメラマンが撮っているんだね。
 この本に掲載されているが、構図としてはありきたりの記念写真だね。
 そのカメラマンは撮影して山を降りる。
 代わりの旗をもってきたグループに、AP通信のカメラマンのローゼンソールがついてきて、旗を交換しているところを撮ったんだね。
 だから、ローゼンソールの写真は最初の旗を立てるシーンではないんだね
 しかし、このローゼンソールの写真はご承知のように実にダイナミックだね。
 
        硫黄島の星条旗


A氏:なるほど、ちょっとした時間差だね。

:フィルムはグアム島で現像され、プリントされた。
 グアム島のAP通信のフォト・エディターがこのローゼンソールが撮ったプリントを見て「空前の写真だ」として電送写真でアメリカに送った。
 翌2月25日日曜の各紙のトップにこの写真が掲載される
 こうして、大変な反響を生む写真となったわけだ。
 撮った本人もそんなに有名になるとは思ってもいなかったようだ。
 この「かわりの旗」は強風によって3週間くらいでボロボロになったという。

A氏:意図的な「ヤラセ」というより、受け取ったほうの思い違いだね。

:俺は映画を見ていないので、原作との違いはわからないが、沢木氏の朝日の記事では映画と原作の構成がちょっと違うような気がするね。
 この本は、この「第二の旗」を掲げた6人の人生を中心に描いている。
 20章からなっているが、4分の1が6人の父母から始まる家族の歴史を描いている。
 アメリカも貧しい時代があったんだね。
 そして、硫黄島への準備とその戦いになる。
 この写真の6名はヒーローとなり、3名は戦死するが、残り3名はルーズベルト大統領の考えで戦時債を集めるためのツアーの宣伝役として使われる
 目標は140億ドル。
 アメリカの1946年度政府予算の4分の1に等しいという。

A氏:結果はどうだったの?

263億ドルの国債が買われたというから、大成功だったんだね。
 しかし、若い3人のその後の人生は様々だね。
 
 一人はインディアンで、酒におぼれ、1959年32才で酔って凍死 

 もう一人は心臓発作により職場で1979年54才で死ぬ 
 人気に持ち上げられたり、忘れられたりのローラーコースターのような人生を送る。

 著者の父親(看護兵)は葬儀屋で成功するが1994年70才で心臓発作でなくなる
 人気を避け、落ち着いた人生を送る

A氏:硫黄島のことを語ることをしなかったという著者の父親だね。

:ジャーナリストからの取材には居留守を使って会わない。
 著者はこの本を書くために、多くの硫黄島の戦士に体験談を聞いたが、皆、話したがらなかったという。
 これは硫黄島で生き残った日本人と全く同じだね。
 太平洋戦争最大の激戦だったという硫黄島の戦争は終わっても長く尾を引いているんだね。
 
 その体験をすでに80才を越えている当時の兵士たちが墓場に持っていくことを嫌い、75才のクリント・イーストウッドは映画に残そうとしたのだろうか。 

 それにしても沢木氏の映画評だとこの原作を先に理解してから映画を見たほうがいいようだね。





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Last updated  2006.11.09 09:07:06
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