イラク人質このことについて語ります。意見がある方は、掲示板にどうぞ。 ただし私の独断と偏見で削除もすることをどうか承知の上でどうぞ。
私の疑問は以下の通りです。
少なくとも「イラクで人の役に立ちたい」との想いは大切だと考えるからだ。 そして「国がやることは何でも正しい」という考えでなければ、個人でも「人の役に立つこと」はできる。 確かにイラクは危険だが、「危険だからこそ役に立てる」と考えるのはすごく自然な発想で、 何ら非難されることはない。ただし、危険なところに行く人は死が隣り合わせになるということをお忘れなく。 人質を非難するよりも、今回の事件をこれからの教訓にするほうがよほど大切ではないだろうか? これが私の主張だ。 これには大いに失望した。日本はかねてから「出る杭を叩く国」ではあった。 しかしインターネットの世界ではこうした意見がひどく多かった。 まだ3人が開放される前から「決め付け」「思い込み」の洪水だったのである。 インターネットの世界では、よくこういったことが起こる。 結局のところ「自作自演説」を訴えた人たちが欲しかったのは、 「正しいことが何か」ではなく、単に「生贄」ではなかったか? この「生贄」に向かっての攻撃が、何より楽しいと感じる人たちがいたのではないか? 私はそう判断する。 少なくとも人質が開放されるまで批判は待てないものだろうか? そして、自作自演であるという確証は、誰か示したのだろうか? 2004年11月12日現在まで、自作自演の証明ができたという話は聞かない。 自作自演を疑うだけ疑っておいてあとは知らん顔ということか? 私は人質の帰国後も彼らを責める気にはなれない。 安全なところにいて自分では何もせずに批判だけするのは卑怯だと感じているからだ。 イラクで襲撃に遭い亡くなった奥、井上両氏には冥福を祈るばかりだ。 ただ、今回のイラクでの人質事件が問題となるならば、二人の外交官襲撃もやはり問題点はあった。 報道によると二人は防弾ベストも身につけず、護衛もなかったようだ。「イラクで活動するのに準備不足」と人質たちのことを言うのなら、この二人もやはり準備に問題があったことは認めなければならない。 問題は「どうして人質だけは問題視するのか?」ということだ。 今回の人質事件ばかりを問題にするのは、「国がやることはすべて正しい」 という固定観念からではないのか? 私は亡くなった外交官たちに石を投げつけるようなことはしたくない。 だからこそ二人の外交官も非難しないし、今回の人質も同じく非難しない。 私はこう考える。亡くなった外交官たちも、今回人質になった人たちも、 「イラク人に役に立とう」と思う決意は評価しよう。 その想いは国が派遣した場合でも、個人でもいいではないか?それとも国は間違えないのだろうか? どうして人質にはこんなに非難されるのか?私には理解できない。 橋田信介さん(61)と甥の小川功太郎さん(33)が2004年5月末に襲撃されて亡くなった。 二人の冥福を祈る。 また「自己責任論」が出るかと思われたが、今回は静かだった。 日本では「死者に対する非難はしない」というのが一般的なので、「自己責任論」再燃はないだろう。 私は外交官も、拘束された5人も、橋田さん、小川さんも非難はしない。 「誰が偉くて誰が自己責任を負うのか?」などという無駄な議論もしない。 日本では盛んにこのことが論じられているが、この二つは同じことだろうか? 雪山に行くのは「自己の目的のため」という部分が大きいが、 イラクに「人助け」のために向かうのは「イラク人のため」という部分が大きい。 日本での「自己責任論」には、この点が大きく欠けているのではないか? 「人助けなら何でも正当化されていいのか?」という意見もあるだろう。 確かに人助けなら何でも正当化するつもりはない。 しかしそれでも雪山に行くのと比べられれば反論もしたくなるのである。 もし、人質になった人たちが反日的分子であると言うのなら、 日本国内で反日的分子はたくさんいることになる。 共産党なんかみんな反日的分子になってしまう。 国会議員がこんなことを言ってもいいのだろうか? 4月27日になって福田官房長官はこの反日的分子発言を 「不適切である。正当化できない」 と批判した。当然のことだ。 *検索でこんなものを見つけました。勉強になります* 自作自演説について イラク邦人人質事件ニュース 外務省のページ
|