イラク戦争イラクで起こった戦争とはいったい何であったのか? このことについて語ります。意見がある方は、掲示板にどうぞ。 ただし私の独断と偏見で削除もすることをどうか承知の上で。 もともとこの戦争は、大量破壊兵器の除去がアメリカにとっての目的だった。 最近ではこの大量破壊兵器のことが忘れられているようだ。 石油の利権を奪取、フセイン体制の崩壊が本来の目的になってはいないだろうか?
イラク戦争の経過 *この表は新聞各紙と「イラク戦争と自衛隊派遣」(森本敏編)を基にしています。*
*この表も新聞各紙と「イラク戦争と自衛隊派遣」(森本敏編)を基にしています。*
私の疑問は以下の通りです。
新聞の社説でもこうした意見が多く見られるようになった。 それでは戦争をやりたい人は「やりたい放題」ではないか? 強い国、大きな国は戦争を仕掛け、多くの人が死に、それがまた小さな国の恨みを誘う。 この悪循環にどこかで歯止めはきかないものだろうか? これでは力のない者はテロに走るしかない。 テロを賛美するつもりはないが、テロに走る人の気持ちもよくわかる。 何故なら「大義なき戦争」に対して力のない人々が取れる手段は非常に限られているからである。 ではどうすればいいか? 武器ではなく言葉で解決を目指すしかない。アメリカではなく国連主導の解決しかない。 「アラブ人に話し合いが通用するのか?」という意見もあるだろうが、 国連を無視する形で武器を向けるよりはまだ「恨みの連鎖」を断ち切れる可能性は高い。 2004年5月に発覚したアメリカ軍によるイラク人への虐待はすさまじいものがあった。 イラク人を裸にして自慰行為を強要したり、 女性までも裸にしてその様子をビデオで撮るなど、 同じ人間としての扱いでは決してない。 アメリカ人はただの乱暴者 なのだろうか? それともイラクに来ているアメリカ兵は低い階層だからやることの次元が低いのか? 私はどちらも違うと断言する。戦争は人を狂人に変える。 戦争とはそういうものだ。 アメリカ人が言う「民主主義」とはこの程度のものだったのか?今こそその真価が問われる。 アメリカのラムズフェルド国防長官は会見で、「アメリカ軍の組織的関与はなかった」 と言っているが、そんな言葉で誰が納得するのだろうか。あなたは納得しましたか? 問題は、「組織的関与」の有無ではなく、「虐待があったか否か」だ。 虐待された側にとって見れば、「組織的か否か」ということは何ら問題ではない。 イラク国内では、この事件をきっかけにして反米の気運が高まった。 報復としてアメリカ人技術者の首を切り落とす模様をビデオに撮り、 その模様はテレビ放映された。いつ終わることのない報復合戦の始まりだ。 これではイスラエルとパレスチナの殺し合いと同じだ。 首都バグダッド近郊にあるアブグレイブ刑務所でのイラク人虐待事件では、 2004年5月19日に軍事裁判が開かれることとなった。 アメリカにまともな裁判ができるのだろうか?緊張を持って見守りたい。 19日ジェレミーシビッツ技術兵(24)に禁固1年の判決が出る。 この判決が重いか軽いかは判断が分かれるだろう。 私が考えるにこの判決でイラク人の傷ついた誇りが回復するとは思えないのだが・・・ アメリカは「虐待が組織的であるかどうか」を重視しているようだが組織的であろうがあるまいが、 今回の虐待事件がイラク人の心をいかに傷つけたかをよく考えてほしいものだ。 その後、アメリカは「虐待の象徴」になったアブグレイブ刑務所を閉鎖することを決定した。 この決定に対してあるイラク人は、 「刑務所がなくなったからといって虐待が解決したとはいえない」 とコメントしていた。当然の反応である。虐待の記憶はイラク人の中に長く残るだろう。
今でもまだブッシュや小泉は大量破壊兵器の存在を信じているのだろうか? ずっと「信じている」といい続けていればそれでいいのだろうか?
アメリカには10000もの核弾頭があるという話だ。
「無益な争いはもうやめよう」ということが、「同盟関係」では必要なのではないのか? 「同盟」と「追従」の違いを小泉は考えたことがあるのだろうか? このままではアメリカが「間違っている」と判断したものは、すべて打倒されてしまう。 アメリカこそが「正義」であり、すべての判断基準なのだろうか? そのうち「イスラム教は間違っている」とか、 「サウジアラビアは王制を廃止して民主化に踏み切るべき」と言い出すのではないか? 確かに王制には問題はある。しかしそれは国民が決めることでもある。 CPA(暫定行政当局)の解散時期が、6月30日となっているが、 それにはイラク人による主権の立ち上げが必要となる。 私の考えでは、イラク人は自分で「国」を本当に欲しているのだろうか? 彼らには「国より部族」という考えが優先してはいないだろうか? だとしたらこの先とても危険だし、CPAの解散は不確定要素が多い。 逆にCPAが解散できなかったら、「我慢の限界」だとイラク人の中にはどんな行動に出るかわからない。 なお、アメリカ軍は「しばらくの間」イラクのとどまるのだそうだ。 無益な争いによる犠牲者はまだまだ増えよう。 2004年6月1日、ガジヤワル氏を大統領(名誉職で、権力は無いに等しい)に、 イヤドアラウィ氏を首相に任命した。今後はいかに主権を委譲するかが注目される。 民主的な選挙も必要で、内乱状態にならないよう注意が必要だ。 その後主権の委譲は前倒しされて、6月28日の行われた。 CPAは解散し、アメリカとイギリスによる占領統治は終了した。 主権の委譲が前倒しされたのは6月30日にテロが発生することを考えてのことと思われる。
イラク暫定政府は2004年11月7日、北部クルド地区を除く全土に住民の移動などを制限できる、 60日間の非常事態宣言を出した。 これに伴い、ファルージャなどでアメリカ軍によるテロリスト掃討作戦が展開された。
国民議会選挙の実施期日を2005年1月30日と定めたイラクでは、 |