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りゅうちゃんミストラル

りゅうちゃんミストラル

イラク戦争

2005-11-09 14:51:572005-11-09 14:52:072005-11-09 14:51:57ネコ宙返りイラク戦争とその意味ネコ宙返り2005-11-09 14:52:072005-11-09 14:51:572005-11-09 14:52:07
内容は随時更新します。大量破壊兵器はどこに?
イラクで起こった戦争とはいったい何であったのか? 
このことについて語ります。意見がある方は、掲示板にどうぞ。
ただし私の独断と偏見で削除もすることをどうか承知の上で。
 
もともとこの戦争は、大量破壊兵器の除去がアメリカにとっての目的だった。
最近ではこの大量破壊兵器のことが忘れられているようだ。
石油の利権を奪取、フセイン体制の崩壊が本来の目的になってはいないだろうか?
 
「国連の見地からみても、国連憲章の見地からみても違法だった」

アナン国連事務総長
英BBCのインタビューでイラク戦争は違法だと語って。
(ニューズウェーク日本語版2004年9月29日号から)


イラク戦争の経過
*この表は新聞各紙と「イラク戦争と自衛隊派遣」(森本敏編)を基にしています。*
月日 動き
2002年1月29日 一般教書演説でブッシュ大統領がイラン、イラク、北朝鮮を「悪の枢軸」
(axis of avil)と呼ぶ。
6月1日 ウェストポイントでのブッシュ演説 
9月20日 上のブッシュ演説を基にした「国家安全保障戦略」の発表。
これは「ブッシュドクトリン」と呼ばれる。
テロリストが大量破壊兵器を使う前に先制攻撃をすることを意味している。
9月12日 国連でのブッシュ演説。
9月16日 イラクが国連の査察受け入れを表明。
9月19日 アメリカ議会でイラク武力行使決議案出る。
9月30日
10月1日
即時、無条件、無制限の査察をイラク政府が受け入れると発表。
10月11日 イラク武力行使決議案可決。
11月8日 国連安全保障理事解決儀1441が出る。
これはイラクに対する国連の査察に関する事項。
12月7日 イラクは国連査察団に大量破壊兵器に関する申告書を送る。 
国連とアメリカはこの申告書が不充分と判断。
2003年3月11日 ブッシュ大統領がテレビ演説でフセイン親子に対して、
48時間以内の出国を求める。
3月20日 イラク戦争開戦
4月9日 バクダッド陥落。
5月1日 戦闘終結宣言。
8月19日 デメロ国連代表ら死亡する爆弾テロ起きる。
10月 爆破テロに反応して国連がイラクから撤退する。

イラクへの自衛隊派遣の経緯
*この表も新聞各紙と「イラク戦争と自衛隊派遣」(森本敏編)を基にしています。*
月日 動き
2003年11月15日 自衛官によるチームを代表団としてサマワに送る。
11月29日 外交官2名襲撃されて死亡。
12月9日 イラク派遣を閣議決定。
12月18日 実施要綱、首相の承認を得る。
12月19日 石破防衛庁長官が陸海空の自衛隊に準備命令を出す。
12月20日 神崎公明党代表がイラク訪問する。「比較的安全であると感じた」とコメント。
12月26日 航空自衛隊の先遣隊出発。
2004年1月9日。 陸自先遣隊、空自本隊出発。
1月16日 陸自先遣隊クウェートに到着する。
1月26日 陸自本隊、530人と海自300人に派遣命令が出る。
2月3日 陸自本隊出発する。(~3月初旬まで)
12月5日 大野防衛庁長官イラクを視察。サマワの陸自宿営地に約5時間半。
自民党の武部幹事長と公明党の冬柴幹事長も同じ時期にイラクを視察。
12月9日 イラクへの自衛隊派遣1年延長を閣議決定。



私の疑問は以下の通りです。
疑問その1 アメリカの狙いは何?
疑問その2 イラク人虐待の意味は?
疑問その3 大量破壊兵器はどこ?
疑問その4 イラク戦争はテロとの戦い?
疑問その5 今回の戦争から、何を教訓とするか?
疑問その6 支援は自衛隊なのか?民間でやるべきか?
疑問その7 イラク人はどうして欲しい?





*戦争に大義などない?必要ない?*

新聞の社説でもこうした意見が多く見られるようになった。
それでは戦争をやりたい人は「やりたい放題」ではないか?
強い国、大きな国は戦争を仕掛け、多くの人が死に、それがまた小さな国の恨みを誘う。
この悪循環にどこかで歯止めはきかないものだろうか?
これでは力のない者はテロに走るしかない。
  テロを賛美するつもりはないが、テロに走る人の気持ちもよくわかる。
  何故なら「大義なき戦争」に対して力のない人々が取れる手段は非常に限られているからである。

ではどうすればいいか?
武器ではなく言葉で解決を目指すしかない。アメリカではなく国連主導の解決しかない。
「アラブ人に話し合いが通用するのか?」という意見もあるだろうが、
国連を無視する形で武器を向けるよりはまだ「恨みの連鎖」を断ち切れる可能性は高い。
 
*アメリカ軍による虐待事件*

2004年5月に発覚したアメリカ軍によるイラク人への虐待はすさまじいものがあった。
イラク人を裸にして自慰行為を強要したり、
女性までも裸にしてその様子をビデオで撮る
など、
同じ人間としての扱いでは決してない。
アメリカ人はただの乱暴者 なのだろうか?

それともイラクに来ているアメリカ兵は低い階層だからやることの次元が低いのか?
私はどちらも違うと断言する。戦争は人を狂人に変える。 戦争とはそういうものだ。
アメリカ人が言う「民主主義」とはこの程度のものだったのか?今こそその真価が問われる。

アメリカのラムズフェルド国防長官は会見で、「アメリカ軍の組織的関与はなかった」
と言っているが、そんな言葉で誰が納得するのだろうか。あなたは納得しましたか? 
問題は、「組織的関与」の有無ではなく、「虐待があったか否か」だ。
虐待された側にとって見れば、「組織的か否か」ということは何ら問題ではない。

イラク国内では、この事件をきっかけにして反米の気運が高まった。 
報復としてアメリカ人技術者の首を切り落とす模様をビデオに撮り、
その模様はテレビ放映された。いつ終わることのない報復合戦の始まりだ。
これではイスラエルとパレスチナの殺し合いと同じだ。

首都バグダッド近郊にあるアブグレイブ刑務所でのイラク人虐待事件では、
2004年5月19日に軍事裁判が開かれることとなった。
アメリカにまともな裁判ができるのだろうか?緊張を持って見守りたい。
 
19日ジェレミーシビッツ技術兵(24)に禁固1年の判決が出る。
この判決が重いか軽いかは判断が分かれるだろう。
私が考えるにこの判決でイラク人の傷ついた誇りが回復するとは思えないのだが・・・

アメリカは「虐待が組織的であるかどうか」を重視しているようだが組織的であろうがあるまいが、
今回の虐待事件がイラク人の心をいかに傷つけたかをよく考えてほしいものだ。 

その後、アメリカは「虐待の象徴」になったアブグレイブ刑務所を閉鎖することを決定した。
この決定に対してあるイラク人は、
「刑務所がなくなったからといって虐待が解決したとはいえない」
とコメントしていた。当然の反応である。虐待の記憶はイラク人の中に長く残るだろう。


*今でも大量破壊兵器の存在を信じている?*

今でもまだブッシュや小泉は大量破壊兵器の存在を信じているのだろうか?
ずっと「信じている」といい続けていればそれでいいのだろうか?

アメリカには10000もの核弾頭があるという話だ。 
そして、そのボタンを握っているのがブッシュであり、
そのブッシュが他国の大量破壊兵器をとやかく言うことに説得力がない。

「大量破壊兵器はいまだに見つからず、
今後も見つからないかもしれない。
われわれは、そのことを受け入れなければならない」

ブレア英首相。
下院委員会で、イラクで大量破壊兵器が見つからない可能性について述べて。
(ニューズウェーク日本語版2004年7月21日号から)


「情報活動の全面的な失敗だ」

パットロバーツ米上院議員(共和党)
    上院特別委員会で、 CIA(中央情報局)はイラクが大量破壊兵器を保有しているという、
誤った情報を政府にもたらしたと批判して。
(ニューズウェーク日本語版2004年7月21日号から)



*日本はアメリカ追随でいいのか?*

「無益な争いはもうやめよう」ということが、「同盟関係」では必要なのではないのか?
「同盟」と「追従」の違いを小泉は考えたことがあるのだろうか?


*アメリカの言う「民主主義」しかないのか?*

このままではアメリカが「間違っている」と判断したものは、すべて打倒されてしまう。
アメリカこそが「正義」であり、すべての判断基準なのだろうか?
そのうち「イスラム教は間違っている」とか、
「サウジアラビアは王制を廃止して民主化に踏み切るべき」と言い出すのではないか?
確かに王制には問題はある。しかしそれは国民が決めることでもある。
 

*CPAの解散ができるのか?*

CPA(暫定行政当局)の解散時期が、6月30日となっているが、
それにはイラク人による主権の立ち上げが必要となる。
私の考えでは、イラク人は自分で「国」を本当に欲しているのだろうか?
彼らには「国より部族」という考えが優先してはいないだろうか?
だとしたらこの先とても危険だし、CPAの解散は不確定要素が多い。
逆にCPAが解散できなかったら、「我慢の限界」だとイラク人の中にはどんな行動に出るかわからない。
なお、アメリカ軍は「しばらくの間」イラクのとどまるのだそうだ。
無益な争いによる犠牲者はまだまだ増えよう。

2004年6月1日、ガジヤワル氏を大統領(名誉職で、権力は無いに等しい)に、
イヤドアラウィ氏を首相に任命した。今後はいかに主権を委譲するかが注目される。
民主的な選挙も必要で、内乱状態にならないよう注意が必要だ。

その後主権の委譲は前倒しされて、6月28日の行われた。
CPAは解散し、アメリカとイギリスによる占領統治は終了した。
主権の委譲が前倒しされたのは6月30日にテロが発生することを考えてのことと思われる。


*イラクに非常事態宣言出る*

イラク暫定政府は2004年11月7日、北部クルド地区を除く全土に住民の移動などを制限できる、
60日間の非常事態宣言を出した。
これに伴い、ファルージャなどでアメリカ軍によるテロリスト掃討作戦が展開された。

国民議会選挙の実施期日を2005年1月30日と定めたイラクでは、 
今後も各地で激しい戦闘が予想される。

選挙は約半数の得票を得たシーア派の勝利で終わった。
投票率は58%だそうだ。
スンニー派の選挙ボイコットがあった割には高い投票率になった。
今後もイラクでは厳しい復興が待っている。



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